5の後日談
『壺の中の人喰い神のその後』
「ここが喫茶店ならば、料理で我を満たしてみよ! 我を満足させることができれば、第五の太陽の下に暮らすお前達を、見逃してやろう!」 と宣言した、アステカ神話に出てくるオセロットは、 「私は! そうだ! 作物を育てなければならなかったのだ!!」 幽世喫茶の効能か、そんなことをのたまいつつ、どっかに行ってしまった。 それから、一週間――。 午前九時三十分。相変わらず、マイだけで開店の準備をしていた。マスターである兎渡子は、まだ睡眠中である。 オセロットが出現して以降、店はまた前と同じ静けさを取り戻した。オセロットの件が悪い夢であったかのように、本当に何もない日常へ。その件のオセロットであるが、現在、行方知らずである。あんなのを放っておいてはいけない――と、蓮華が探し回っているが、発見には至っていない。虎の子の感応士――人間版高機能レーダーみたいなものだと思っていただければ結構、それを使っても発見できなかった事から、二つのパターンが考えられた。 もう、どこか遠くに行ってしまった。 もしくは、感応士の能力をごまかすなんらかのシールドを展開した状態でいる。 前者であれば、『もう知らん』と言い切れるが、後者だと厄介である。また、変な騒動を起こされてもたまらないと、ここ最近、蓮華はその捜索に追われているようであった。 事の発端は、兎渡子の母親。しかし、兎渡子は『知らないよ』と、蓮華に丸投げしてしまった。そのため、幽世喫茶は平穏そのものである。 滞りなく、作業を終えていくマイ。十時開店であるが、十時きっかりに開けたとしても、客が来るのは昼頃である。それでもきっちりと十時に間に合わせる辺り、マイは真面目だ。 マイが、テーブルを拭いているとき、カランコロンと扉の鈴が音をたてた。まだ開店してもいないのに、どうやら誰か入ってきたようである。 「すいません、まだ開店時間では・・・! で、でたーーーぁ!!」 マイは、雑巾を放り投げて、カウンターの向こう側へと退避した。マイの大きな声に、店に入ってきた少年――オセロットは顔をしかめていた。 「でっかい声だな。はしたないぞ」 オセロットは、ダンボール箱を抱えて店の中に入ってきた。ダンボールは、農協のものである。声を聞きつけて、二階から慌しく兎渡子も降りてきた。 「なに?! 変質者でも出たの!」 相変わらずぼっさぼっさの髪の兎渡子も、オセロットに気付いて『ぬあっ?!』と意味不明な奇声をあげた。オセロットは、頭を抱えていた。 「年頃の女がなんという格好だ」 そう言われて恥ずかしくなった兎渡子は、カウンターの下に隠れて、顔だけ出した。マイは、そんな兎渡子の側に寄る。 「何しに来たのよ。また、人類を喰らうーとか言い出すつもり?」 「あぁ、あれはもういいのだ。今日は、我を解放してくれた礼に来ただけだ。ウチの畑で採れたタマネギと、朝採ってきた筍だ。存分に喰らうがいい」 オセロットは、以前見せたような暗い笑みではなく、少年のように活気溢れた笑みを見せた。まるで別人のように、清々しい存在となっていた。 「ウチの畑って・・・あなた、今何をしているの?」 「畑を耕している。麓の、『斉藤』という家でお世話になっているから、興味があるなら遊びに来るといい」 オセロットは、何事もないかのようにそう言ってのけて、幽世喫茶を出て行った。兎渡子とマイは、再び鳩がマメ鉄砲でも喰らったかのような顔で、それを見守ることしかできなかった。 「・・・本気で畑を耕しているの? そんな馬鹿な話・・・」 兎渡子は、信じられなかった。相手は、人類全てを喰らえるような奴なのだ。それが、地道に畑仕事をしているなんて、そうそう信じられる話ではない。しかし、ダンボールの中には、彼の言葉の通り、タマネギと筍が一杯詰まっていた。 翌日――。 兎渡子から連絡を受けた蓮華が、畦道を歩いていた。簡単に麓の『斉藤』なんていうが、この辺りは斉藤と藤木が大半を占めている。昔の有力者たちの末裔なのであろう。そのため、どの斉藤さんか分からない以上、しらみつぶしに探すしかなかった。 五件目の家を訪れた後、蓮華はそこに違和感を覚えた。オセロットは、あの姿見だ。かなり目立つ。しかも、ここ最近どこからやってきたか分からない、素性の知れない少年。そうなると、人々の口に上がりそうであるが、まったくそういうことがない。訪れた五件とも、『そんな子は見た事がないよ』と口を揃えていた。隠しているような感じではない。 「・・・広範囲に催眠をかけているのか。まったく、手の込んだやりようだな」 蓮華は、溜息を吐いて、額の汗を拭い、また歩き出した。もう聞き込み調査は終わりだ。地道に畑を回るしかない。 「しっかし、これだけ広大な場所を、一人で調べるのはしんどいなぁ・・・」 畑を探そうにも、『麓』と呼ばれる場所は、曖昧でどこを指しているかさっぱり分からない。周りは、山ばっかり。どこの畑も、『麓』の畑には相違ない。また、随分と時間がかかるかもしれない――蓮華は、山に覆われた緑豊かな風景を見つめつつ、歩き出した。 そもそも、なぜ蓮華は一人で捜索を託されているのか。それは、蓮華が所属する除霊屋、春野家の上部組織になる、九州の除霊屋を管轄している橘家からの意向だからだ。蓮華は、春野家で報告した後、橘家を恐れている老人達から、直接橘家の当主に報告しに行くように押し付けられた。その時の蓮華は、涙を溜めていた。怖いのは、老人達だけではない。蓮華も同じなのだ。 橘家。かつて全国を支配していた、最強、そして最凶の除霊屋。明治に入り、『橘家の呪い』と呼ばれる原因不明の呪いが発症し、一気に衰退、現在では九州分家、今の橘家しか残っていない。残存勢力、たったの三名。それでも、絶大なる影響力を誇っている。特に、橘家の当主である勝彦は、『橘家の鬼神』と呼ばれており、噂によれば不老不死だとか何とか。その彼の孫娘たちも、『壊し屋の椿』、『狂い咲きの櫻』なんて呼ばれているほどの、破天荒な連中である。蓮華も共に仕事をしたことがあるから、彼女らのでたらめ具合は良く知っていた。ちなみに蓮華には、そんな通り名はない。 なんで私が行かないといけないのよ。そんな蓮華の訴えは、結局一蹴されてしまった。 蓮華は、恐る恐る橘家の当主と謁見し、オセロットのことを報告した。すると、勝彦はこう言った。 「オセロットの件については箝口令を引く。蓮華、捜索はお主一人に託す」 「えっ・・・私、一人ですか・・・?」 「日本神族会に嗅ぎつけられると、厄介だ。あの町を、戦場にしたくはないだろう?」 勝彦の言葉の意味を、蓮華は悟った。日本という国は、霊的な鎖国状態である。強力な結界を張り巡らし、外部からの霊的存在の侵入を拒み続けている。それは、千年以上昔から、脈々と張り続けられた、絶対的な障壁である。しかし、これで阻めるのは霊的なものに限る。オセロットのように、壺に封入された霊的な存在は拒めない。そんな日本という国で発生した、異端の神――蓮華が調べた結果、ケツアルコアトルの分神の可能性があるほどの高位な存在を、日本の霊的な組織、日本神族会が認めるはずがない。そうなれば、『戦争』になる。あの町は、その結果地図から抹消されるかもしれない。そこに住む数万の人間と共に。それは、まさに最悪のシナリオであった。 「分かりました。全力を尽くします」 すると、勝彦はニカッと人が良い笑いを浮かべた。蓮華は、彼のそんな顔を見るのは初めてであったため、思わず体が固まってしまっていた。 「話を聞いている限りでは、何かことを起こしそうな気配はない。気負うことなく、地道に探せ。もし、オセロットが発見よりも前になんらかのアクションを起こしたならば、この私が責任を持って、対峙する。だから、君は君が持てるスキルと体力を有効に使い、仕事を遂行したまえ。無理は禁物だ」 橘家の鬼神だと謳われている割には、随分と柔らかい印象を受けた。昔からそうだっただろうか――と、考えるとやっぱり答えは『否』だ。ここ最近、機嫌がいいのかもしれない。そういうことがあって、蓮華は一人でオセロットの探索を行っていた。 兎渡子から情報を仕入れて、四日が経った朝のことである。『今林』というバス停付近を蓮華は探索していた。この町は、駅周辺はそこそこに店があるが、この辺りまで山に近づくと、びっくりするぐらい何にもない。畑と住宅街しか存在しないのである。それらがゴミゴミと一体化しているのは、昔から住んでいる土地と土地、その間の空白に新しい住宅を組み込んでいった結果なのであろう。新しいと言っても、蓮華が生まれる前の話であるが。そんな土地柄のこの辺りは、大変眺めが悪い。見渡そうとしても、すぐに住宅に視界を遮られてしまう。 蓮華は地図を広げて、住宅街を出来るだけ避けて、畑を中心に歩いていた。ある畑の横を通り過ぎた後、蓮華は足を止めた。今通り過ぎた畑に違和感を覚えたからだ。まだ何も植えていない畑。小柄な男性が鍬を持って歩いている。その男が気になった。よくよく見ると、少年のようである。しかし、タオルを首に巻いており、帽子をかぶっているため、顔が良く見えない。 今日は、平日だ。あの年頃の子は、学校に行っていなければならないのではないか。 「あの・・・すいません!」 蓮華は、意を決して話かけた。少年が振り向く。金色の瞳が、蓮華を捉えた。満月のような瞳。それを見て、蓮華は息を呑んだ。 「や、やっぱりお前か・・・!」 「ん? なんだ、いつぞやの女ではないか」 驚いてる蓮華に対して、オセロットは汗を拭いつつ、さっぱりとそう言った。汚れた作業服を身に纏った彼は、目を見なければ、本当に農業の人にしか見えないほど、この空気に溶け込んでいた。蓮華も、よく彼を見つけられたものである。 「本気で農業をしていたのか」 「本気? 我の言葉を疑っていたのか?」 オセロットは、意外そうにしている。 「人類を喰らうとか抜かしていた奴が、本気で畑を耕しているなんて・・・普通、信じれないだろう」 帽子を脱いだオセロットと共に、土手に座る。彼を特異なものに思わせるものは、今となっては金色の瞳だけ。あれほど恐ろしかった気配もなく、今は血なまぐさくもない。どちらかというと、土臭い方である。その変わり振りに、蓮華は戸惑うばかり。 「本気で、農業を続けるつもりなのか? お前の役目は、果たさないのか?」 水筒のお茶を水筒のフタに注ぎ、オセロットに渡した。オセロットは、それを『すまんな』と受け取る。そして、子供のような笑みを浮かべた。それが、蓮華には不愉快だった。馬鹿にされているような感じがしたのだ。 「何がおかしい?」 「いや、我の演技もなかなかのものだなと思っただけだ」 「演技・・・だと? どういうことだ・・・!」 語尾を強めて、睨みつける。しかし、オセロットは飄々としていた。まったく、応えていない。 「本気で我が人類を喰らい尽くせると思ったのか? そんなの無理に決まっておろう。良く考えてみろ。我は、既に失われた文明が信仰していた神の、その一部にしか過ぎん。この国の三柱どころか、中級クラスの神族にも勝てる気はせんよ。それに、人間の中にも勝てる気がしないのが混ざっているこの土地で暴れるのは、自殺行為だ。生憎、我はまだ死にたくないのでな」 もう堪らない――と、笑い転げるオセロット。蓮華の怒りのリミッターも振り切れた。 「貴様なんぞ・・・滅びてしまえ!!」 隠し持っていた小太刀を抜き、笑い転げるオセロットに容赦なく振り下ろす。それを慌てて、押し留めるオセロット。さすがに、そんなもので刺されたらオセロットも痛い。 「刃傷沙汰は、さすがにやりすぎではないか・・・?!」 「ここまで馬鹿にされて、黙っていられるか! バラバラに分解して、太平洋にばら撒く! 魚の餌にでもなりやがれ!!」 「ぬぬぬっ・・・! ば、馬鹿力め・・・! お主、本当に女か!」 単純な力は、なんと蓮華の方が上であった。このことには、さすがにオセロットも焦った。しかし、彼は禁句を口にしたことには気付いていなかった。蓮華の力は、次の瞬間、さらなる増大を見せた。 「・・・女だよ。馬鹿力で悪かったな! 体の中にモグラが住めるぐらい、ボコボコに穿つ!!」 二人の小競り合いは続いた。蓮華は、気付いていない。オセロットの上に覆いかぶさり、小太刀を振り下ろしている姿は――どう見ても、か弱い少年を襲っている痴女でしかなかった。 「お、おれんさん・・・おれんさんが、男の子を襲ってる・・・け、警察に連絡しなきゃ!!」 「んあぁ?! って、マイ?! なんでここに?!」 そこにいたのは、マイだった。彼女はオセロットのことを知っているが、彼女の場所からでは死角になってオセロットの顔は見えなかった。そう、少年を襲っているようにしか見えないのだ。そのため、マイの顔は真剣に青ざめていた。そのことに気付いて、蓮華も焦った。慌てて小太刀を放り投げ、立ち上がったが、それに怯えてマイは逃げ出してしまう。 「マイ、待て! 誤解だ! 誤解なのよ! 待ってよ! 本当に・・・警察はやめてぇーー!!」 泣き出すと、蓮華の本当の顔が表に出てくる。彼女はオセロットを放って、マイを全力で追いかけた。その結果、マイは全力で逃げ、結局幽世喫茶まで二人でフルマラソンする羽目になった。 オセロットに、橘家の決定が伝えられたのは、次の日のことだった。そして、蓮華はこの時から、『ショタコン』のレッテルを貼られる羽目となるのであった・・・。 END
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