『琴菜の里帰り』


 登場人物

 神山(かみやま)(さとし):名前以外は、何も覚えてない。家事を一通りこなす、便利な奴。

 立麻琴菜(たてまことな):表情の変化が欠落している。何を考えているか分からない、ミステリアスな人。

 

 2005年 8月――

 

「聡、実家に帰るから付いてきて。お父さんと、お母さんに挨拶もして欲しいから」

「へっ?」

 それは、お盆初日の話だった。

 

 (さくら)町の南から山を迂回して、迂回して――若草山の裏側にある町、家科(やしな)町へと辿り着く。ひらたく言えば、田舎である。櫻町以上の田舎だと言ってもいいぐらいに。田んぼと川と山しかない。容赦なく照りつける太陽の下、白の軽トラックが畦道を走っていた。地元の農作業をしている人ではない。運転しているのは、聡である。助手席には琴菜。この軽トラックは、琴菜が住んでいるログハウスを作ったときに活用されたものらしく、それ以降出番もなくなり、倉庫に眠っていた。ガソリンは入っていたが、数年間放置済みというおまけ付き。ガソリンは腐るのだと説き伏せてみたが、琴菜は聞く耳を持たず、さらに『車検に出してないから、捕まらないでね』ときた。すっかり飼いならされた犬のようになってしまっている聡には、反論する気力も残っていなかった。

 穏やかな田園風景。少し開けた窓から、心地よい風が流れ込んでくる。いい所である。しかし、聡はかなり緊張していた。琴菜の言葉が、頭にこびり付いて取れないからだ。琴菜の両親に挨拶とか――別に交際をしているわけでもないのに、そんな誤解を招くような事をしていいのか。それとも、琴菜の中ではすでに結婚前提の交際中なのか。いやいや、そんなことがあるはずはない。あの琴菜だ。ありえない。などなど、思考が堂々巡りしていた。

 若草山のログハウスから車でおよそ一時間半。田んぼに囲まれた古い民家に辿り着く。隣の家まで、およそ二百メートルといった所か。玄関前は広く開放されており、端のほうに農具が立てかけてある倉庫が見えた。一般的な農村の家という趣である。

 軽トラックをその玄関前の広場の中央に止める。

 恐ろしく静かだ。耳鳴りがするほど。交通量も少なければ、電車どころかバス亭もない。セミの鳴き声と、鳥の囀りが聞こえる程度の本当に穏やかなところであった。そのため、大地を踏みしめる音もよく耳に付いた。

「ここがお前の実家なのか」

 緊張していると同時に、疑問を抱く。少し、静か過ぎるのではない。人が住んでいる気配を感じない。小奇麗にしてあるが、逆にそれが生活観を乏しくさせているように思える。

「あらあら、見たことのあるトラックだと思えば、琴ちゃんじゃないか。久し振りだね」

 ご高齢の女性が一人やってきた。農作業を続けてきたせいだろうか、腰の曲がりが七十度前後ありそうだ。柔和な表情を浮かべ、手ぬぐいで汗をふき取っている。琴菜の母親にしては、年を取りすぎだ。祖母といった所かもしれない。

「お久し振りです、ハツさん。いつも、家のお掃除ありがとうございます」

「暇だからね。しかし・・・」

 そこでハツさんの視線が、聡とへと向けられる。聡は、緊張した面持ちで慌てて頭を下げた。

「まさか、彼氏さんを連れて帰ってくるなんてね。初めてじゃないのかい? いやいや、おっきな人だねぇ」

「いや、彼氏とかじゃないっす」

 とりあえず否定してみたが、誰も聞いてはくれなかった。

「ハツさん、食器とか持って帰るから。あと、テレビも」

「戻ってこないのかい?」

「ハツさんが元気なうちに戻ってくるから」

 二人は話しながら家の中に入っていく。呆然としている聡は、琴菜に手招きをされてようやく動き出した。

 広い玄関。広い廊下。いるだけで懐かしく感じてしまう、古き家。居間に通され、勧められるまま座に付いた。ハツさんは、『来ると言ってくれていたら、冷たい麦茶を用意したのにねぇ』と、アイスコーヒーを持ってきた。緑茶が出てくるかと思ったが、意外なところでハイカラである。

 家の中も小奇麗にされており、やはり生活観に乏しい。誰か住んでいるようには思えない。ハツさんが、琴菜に頼まれたものを荷造りしに部屋を出た後、聡はその事を聞いてみた。

「両親は、出かけているのか?」

「先に、挨拶をしておこうか」

 どうやらいるらしい。その割には、姿を見せないが――聡は、その理由を案内された部屋で知る。部屋の奥には、仏壇が置いてあった。男女の遺影が一組。

「お父さん、お母さん、今帰ったよ」

 仏壇の前で正座する琴菜。聡は、心の中で『亡くなっていたのか。それならそう言えばいいだろうが』と、少しだけ安堵していた。琴菜の世話になっていることは間違いないので、琴菜の横に座り、線香も焚いておく。ここに来ても、琴菜の表情が変わることはない。相変わらずの無表情。琴菜の過去に何があったのかは分からない。もしかしたら両親の死と関係があるのかもしれないが、それを聞くのはさすがに(はばか)られた。

 居間に戻ってアイスコーヒーを飲んだ後、琴菜の指示でテレビをダンボールに詰めて、軽トラックの荷台に乗せた。液晶ではなく、ブラウン管の三十二型。重たいの何の。

「なぁ、琴菜。あの家、アンテナ来てんのか?」

「それは大丈夫よ」

 琴菜がそういうのだから、大丈夫なのだろう。しかし、つくづく不思議なログハウスだと、聡は思う。あんな山の中にあるにも関わらず、ガスも電気も来ている。水道は地下水を引いているようだが、驚くべき事はなぜか携帯電話のアンテナが立っている事だ。山奥は電波が来ないのが相場。アンテナがないからだ。しかし、あのログハウスには専用のアンテナが立っているのだ。意味が分からない。資産家の娘なのかと思えば、家は農家で、両親は死去。結局、琴菜という存在のミステリアスさが深まっただけである。

「ハツさん、また来るから」

「結婚式には呼んでくれよ」

 ハツさんは、最後まで誤解していた。車の中で、聡はその事を聞いてみた。

「誤解させたままでいいのか?」

「ハツさんは、私がお嫁に行かないものだから心配しているの。少しぐらいサービスをしてあげないと」

 琴菜なりの思いやりだったようだ。聡を連れてきた理由は、荷物持ちだけはなかったようである。

 帰りに、琴菜の両親の墓にも寄っていく。山の斜面を削って作った墓地の上のほうにあったため、汗がダクダクと流れてくる。なんとかかんとか登ってくると、そこから見える景色に聡は正直感動した。風も少し心地よい。果てしなく広がる田園風景。心の広がりを感じた。

 墓に辿り着くと、琴菜が僅かの間だけ足を止めた。

 花が手向けられている。それのどこに足を止める要因があったのかは分からない。琴菜は何も語らず、墓を磨きだした。聡もそれを手伝った。

 墓を綺麗に磨く。そして、再び墓に手を合わせた。一足先に顔を上げた聡は、少し離れた所にある木の影から、こちらを伺っている女性がいることに気付いた。見たことがある姿見であるが、遠くで判然としない。その女性は、聡の視線に気付くと姿を消してしまった。

「どうしたの?」

 いつのまにか顔を上げていた琴菜に聞かれて、聡は答えようがなく『なんでもない』と答える。

「帰りましょう。日が落ちたら、荷が降ろせない」

 琴菜の言う通りだ。陽炎で霞む道を、琴菜と共に進んでいく。琴菜の背を見るのは久し振り。いつも態度がでかいから気付かなかったが、琴菜の姿は思ったよりも小さく聡の瞳には写っていた。

 帰り道。琴菜は眠ってしまった。黙っていると、やはり美人である。口を開いてしまえば、何もかも台無しであるが。その寝顔を見ているうちに、聡は墓場で見た女性が誰なのか、ようやく分かった。

「・・・あの黒髪の女か」

 聡の戸籍をどこからともなく持ってきた、長さが背中の半ばほどある美しい黒髪の女性。素手で人を殺せるとか、物騒な事を口走る、琴菜とは反対で笑顔を浮かべっぱなしの人である。聡に重要な指針を示した人であるが、なぜあの人があの場所にいたのだろうか。そこで聡は、その女性と琴菜が似ていることに気付いた。姉妹なのかもしれない。そこら辺の疑問を、敢えて琴菜に聞く気はないが。

 ゴトゴトと揺れて走る軽トラック。琴菜の言葉に振り回されたりしたが、いい気分転換にはなった。しばらくは琴菜の暴挙も許せそうな気分である。

 

 そんな聡の記憶を失って最初のお盆の思い出――。

 

 

 

 END

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