『壺の中の人喰い神』


 

 壺の上に座る、土のような色の髪に、金色に輝く瞳を持つ少年。幼い姿であるが、彼の放つ威圧感は、人のものとは一線を画していた。

「ここが喫茶店ならば、料理で我を満たしてみよ! 我を満足させることができれば、第五の太陽の下に暮らすお前達を、見逃してやろう!」

 こうして、人類の明日を左右する、料理対決の幕を降りた。

 

 1.

 幽世(かくりよ)喫茶。福岡県のとある町の山中っそりと経営している、喫茶店の名前である。存在も希薄であるならば、当然、客足も希薄。立ち並ぶ民家の中でも、特段なにも主張しておらず、故にそこが喫茶店であることも、ほとんど知られていない。そんな、閑古鳥に愛されてしかるべきのお店が、幽世喫茶である。

 開店準備中の店内。マイセンカップの(つく)喪神(もがみ)であるマイが、いつもの正装――メイド服を身にまとって、掃除をしている。明らかに非効率的な形のメイド服であるが、別に忙しくもないこの喫茶店では、さしたる障害にはならない。それどころか、マイがメイド服を着ているからこそ、それを求めて幾ばくかの客が来るのだ。彼女がメイド服を着ていなければ、この店にやってくる客は、それこそ名前に従った『幽世のモノ』だけである。

「すんませ〜ん! 宅配便ですが〜!」

 元気な声が外から届いてきた。マイは、一旦店の奥から続いている母屋へと視線を転じた。今の声が、二階に居るマスターに届いていないだろうか。そう思ったのだ。しかし、マスターが現れる気配はなかった。

「はい、ただいま」

 マイが姿を現すと、宅配便のお兄さんは驚いた顔をしていた。彼は、こう思っていたのだろう。『ここ、メイド喫茶だったのか』と。こうやって、間違った認識が広がっていく。

「サインお願いします」

 『(おと)(ぎぬ)マイ』とさらさらとサインする。『マイ』とだけ書くと、大抵『ん?』という顔をされるのだ。苗字がないことを、説明する事もできないので、マスターに許可をもらって、その姓を借りる事にしていた。

「中に運び入れますので」

「あ、はい。どうぞ」

 いつもなら、手渡しかポストに突っ込んで行くだけなのに、今日は中に運び込むという。扉を開けて、店内への道を確保すると、その道を大きな木箱が通って行った。五十センチ四方はあろうかという、大きな木箱だ。二人がかりで運び込まれたそれを、とりあえずテーブルの上に置くように伝えた。

「乙衣・・・空知(そらち)

 送り主の名前は、『乙衣空知』と書いてあった。乙衣は、ここのマスターである乙衣()渡子(とこ)と同じものだ。マスターの親縁のものかもしれない。

 マイは、荷物が届いたことを伝えるため、二階のマスターの部屋を訪れた。

「マスター、お届け物が届いております」

 ノックして、扉の向こう側に居るマスターに声をかける。少しして、幽世喫茶のマスターの乙衣兎渡子が姿を現した。ぼっさぼっさの髪に、眠そうな顔。よれよれのTシャツに、タンクトップというだらしのないいでたちである。

 幽世喫茶が、まともに機能していないのはこのマスターが原因だ。開店まで三十分を切っているのに、この姿。店は、マイに任せっきりなのだ。夜中まで趣味に明け暮れ、昼過ぎに起きてくる。ダメ人間そのもの。そう、乙衣兎渡子は九割方ダメ人間で構成されているのだ。

「・・・まだ、寝ていたんですか?」

 娘を心配するような顔と口調のマイ。実際、見た目は幼いマイだが、人間の数倍は生きている。彼女の長い人生の中でも、これほどのダメ人間は類を見ない。

「スパロボ五週目をしていたら、止められなくてね。それで、荷物? 別に、今日届くようなものはないはずだけど」

「乙衣空知という方からのお届け物です。ご親戚の方ですか?」

 その瞬間、兎渡子の表情が凍りついた。

「・・・店の中に入れた?」

「はい。いけませんでした・・・か?」

 不安そうな表情のマイ。兎渡子は、溜息を吐いた。

「覚えておいて。今度から、その名前で届いたものは外に置いてもらって。次があればの話だけど」

 兎渡子の話がよく分からない。マイは、小首をかしげた。

 

 兎渡子が、服を着替えて、店へ下りる。髪は、そのまんまだ。先に店内へと下りてきていたマイは、電話の側に立っていた。兎渡子に言われて、彼女の友達である春野(はるの)蓮華(れんげ)に電話をしていたのだ。

「一応、言われた通り、絶対に来るように伝えはしました」

「ん、ありがとう。来なければ、この荷物、春野家に送り飛ばすだけだし」

 兎渡子は、とても意地悪そうな顔をしていた。彼女がこういう顔をしているときは、冗談を言っていない時だ。基本、兎渡子は冗談をほとんど言わないが。

「あのマスター、結局この荷物は一体なんですか?」

「私の母からの贈り物よ」

 マイが、目をぱちくりさせた。兎渡子に母親が居た事を、初めて知ったのだ。

「マスターのお母様からの・・・それは素敵ですね」

 キラキラと嬉しそうにマイは言った。しかし、兎渡子の顔は晴れない。

「まともな品物ならね。母が送ってくる物の八割以上は、いわく付きなの。この大きさ・・・嫌な予感がプンプンする」

「いわく付き・・・? えっ? あの・・・」

 木箱から離れて、兎渡子に近づいていくマイ。事態が上手く飲み込めない。いわく付きの品物を、娘に送ってくる母。その真意は、一体何なのか。マイの戸惑いに気付いた兎渡子が、安心させるようにくすりと笑って見せた。

「別に母と仲が悪いわけじゃないから。母は、純粋に『これはいい!』と思ったものを届けてくれるんだけど、どういうわけかそれがほとんどいわく付きだった。それだけの話。母に、悪気はないのよ。まぁ、自覚してくれないから、困るんだけどね。ちなみに、マイを私に寄こしたのも、母よ」

 そう言われて、マイは記憶を辿った。ここに来る前は、箱の中に押し込められていた。暗くて、何にもないところをずっと。ある日、その木箱の中に光が差し込んできて、人間の顔が見えた。元気はつらつの、優しい目をした女の人だった。

「これ、私、もらっちゃおうっと」

「き、君、それはウチの家に伝わる大切な品物だぞ!」

「箱に入れたままじゃ、かわいそうでしょ? もう決めたの。私がもらうんだから。どうしても譲ってくれないなら・・・まぁ、その時はその気になるまで・・・ねぇ?」

「わ、分かった! まったく、日本人の女性がおしとやかだと言ったのは、どこのどいつだ! 信じられん! この悪魔め!」

 それが、兎渡子の母親だったのだろう。

「・・・随分とお若い方に見えましたが」

 記憶は、三ヶ月ぐらい前のものだ。その時の女性は、兎渡子の母親というよりかは、姉だと説明された方がしっくり来るぐらいの若さであった。

「あれでも五十代手前よ」

「えっ?! とてもそんな風には」

「子供みたいな人だから、そういう風に見えるみたいね」

 母親の話も一区切り。兎渡子とマイは、蓮華が到着するのを待った。

 

 2.

 蓮華が到着したのは、それから一時間後のことだった。いつものスーツ姿ではなく、巫女装束――除霊屋が使う霊衣を着て、右手には薙刀、左手には鏡。腰に刀をぶら下げ、ポケットの中には大量の札を入れている。これ以上ない。そんな完全武装振りだった。

 蓮華は、除霊屋という組織の人間である。除霊屋とは、『この世の(ことわり)から外れしモノたちを調整する者』たちの総称である。いわく付きの品物に対応するため、今回呼び出されたのだ。

「・・・先に言っておく。私は、嫌だ」

 きっと兎渡子をねめつける。しかし、兎渡子にそんなものが通用するはずがない。

「なにか勘違いしているみたいだから、ちゃんと言っておいてあげる。おれんに、拒否権なんてものはないのよ。別に、逃げ帰っても構わない。その時は、この荷物を春野家に送るだけだから。拒否しても、逃げ出しても、現実は決して変わらない。どう? 気は済んだ?」

 おれんとは、蓮華の愛称である。

「この悪魔め・・・!」

「ありがとう。最高の褒め言葉よ。早速だけど、箱を開けてくれない?」

 蓮華は、溜息を吐いた。兎渡子に口では勝てないと、諦めたのだ。

 兎渡子とマイは、カウンターの向こう側へと退避した。残された蓮華は、恐る恐る木箱に触れる。現段階では、なにも感じない。そのため、木箱を開けた途端――という可能性は、ほとんどないだろう。それでも、蓮華は慎重に慎重を重ねて、ゆっくりと開封していった。

「壺・・・また、高確率で何かが封印されていそうね」

 木箱の中から出てきたのは、壺だった。青い色の壺であるが、形だけを見るとそれは何かしらの神の顔を象ったものに見えた。非常に不気味で、陰湿な空気をかもし出す壺から、濃厚な死の匂いを蓮華は感じ取り、後ずさった。

「これは・・・なんだ、何人殺したんだ、この壺!」

「殺したんじゃない・・・」

 マイの言葉が震えている。付喪神の彼女には、その壺の向こう側の景色――壺が保有する記憶を見通していた。

「アステカ文明・・・生贄の壺・・・」

「生贄?! か、母さん、そんなものをなんで娘に送りつけるのよ。どうかしている!」

「あそこに、手紙らしきものがあるぞ」

 蓮華が指差す先、壺の近くに白い封筒が立てかけてあった。

「おれん、それ取って。お願い」

「嫌だ! こんなのに近づきたくない!」

 本気で怯えている蓮華。こうなると、さすがにかわいそうだ。仕方なく、兎渡子はその封筒を取りに行く事に。近くで見ると、その不気味さが際立って見える。兎渡子は、蓮華ほど感覚が鋭い方ではないので、漠然としか分からないが、それが明らかに呪われているのは、彼女でもはっきりと分かった。

 封筒を手に取ると、急いで兎渡子はカウンターの向こう側へと避難した。封筒を開け、中身の紙を引っ張り出して広げる。そこには、母親の愛らしい文字が躍っていた。

『やっほ〜、元気ですか? メキシコで買い物していたら、気前のいいおじさんが、タダでこの壺をくれたの。すんごく可愛いでしょ?! お店に飾ったら、素敵だと思うの。ぜひ、カウンターに飾ってね! 売り上げ倍増、間違いないんだから!』

「か、母さん・・・それは、厄介物を押し付けられたというのよ・・・」

 隣から手紙を覗き見ていたマイも、眉根を細めている。

「これを可愛いと思われる感性って、凄いと思います」

「しかもカウンターに置けって・・・客がびびって逃げるわよ、こんなのが置いてあったら」

「兎渡子!」

 その時、蓮華の切羽詰った声が届いた。慌てて、カウンターから頭を出した兎渡子の視線の先に、それはいた。

 土のような色の髪に、金色に輝く瞳を持つ少年。壺の上に、物理法則を無視して立ち、不気味な笑みを湛えていた。

「よぉ、第五の太陽の子供たちよ。くくく、滅びの時は来た」

 言っている事は、半分意味不明、半分ぶっ飛びすぎて理解できなかった。ただ、兎渡子も蓮華もマイも、一つだけはっきりと分かった事があった。この目の前の少年は、正真正銘の『災厄』そのものである――ということである。

 

 3.

 少年が壺の上に座る。その後ろで、蓮華が唇を強く噛んでいた。兎渡子やマイよりも、蓮華がもっとも危機感を覚えていた。今まで多くの(あやかし)と戦ってきた蓮華であるが、目の前の少年は、『質』が違う。纏う空気は、非常に血なまぐさく、呪われた存在のように見える。しかし、彼の本質は、神に近い。簡単な言葉で綴るなら、『純粋に黒い』となるだろうか。妖などは、さまざまな要因を背負っている。恨みや悲しみ、妖へと落ちる過程が存在する。しかし、目の前の少年は、それらの要因とは関係ないように思えた。生まれたときから、黒い。純粋に黒い。ただただ黒い。その黒さに、理由がない。

「破壊神の類か・・・まさか・・・」

 そういう神を、『破壊神』と呼ぶ。純粋なる破壊の理念に従い、世界を破壊する神のことだ。そこにあるのは、恨みや悲しみなんていうマイナスな思念ではない。神々の(おご)りによる、純粋なる破壊と再生のサイクルが存在するだけ。今、目の前に居るのは、そういう人の理解を超えた存在であると、蓮華は判断していた。

「そこの女は、感覚が鋭いようだな。我を的確に見抜いたか。そうだ、我の名はオセロット。第一の太陽の下に暮らしていた巨人を全て喰らい、世界を終わらせたモノだ」

「オセロット・・・」

 その言葉を噛み締める。しかし、蓮華の中に、その名前はなかった。マイの言葉が正しいならば、このオセロットはアステカ文明が持っていた宗教に登場する神なのだろう。残念ながら、蓮華はアステカのことなどまったく知らない。彼女は、対応に困っていた。

「その破壊神が、一体なんの用なの? 私たちを滅ぼすつもりなの?」

 兎渡子が、果敢に問いを投げかけた。少年――オセロットは、面白そうに瞳を細める。

「この世界に呼ばれたのであれば、我がする事は唯一つ。そこに住まう人間を喰らうのみ」

 戦慄を覚えた。オセロットの言葉には、一切の嘘がない。そして、彼の纏う力には、それを現実にするだけの説得力があった。兎渡子も蓮華もマイも、伊達(だて)に力を持つものであるが故に、それをリアルに認識していた。

「しかし、ただ滅ぼすだけでは芸がない。お前達の実力を示してみよ。さすれば、考えてやらんこともないぞ」

「実力を示せ・・・?」

「そうだな・・・ここが喫茶店ならば、料理で我を満たしてみよ! 我を満足させることができれば、第五の太陽の下に暮らすお前達を、見逃してやろう!」

 宣告は下った。

 蓮華が、オセロットを迂回して合流する。三人でカウンターの後ろに隠れ、会議を始めた。どう、オセロットに対応するのか。それは、言わずもがな。難題もいい所であった。料理と一言で言うが、その幅はピンからキリまである。それこそ、砂漠で一本の縫い針を見つけるような仕事だ。いくつもの料理の名前を並べる、蓮華とマイ。しかし、それはすぐ溜息へと変わった。まったく、見通しが立たないのだ。

「奴を満足させる料理なんて・・・幅が広すぎだろう」

 蓮華は、頭を振っている。マイも難しい顔。そんな二人を見て、兎渡子は覚悟を決めていた。

「私が、最初に行く」

「勝算があるのか?」

 戸惑う蓮華。この三人の中では、兎渡子が一番料理が下手なのだ。しかし、兎渡子の表情には茶化しているような色はない。あくまで、真剣そのものだ。

「幽世珈琲を試してみる」

「幽世珈琲を?! 神にも通用するのか、あれ?!」

 幽世珈琲。兎渡子の特殊な力を持つ指が珈琲に触れたとき、ある変化が起こる。その変化が起こった珈琲を幽世珈琲と呼び、記憶を復元する効果を持つ。その作用には、かなりのばらつきがあり、効能も一定しない。あくまで、記憶を呼び起こす要因となるものという認識である。だいたい、この幽世珈琲は名前の通り、幽世の存在、妖や幽霊などに使用される。人間相手には、効果が強すぎることは蓮華が飲むことで判明していた。それを神に飲ませる。想像が出来ないことであった。

「こんなケース初めてだから、分からないわよ。でも、もしかしたらもしかするかもしれないでしょ。効かなくてもいくらでもごまかせるし、お願い、試させて」

 兎渡子は、幽世珈琲で起こることを見極めたがっている。それは、彼女が見つけた新しい可能性なのだ。

「分かった。やってみろ」

「マスターの望むがままに」

 マイは、兎渡子を祝福するように微笑んだ。

 兎渡子は、オセロットに珈琲を差し出した。オセロットは、『ん?』と不思議そうな表情をする。兎渡子の後ろ、カウンターの向こう側では、マイと蓮華が料理をしている――振りをしていた。

「料理が出来るまで、時間がありますからどうぞ」

 あくまで挑戦する料理というカテゴリーではなく、間を繋ぐ一杯としての存在を強調した。

「言っておくが、我に毒物の類は通用しないぞ」

「毒なんて入れないわ。ここは喫茶店よ。それに、もし毒物が入っていても、通用しないなら安心して飲めるというものじゃない」

「確かに、そうだ」

 愉快そうにオセロットは笑い、兎渡子から珈琲を受け取った。それを確かに確認して、兎渡子はゆっくりとオセロットから視線を外さないまま、後ろへと下がった。これから何が起こるのか。まったく、未知の領域である。

「うむ、香りはまともだな」

 香りを嗅ぎ、ゆっくりとオセロットが珈琲を口に含んだ。

「・・・飲んだか」

 演技も忘れて、蓮華がぼそりと呟いた。兎渡子たちが見つめる中、ゆっくりとオセロットは珈琲カップから口を離す。黒い水面(みなも)を見つめ、『うむ』と頷く。幽世珈琲は、即効性だ。もう、効果が現れてもいいはずであるが――。

「ダメ・・・?」

 兎渡子がすがるように呟く。次の瞬間、オセロットがかっと目を見開いた。

「こ、これは・・・!」

 驚愕している。間違いなく、幽世珈琲がなんらかの作用を起こしたのだ。兎渡子は、蓮華は、マイは、これからどう転ぶのか、固唾(かたず)を呑んで見守る。

「私は・・・私は・・・」

 頭を下げて、プルプルと震えている。そうかと思うと、急に天井を仰いだ。

「私は! そうだ! 作物を育てなければならなかったのだ!!」

「はっ?」

 兎渡子の間が抜けた声が響く。

 力いっぱいそう宣言したオセロットは、くわっと兎渡子たちのほうを見ると――。

「用事が出来た。面白かったぞ、子供たちよ。では、また会おう!!」

 オセロットは、壺から飛び降りて、慌しく店を出て行ってしまった。その衝撃で、壺は転落して、粉々に砕け散る。

 残されたのは、状況がまったく飲み込めない兎渡子たち三人であった。

 

 ここは幽世喫茶。

 神様に啓示を与えることもある喫茶店・・・?

 

 

 END

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