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楽   書   帳たのしみつつかきしるすノート 15




萩藩36万石の今を訪ねる



(平成16年9月8日(水)〜10日(金))



 山口県萩市を初めて訪れた。以前から訪ねて見たいと考えていた都市の一つで急に思い立ってそれを実行した。市内のホテルに2泊し、その前後ほぼ48時間滞在して旧跡を主に見て歩いた。
 自分の受けた印象を一口で云うならば昔の面影が、といっても江戸時代以降のものだが、 松本川と橋本川の距離は約2km。 二つの元の川を阿武川(アブ)という。北が日本海に開け、周囲は山に囲まれた街。 図をクリックすると市の公式ホームページが出る。至る所に残っている落ちついたたたずまいの国の中心からは少し離れた小都市というところ。萩といえば明治維新を果敢に進め、日本の礎を築いた人材を輩出したが、藩としては小藩とのイメージを持っていた。それが禄高36万石であったとは今度来て初めて知った。
 残念だったのは一時のブームに乗って開発されたものの、その後は不調で寂れたままになっている商業施設がやたらと目につくことだった。萩市らしいややゆっくりしたペースで発展していけばこんな状態にならなかっただろうに、本当に勿体無い。
 JR新山口駅(蛇足だが以前は小郡駅といっていた。今年小郡町の山口市との合併を機に変更になった由、前のままの方がいいと思うが…。)から特急バスで市内に入った。1時間20分位かかり途中一寸した山越えがある。これだけでも何かいかにも遠いところにきたと言う感じがする。ほぼ瀬戸内海の位置から日本海まで出るのだから当然だが、山中を登り下りしている内にはるばる遠くにやってきたなと思ってしまうのは止むを得まい。
 東萩駅の側に宿をとったので最初の日に松蔭神社(写真右下)、松下村しょうかそん塾、東光寺等を見た。
 吉田松蔭を祭ったこの神社は、明治の中頃に創建されただけに神社としては新しくすべてが整備されて綺麗だった。ただそれだけに松蔭ゆかりのものが色々あるものの、神社らしい時代を経た神々しさというか、古さからの厳粛な雰囲気にやや欠けるように感じたのは気のせいか。 1890年の創建。松蔭を祭る神社。1955年現在地に移転、社殿が新造された。学問の神として信仰が厚い。 
 そこから小さな川に沿った散歩道を10分程行くと萩藩藩主の菩提寺の一つ、東光寺がある。生憎開門時間を過ぎていたので中には入れなかったが総門とその隙間から少しだけ中を覗いて見た。中国風の立派な建物、いかにも年代を表しているような樹木や碑など垣間見でも見応え有り。その付近はまた萩焼きの店が軒を並べていた。
 あとから分かったのだが流石と言うか市内には焼き物の販売店が実に多い。余り大きくもない町でよくこれだけの店で商売が出来ているものと感心した。また非常に感じが良かったのは地の人の暖かいことだ。何軒かの萩焼きの店に冷やかし半分に入り店の人と言葉をかわしたが、どこも誠に親切丁寧、道端で掃除をしている人にものを尋ねても全く同じ、レストランの従業員などなど、兎に角接して突険貪な感じは全く無い。僅かな滞在だったが偶然が重なったとはどうも思えず、いい人ばかりの印象が強い。
 二日目に城下町(写真左下)、萩城祉、萩駅舎、市役所界隈などを歩く。
 国の史跡に指定されている萩城城下町は驚くほど昔のままの風景で、よく今まで残っていると思った。 萩城の外堀跡の東側一帯は、かって藩の御用達商人や萩藩士が住んでいたエリア。特に菊屋横丁、伊勢屋横丁、江戸屋横丁が並ぶ辺りは、国の史跡に指定されている。   桂小五郎の生家。奥が深い立派な屋敷。実家は藩医だった。家の作り、庭ともいかにも医者らしさが漂う。 重要伝統的建造物群保存地区との国の指定がされていることが、納得できた。中の一軒の桂小五郎(木戸孝充)生家(写真右上)に入り細かく見せてもらったが、ほぼ往時通りの感じを受けた。桂が20歳まで過ごした家だが、当時としても親が藩医で相当な名門だったことが窺える。その他高杉晋作旧宅、豪商の屋敷、古刹など見るべきものがその付近一帯に沢山ある。普通の観光名所と違うのは史跡の旧宅などと隣り合わせに現在も大勢の人達が家を構えている点だ。これからもこの地域としての維持保存は難しいことが多いことだろう。
 更に少し足を伸ばして萩藩の城跡に行く。途中石垣の塀や白い土塀など屋敷跡らしきところが多い。 1604年毛利輝元が関が原の戦いに敗れ、ここに築城、木戸孝充の指示により維新後に解体。石垣、掘が残っている。城に近くなるほど高級武士の住居が並んでいたらしい。毛利家は元は100万石以上もあった中国地方の雄だが、輝元の時に西軍に荷担して、戦には参加しなかったものの、家康により36万石に減封されてここに山上城と平城を組み合わせた壮麗な城を築いたのだそうだ。城跡は石垣と掘りだけだが、指月山を背に立派なものだったことを彷彿させる。なおこの辺りにも萩焼きの店が点々とあった。
 城跡からバスで萩駅舎(写真右下)に行った。かってはJR萩駅だった建物が現在は市に寄託され「萩市自然と歴史の展示館」と謳われて市と鉄道の博物館のようになっている。外観がいかにも古典的で洋式の白い建屋は見たものにホッとさせる何かがある。田舎の町の駅舎としてはかなり立派だが、どうして使われなくなったのか分からない。多分当初の目論見が外れ駅が街発展の中心にならず利用者も少ないままだったのだろう。駅の周囲を見ても殆どん何も無いに等しいことからもそう思われる。現在も山陰本線の萩駅として建物のごく一部が使用されているが無人駅で、この地域のメインは隣の東萩駅に完全に移っているようだ。 かっての萩駅。画像が見にくいが現物はもっときれい。正面上に萩駅舎の看板が架かっている。
 萩駅から更にのんびり歩いて市の中心部を見てみた。その途中藍場あいば川の一部が眺められた。この川は、観光宣伝ポスターで錦鯉が泳いでいる小川の写真が駅などに貼られているが、あの川だ。2m程の川幅で片側に立ち並ぶ家から川に直ぐ入れるようになっていたり、水を引き入れる構造があったりした。鯉は見えなかったが、昔の人の知恵工夫が偲ばれた。
 駅舎から1.5km位行くと幅のひどく広い大きな道にぶつかる。R191だが、この辺りは特別に区画が整備されたのだろう。それを左に少し進むと市役所、消防署、警察、市民会館、明倫館跡などがかたまった萩市の中心地区となっている。どこも広い敷地にゆったりと建物が配置されていて見た感じが大変いい。藩校の明倫館の跡が移築されている現在の明倫小の建屋は、瓦葺の大きな木造で登録有形文化財になっているが、特に風情がある。城下町としての特徴は消防署の建屋がなまこ壁をしていて和風の外観をしている程度で特に見当たらない。それでも高いビルもないので落ち着いた雰囲気でなかなかいい感じだった。 ホテルの窓からの眺め。 松本川の向こうに東萩駅が見えている。白と茶の両側の大きな建物に挟まれた建物。
 以上の他にも史跡名勝は数多くあり、その内の幾つかは見学して感激したり楽しんだりしたが、説明や感想は本物の案内書に任せることにして、ここでは割愛する。
 萩の観光は移動に自転車が一番いい様だ。市内で貸し自転車の目印を良く見かけた。でも今回は使用しなかった。何十年も乗ったことが無いから桂子は怖いという。そのかわりに市内循環のミニバスを多用した。”松蔭先生 ”、”晋作くん”と愛称が付けられて東西二つのルートがあり、1回100円で乗れる。両方を一回りすれば(夫々1時間弱かかるが)萩市の大要が大体つかめて非常に便利だった。バスの運行図と見比べながら乗っていると市内観光が一通り出来たように思った。地の人も沢山乗っていて、とくに高齢者には重宝されているようだ。
 最近、このようにして二人で外に出たりすると必ずと言って良いほどその地の温泉を探し、一浴びして楽しむことが習慣になりつつある。今回の萩でも当ってみたら二ヶ所出てきた。しかしもともと温泉地ではないから名泉名湯の類はあるはずも無いが、今や流行になりつつある近くを深く深く掘ったら温泉が湧き出したという程度のものだと思う。
 一つは萩本陣温泉、他は指月しづき温泉という。両方とも地元の公共機関による成分分析表を張り出してあったから、それなりに信用のおけるものだと思う。前者は同名のホテルが温泉部門として併設しているもの。市街から直ぐの山の中腹にあり行き帰りに萩の町が一望出来る。桂子が求めた小鉢、色違いだが結構な値段だった。城下町の 「ぎゃらりい彩陶庵」 にて。 中には二つの浴場があり泉源は同じで少し沸かしているようだが、設備は完全に分かれていてどちらに入っても良い。勿論両方も可。折角だから両方を試したが、やはり新しい方が気持よかった。何に効用があるかは特に確認もしなかった。ゆったりとした気分にしてくれたらそれで十分という訳だ。
 もう片方の指月温泉は日本海に面した菊ヶ浜海水浴場という海岸にある。直ぐ左手にある指月山(143m)から名前がつけられたのだろう。全国に数多くある年金保養施設の一つにあり、10年程前に出来た由で、勿論ここも設備が整い、明るくて清潔、湯量も豊富で日帰り入浴では勿体無い位だった。文字通り白砂青松の日本海を眺めながらのんびり湯につかれたのは快感そのものだった。料金も一般の銭湯並で、近ければ足しげく通いたいと思わせた。
 以上二ヶ所とも市内中心部からミニバスで20〜30分で行ける所(萩市概略図参照)で、このように観光と併せると楽しみも倍加する。
 萩焼きの店が多いことは冒頭に記したが、その内の何軒かに入り、結局桂子がなけなしの小遣いで実用できる小鉢(写真 上)を求めたようだった。というのも自分はそれほどの興味を持ってないので、一切口を挟まず見て見てない振りをしていたから。一個何千円の鉢に菜を盛られていても美味さが倍増することもないと思うのだが、こう考えるのは感受性の乏しい貧乏人の悲しい性か。
 短い滞在であちこち見て廻ったり、風呂に入りにいったりだったから忙しかった。それで結局どれもこれもが浅い印象で終わってしまった。しかし総じて自分の育った加賀百万石の金沢に勝るとも劣らず名勝旧跡のあるのには驚いた。否むしろ萩の方が多いかもしれない。今回のような短い時間では消化し切れる筈もなく、見落としの箇所も多いので、またいずれ折を見て再訪したいと思う次第だ。                                         以 上

(注)  最初に出ている 「萩市概略図」 をクリックすると 萩市の公式ホーム
ページに繋がるので、同市に関する正確な情報はそこから得ることが出来る。