『割れた思い出』





 とてもけたたましい音がした。火花が散って、視界がぱっと開く。

 蒼穹の天幕に伸ばした己の手が、確固たる形を持っていることに気付いた時――。

 『それ』は、全てを忘れた。

 

 

 厄神社、そこは山に(おり)積もる(けが)れを集積する場所。現在、そこの主として収まっているタカは、境内(けいだい)で寝そべっている少女がいることに気付いた。白髪で、年の頃は十四、五歳程度か。透けるような白い手を空にかざし、隙間から青い空を見つめている。

「・・・なにか、見えるのか?」

 タカは、誰もお金を投げ込まない賽銭箱の前に座り、話かけた。少女は、ゆっくりと視線をタカへと動かす。

「・・・なにも」

「どこから来た?」

「知らない」

「名前は?」

「・・・ない」

 少女は、関心を失ったのか再び空を見上げる。緩やかに白い雲が流れ、初夏の風が優しく頬を撫でていく。草が、さわさわと鳴る。タカはしばらくの間少女を見つめていたが、何も進展がないため、同じように空を見上げた。

「・・・いい天気だな」

 その呟きを聞いたのは、駆け抜けた風だけだった。

 

 夕暮れ時。相変わらず、誰もいない幽世(かくりよ)喫茶に客が来た。

「いらっしゃい」

 ぶっきらぼうに答えるマスターの兎渡子(ととこ)と。

「いらっしゃいませ」

 愛らしい笑みで迎えてくれる、マイセンカップの(つく)喪神(もがみ)、マイ。タカは、二人に挨拶した後、(くだん)の少女を店の中に招き入れた。

「誰?」

「厄神社に迷い込んできた。何も覚えていないらしい」

 兎渡子は、嬉しそうに微笑む。

「そう、すぐに珈琲を淹れてあげる」

 兎渡子の珈琲には、記憶を呼び覚ます不思議な力がある。

 いつものようにタカはカウンター席に腰をかけ、隣に白髪の少女も座る。兎渡子が淹れた珈琲を、マイが運ぶ。

 先に、タカがコーヒーを飲んだ。うっすらと笑い、視線で『飲んでみろ』と促す。黒い水面をしばらく見つめた後、少女は恐る恐る珈琲に口を付けた。

「・・・苦い」

 彼女の感想は、それだけだった。

「ちょっと、ゴメン」

 兎渡子が、白髪の少女が口を付けた珈琲を含んだ。こうすることで、少女が見た光景を見ることが出来るのだ。

 しかし――。

「・・・何もない」

 驚いたように呟く。

「そんな馬鹿な話が・・・」

 今度は、タカが口に含む。結果は同じ。やはり、何も見えない。タカは、あまりのことに黒い水面から目が離せなかった。

「マスター・・・?」

 マイが説明を求めてくる。兎渡子は、椅子に座りなおしてしばらく考え込み、そしていくつかの可能性を見出す。

「元々記憶が存在しないか、記憶が深く沈みすぎて上がってこないのか」

「記憶が存在しないという事はない。大体だが、彼女は生まれて三から四年は経過している。やはり、この珈琲の効果には個人差があるようだな」

 タカは、感じていた事を口にした。兎渡子が、不思議そうにする。兎渡子自身も、幽世珈琲の特性を全て把握しているわけではないのだ。

「どういうこと?」

「ここの珈琲を飲んで、記憶が一気に復元したという話を幾度か聞いたことがある。だが、私にはそこまでの効果はなかった。私が背負う穢れのせいかと思っていたが、そうではない。幽世珈琲は、対象者の思いに反応するのだろう。私のように、記憶の深遠にあるなにかを恐れているような奴には、気を利かせて全てを赤裸々に明かしたりはしないようだ」

「つまり、彼女は何かを恐れている・・・そういうこと?」

 兎渡子が、白髪の少女へと視線を移した。彼女は、感情のこもらないガラスのような瞳で見つめ返してくる。

「幽世珈琲は、効果が蓄積する。私も、少しずつであるが捨て去った記憶が戻りつつある。その中には、思い出したくもなかったことまで混ざっていた」

 タカは、苦笑している。

「しばらく、この子を預かってくれないか? あの場所にいては(まが)ってしまう。それに、何も思い出せないというのも、少しかわいそうだ」

「世話好きね・・・」

 兎渡子は、苦笑した。勝手に話を進めているが、そこに当の本人が介入していない。兎渡子の苦笑は、それを評価したものだった。

「どうする? あんなこと、言っているけど?」

 白髪の少女は、ゆったりとした動きで首を右側に(かし)げた。

「・・・居場所を提供してくれるなら、私は、どこでもいいよ。ここ、居てもいいの?」

「部屋ならいくつでも空いているし・・・」

「あの、この苦いのなんとかならない?」

 兎渡子の言葉を遮って、白髪の少女は珈琲カップを兎渡子の前に突き出した。兎渡子は、それがおかしくて笑った。

「マイ、ミルクと砂糖、モリモリで追加してあげて」

「はい、でもモリモリは体に悪いですよ」

「私たち妖に、悪いも良いもなかろう。糖尿病も高血圧も塞栓症も、無関係な存在だからな」

 タカが、そんなことをのたまう。

「最近の事例で、砂糖を摂りすぎた妖が、人間としての情報を維持できなくなり、砂糖の姿になってしまったというのがあったぐらいだから、あなた達妖も、暴飲暴食は避けたほうがいいと思うわよ」

「・・・それは、確かにありえない話ではないか」

 途端、深刻そうな顔をして、タカは珈琲を啜った。妖は、その性質でいくつかに分類されているが、ほとんどが情報の塊である。食物を摂取するという事は、情報を摂取するという事。情報としての基盤が歪めば、姿も歪んでしまうのだ。

「そうだ、名前を決めないとね」

「名前・・・」

 その尊い響きを口にした白髪の少女の表情に、僅かに燈る期待。初めて見せる表情だった。

「名案だな。兎渡子殿は、なんと付ける?」

「う〜ん・・・」

 兎渡子は、白髪の少女をひとしきり観察して、相応しい名前を導き出した。

「決めた。あなたの名前は、今日から『マヨネーズ』よ!」

「ま、マヨネーズ? そんなのダメです!」

 マイが全力で否定した。

「マヨネーズだと・・・兎渡子殿は、愉快過ぎる・・・!」

 笑うタカ。マイは、『笑い事ではありませんよ』と怒っていた。

「私がつけます。マヨネーズなんて、あんまりです」

「私、別になんでもいいよ」

「って、言っているわよ」

「良くない! 良くないもん! そんなの可愛くないもん!」

 普段、とても大人しい彼女が、地団太を踏んでいる。よっぽど納得が行かないのだろう。兎渡子も苦笑していた。

「はいはい、好きな名前を付けてあげなさい」

 そんなこんなで、マイが必死に名前を考えた。その結果、白髪の少女の名前は『リリィ』となった。白い髪が、白いユリを連想させるとのことでの命名である。

「リリィ・・・それが私の名前。ありがとう」

「私はマイ。よろしくお願いします、リリィ」

 マイが笑うと、それに倣ってリリィも同じように笑みを浮かべた。

 

 その次の日の午後。

 幽世喫茶に立ち寄った兎渡子の旧友である蓮華は、その活況振りに驚愕した。

「なんじゃこりゃぁーー!!」

 全ての席が埋まっている。こんな幽世喫茶、見たのは初めてであった。

「あ、おれんさんだ。いらっしゃいませ」

「・・・いらっしゃいませ」

 いつものメイド服であるマイ。頭には何故かネコミミが。

 そして、新人のリリィもメイド服を着て、何故か、頭にはウサミミが。

「責任者を呼べ!!」

 蓮華は、今日も叫んでばかりである。

 額を(さす)りつつ、案内されたカウンター席へと腰を落ち着かせる蓮華。叫んだ直後に、兎渡子が投擲(とうてき)した中華鍋の直撃を受けたのだ。少し、涙目になっているのはそのためである。

「どういうことなんだ、この変質者め」

「随分な言葉ね。私の営業努力が実を結んだだけよ」

「・・・ただのメイド喫茶じゃないか。だいたい、あの変なのはどこから()いた?」

「リリィよ。タカから預かっているの。珈琲、普通のでいいんでしょ?」

「あぁ、頼む」

 兎渡子は、黒い手袋を付けている。彼女の力は指に宿っており、それを封じるためのものだ。幽世珈琲を量産したら、店の雰囲気が葬式のようになってしまう。そのため、一般客には普通の珈琲を提供しているのだ。

 蓮華に珈琲を淹れた後、事の経緯を簡単に説明した。

「また厄介ごとを背負いやがって・・・」

「店は繁盛しているわよ。ただ・・・」

 兎渡子の顔が憂う。

「何か問題があるのか?」

「どいつもこいつも、珈琲一杯で何時間も粘るから、回転が悪いのよ」

「・・・味で勝負しろ!」

 夕方五時。一般客が全て捌ける。ここからは、妖の時間だ。夕暮れを背負い、常連客のタカがやってきた。

「出たな」

 喧嘩腰の蓮華。タカは、珍しいと笑う。

「なんだ、負け犬がいるのか」

「負け犬だと?! 私は、お前に負けたつもりはない!」

「あそこまでされて、負けを認めないのか。つくづく面白い女だな」

「三枚下ろしだ・・・! 雑種の犬にでも、ワフワフ喰われやがれや!」

 兎渡子は、暴れだそうとした蓮華に鍋を投げつけて鎮圧した。頭を抱えながら席に戻ってきた彼女に、兎渡子は冷ややかな視線を送る。

「中学生の時の恥ずかしい日記、朗読するわよ」

「・・・ごめん、大人しくしてる」

 タカは、いつものように幽世珈琲を注文する。リリィも彼と共に席に着き、幽世珈琲を口にした。

「少しは進展があったのか?」

「少しはね」

 答えたのは兎渡子。彼女の飲んだ珈琲を口に含んだ後、タカに渡した。

「・・・ほぉ、風景が浮かぶようにはなったのか。しかし、ここはどこだ・・・?」

「畑と田んぼ、まだらな住宅街に、あとは山ばっかりね」

「貸してみろ」

 タカから、珈琲を奪い取る。しかし、飲む寸前、蓮華の動きは止まった。

「・・・お前、どこに口を付けた?」

 蓮華の言葉の意味を、タカはちゃんと理解した。それが、笑みとして表に出てくる。

「さぁな。忘れた」

 タカを睨みつけ、それからキッチンペーパーでフチを全て綺麗に拭き取る。兎渡子も呆れていた。

「そこまでしなくても・・・」

「薄気味が悪い」

 タカは、それを聞いてまた笑っている。意外と、蓮華の事を気に入っているようだ。

「・・・やけに不鮮明だな。確かにこれじゃ、どこか分からない」

「まだ、時間はかかりそうね」

 リリィは、完全に蚊帳の外。

「マスター、砂糖とミルク、モリモリでお願いします」

「だから、モリモリはダメなんですってば!」

 幽世喫茶に、賑やかな笑い声が響く。

 

 三日後。

 マイとリリィのおかげで、客の入りが増えた幽世喫茶。今日も盛況である。夕方五時。妖専門となるこの時間帯に、蓮華がやってきた。

「兎渡子、今日は専門家を連れてきた」

 蓮華が連れてきたのは、メガネをかけた綺麗な女性。上品に頭を下げている。兎渡子は、その人を知っていた。

玖史(くし)さん」

「お久し振りです、兎渡子様。お元気そうで」

 その言葉には、実感がこもっていた。兎渡子も彼女を笑顔で迎える。

「お久し振りです。お店は、盛況ですか?」

「ボチボチですね」

「マスター、この方は?」

 マイが説明を求めてくる。

「ガラクタ堂という骨董品を扱うお店の店長さんよ。見ての通り、マイと同じで付喪神」

「可愛い付喪神さんですね。私は、玖史。皆様は、『ガラクタ姫』と私を呼びます」

 マイと握手し、その手をブンブンと上下に振っている。

「ま、マイです。初めまして」

「鑑定して欲しいのは、この子?」

「いや、アイツだ」

 テーブルを拭いているリリィを指差す。玖史の視線に気付いて、リリィは頭を下げた。

「これはこれは・・・可愛いですが、やけに異質な気配の持ち主ですね」

「付喪神の一種である事は、間違いないのだろう?」

 蓮華は、リリィが付喪神ではないかと推測し、専門家の玖史を呼んできたのだ。

 テーブルを挟んで、リリィと玖史は向かい合う。蓮華や兎渡子は、それぞれ思い思いに椅子に腰掛けていた。あとから合流したタカも経緯を見守っている。そして、マイはリリィの側に立っていた。

「この珈琲、とても面白いわね」

 玖史は、兎渡子の幽世珈琲を、とても嬉しそうに飲む。気に入ってくれたようだ。

「そう言ってもらえると、嬉しいわ」

「兎渡子さんの奏でる音色は、いつも素敵ですわ」

 珈琲カップを置く。リリィをしばらく凝視した後、玖史は鑑定結果を口にした。

「・・・付喪神で間違いないでしょう・・・多分」

「多分? やけに曖昧だな」

 蓮華の言葉に、玖史は困ったような顔をしていた。

「気配が、私たちとは違いすぎます。気配だけで言うなら、そちらのタカ様と非常に似ております」

「俺に? そこまで彼女が穢れているとは思えないが」

「穢れは、上に覆いかぶさるかさぶたです。タカ様も、こちらのリリィ様も本質は、きっと『神』ですわ」

「コイツが神?! あぁ、タタリ神か! うわ、性根が腐っているのはそのせいか!」

「性根の腐り具合を、負け犬に言われるのは心外だな」

「誰が負け犬か!」

「はいはい、喧嘩するなら外でお願いね」

 場が静まったので、玖史が続きを話す。

「そして、私たちと同じ、付喪神であることも・・・多分、間違いありません」

「そこが曖昧な理由は?」

「彼女の依代(よりしろ)が見えません。ぼんやりと形は見えるのですが・・・」

 紙とペンを借りて、玖史はそのぼんやりとしている形を描き出した。それは、ゴツゴツとした岩のようなものだった。

「・・・石なのか?」

「待て。石に宿る付喪神なんて、聞いたことがない」

 蓮華の言葉を、タカが否定する。

「そうね。ただの石なら、しめ縄で無理矢理くくりつけてでもしないと、宿らないわね」

 兎渡子も、タカの意見を肯定した。

「彼女の気配は、タカ様と私たち付喪神の気配を混ぜ合わせたようなものです。もしかしたら、何かの欠片に宿っているのかもしれません。はっきりと見えないのは、彼女自身がはっきりされていないからだと思います。ごめんなさい、私ではあまりお役に立てそうにありませんわ」

「長期戦必至だな」

 蓮華がぼそりと呟いた。

 

 日が完全に沈み、眩く星々が煌きだす。リリィは、この時間帯必ず外にいた。材木に腰掛け、右手を掲げている。

「・・・ここから見上げる空は、綺麗でしょ?」

 兎渡子が話しかけると、リリィは彼女のほうへと視線を動かした。

「私は好きです」

 リリィは、上手に微笑むことができるようになっていた。兎渡子は、彼女の隣に腰をかける。

「リリィは、ここが好き?」

「はい」

「そっか・・・やっぱり、そうなんだ」

 兎渡子の言葉が含む意味、それをリリィは察していた。

「・・・ごめんなさい」

「謝る事なんてないわ。私も、リリィがいてくれて助かってるし。もう止める? リリィとして、ここにいる?」

 リリィは、答えず俯いている。それが、全ての答えだった。

「なら、恐れる必要なんてないわ。あなたは、リリィ。どんなオプションが付いたとしても、それは変わらないわ」

「・・・本当に恐れているのは、その事じゃないと思います」

 リリィは、何かを覚悟したのか、ぎゅっと拳を握った。

「分からないのが怖い。私は、とても怖い。知りたくないけど、知らないといけない。私には、分からない」

 リリィが抱えているものは、一枚岩ではないようだ。彼女の本音は、『知りたくない』。だが、彼女は同時に『知らなければならない』という強迫観念が備わっている。その相反する思いが、彼女を困惑させているようだった。

 兎渡子は、リリィを抱きしめた。

「・・・ごめん」

 リリィに伝えるべき言葉がない。リリィは、静かに首を横に振る。言葉がなくても、兎渡子の温もりはリリィの心を穏やかにさせた。

 甘えていてはいけない。前に進もう。そして、改めてリリィとして兎渡子たちに向かいいれてもらおう。

 リリィは決心した。

 その決心が、幽世珈琲の効果を高めたのか。次の日の夕方、リリィは鮮明なるビジョンを見る。それは、彼女にとってとても懐かしいビジョンだった。

 幽世珈琲を飲んで変化したリリィの表情を見て、兎渡子は思わず身を乗り出していた。

「もしかして、見えたの?」

 リリィは嬉しそうに微笑み、珈琲カップを兎渡子に渡した。幽世珈琲を通じて、目の前に広がる光景。やはり、山と田んぼばかりである。

「リリィ、これはどこなの?」

 リリィが首を傾げる。見えたからといって、記憶が戻るわけではないようだ。

「貸してみろ」

 次にタカが珈琲を口に含む。しばらく考えた後、彼も首を捻った。

「・・・分からん。なんの特徴もない、見事な田舎だな」

「役立たずだな。貸せ」

 タカから珈琲カップを奪い取る蓮華。飲もうとしたが、その前にやっぱりキッチンペーパーでフチを拭く。

「・・・朝倉じゃないか」

 タカと兎渡子の目が点となる。蓮華は、珈琲カップを兎渡子に渡した。

「店が見えるだろう?」

「店? ・・・あ、確かにあるわね」

 田んぼと住宅街。その中に、一軒だけ(おもむき)の違う建物が混ざっていた。

「仙茶屋だ。昔、一度だけ行ったことがある。チキンカツを、自分でハサミで切り分けさせる、変わった店だよ。一度、兎渡子を連れて行こうかと思っていたんだが・・・」

 ゴホンと咳払いを一つ。何かをごまかしたようだ。

「とにかく、そこは朝倉だ。場所は私が知っている。後は、現場でリリィに似た人を探すだけだな」

 ガラクタ姫の玖史が、有益な情報を一つ残していった。

 付喪神に限らず多くの妖は、人の形になる際、実際の人間をモデルとする。マイは、ずっと昔の持ち主の姿をモデルにしているし、玖史も昔の所有者の姿をモデルにしているとのこと。リリィも、誰かをモデルにした可能性が高いのだ。

「・・・リリィ」

 兎渡子に呼ばれた彼女は、静かに頷いた。迷いはない。

「マイ、準備をお願い。今回は、一緒に行くわよ」

「はい、マスター!」

「兎渡子殿、これを持っていけ」

 タカが、ポケットから小さな木で作られた笛を取り出した。鎖が通してあり、首からかけられるようになっている。

「兎渡子にいかがわしいものを渡すんじゃねぇ!」

 蓮華が取り上げようとしたが、受け取った兎渡子がそれを軽く避ける。ついでに、お盆で顔面をはたいておいた。

「笛? どんな効果があるの?」

「必要ないかもしれないが、もしものことがある。それを吹けば、どこにいても駆けつける。私の力が必要となったら、吹いてくれ」

「ありがとう。本当、世話好きね」

 タカは、優しく笑っていた。

 

 翌日、蓮華が運転する車で、朝倉へと赴いた。とりあえずは、仙茶屋で食事である。

「・・・うどん屋なのに、何故にチキンカツなの?」

 食後の兎渡子の感想。仙茶屋は、うどんやそばがメイン。しかし、オススメはチキンカツという不思議なお店だった。

「兎渡子の店でもやってみたらどうだ? 例えば・・・喫茶店なのに、精進料理」

「喫茶店なのに中華。というのはどうでしょう?」

「中華も精進料理も作れません。ウチは、珈琲の味で勝負しているの。余計なものはいらないわ」

「コスプレ店員は、余計なものじゃないのか?」

「コスプレ? マイは、いつもこの格好よ」

「ネコミミとかウサミミとかは、余計なものじゃないのか?」

 蓮華も負けない。わざわざ言い直す。

「マイのネコミミなんて、いつものことじゃない」

「今付いてないだろうが!!」

 蓮華と兎渡子は、いつもこんな調子である。

 タカの言葉が正しければ、リリィは三から四年前に発生した。リリィがモデルにした女の子も、それだけ年を重ねている。たかが三から四年、そんなに姿ががらりと変わるはずがない。すぐに見つかるはずだ。兎渡子たちは、楽観していた。しかし、現実はそこまで甘くはなかった。

 なんの手がかりも得られないまま、二日が経過した。

「・・・これが、日本が抱えている問題なのか」

 蓮華が、疲れてバス停の椅子に座り込む。兎渡子もその隣に座った。

「よく考えたら、私も、昔は隣に誰が住んでいるかなんて、全く知らなかったわ」

「さすがにそこまではないが、分かるのはせいぜい隣三つぐらいまでだな。リリィは、白髪だし、年も違うし、よっぽど仲が良くないと本人までは辿り着けないか」

 マイは、団扇で二人に風を送っている。少し離れた所で、リリィは空を見上げていた。

「・・・怖い?」

 リリィが振り向く。彼女は、この朝倉に来てから、元気がなくなった。知る事に恐怖を覚えていたのだから、当たり前かもしれない。

 リリィは、首を横に振った。

「大丈夫です」

 彼女が無理をしているのは、明らかだった。だが、決意した彼女に、余計な事を言う必要はない。

「もうひと頑張り、しましょう」

「そうだな」

 文句一つ言わず、蓮華も付き合ってくれる。その日も、日が沈むまで地元の人に聞き込みを続けた。しかし、そんな苦労も虚しく、なにも情報を得ることが出来ずじまいだった。

「・・・明日からは、学校を回りましょう」

 小さな川の土手。兎渡子が、力なく石を投げ込んでいる。蓮華も真似して、川に石を放り込む。

「そうだな。ざっと見たところ、二つしか学校がなかったし、今度こそ何か見つかるだろう」

「たまたま通りかけた観光客ではないことを、祈りたいわね」

「そうなると絶望的だな」

「・・・明日」

 リリィが、ぼそりとそう呟いた。彼女は、マイと共に土手に座っている。全員の視線が、リリィに集まった。

「明日まで、探して分からないなら、もう・・・このままで。このままでいいです」

「リリィ・・・」

 マイが心配そうにしている。そんな彼女を安心させようと、リリィは微笑んだ。

「今のままでも支障はないから。過去がなくても、私にはマイや兎渡子さんとの思い出があります」

 そんな折、自転車のブレーキの音が聞こえた。真上の道路に、高校生ぐらいの少女がリリィを見つめていた。その顔立ち――。

「あっ!」

「いやがった!」

「いましたよ!」

 最後にマイがそう言いながら、リリィの裾を引っ張り揺り動かした。

「本当に私そっくりな人がいた」

 少女の呟き。

「あなたに訪ねたいことがあるの」

 兎渡子たちは、少女を連れてすぐ近くのファミレスに移動した。少女の名前は、倉橋智子。二日前、友達から智子に似ている子を見つけたというメールを得た彼女は、その真相を知るべく探していたとのこと。

「お父さんかお母さんの隠し子じゃないかと思っていたんだけど・・・」

「おれん、彼女に書類を」

 兎渡子に言われて、蓮華が一枚の紙を取り出し、智子に差し出した。

「ここに書いてあることをしっかりと読んで理解し、承諾できるならサインと拇印を」

 書類には、『除霊屋要綱隠匿承諾書』と書かれてある。蓮華や、兎渡子は『元』になるが、どちらも除霊屋と呼ばれる組織に所属している。除霊屋とは、『(ことわり)から外れしモノたちを調整する者』たちの総称。理から外れたとは、例えば付喪神やタカのような妖の事。ようは、常識外れの存在を指す。彼らのことは、除霊屋に関わりがない人には隠匿されている。一般人である智子に、普通なら事情を話すことは出来ない。だが、承諾書を得ることで、特例となり話すことが出来るのだ。当然、承諾した以上、書類に記されている内容を守らなければ、重いペナルティが科せられる。

「よく・・・分からないけど、サインしないと話してもらえないんですよね?」

「今から話すことを口外しなければ、なんの問題もないものだ。ただ、口外した場合はそれなりのペナルティが発生する事さえ、理解していればいい」

「・・・うわ、記憶の抹殺とか書いてある」

 ペナルティを読んでたたらを踏んだ智子であるが、その後あっさりとサインをした。実感が伴っていないためであろう。

「ご協力感謝する。これ、控えね。サインしたから言うけど、除霊屋という組織は冷酷よ。情報を隠匿するために、命を奪うことさえある。あなただけの問題ではなく、口外した相手すべてにペナルティが科せられること、ゆめゆめ忘れないように」

 蓮華の迫力に、智子はたじろいだ。今更ながら、簡単にサインして良かったのかと、後悔していた。

「おれんが言っていた通り、口外しなければただの紙切れよ」

 兎渡子は、リリィのことについて説明した。

「・・・人間じゃ・・・ないんですか?」

 リリィもマイも、傍目から見ると人間にしか見えない。智子としては、兎渡子の話も眉唾にしか聞こえない。

「なにか心当たりはない? よく行っていた場所でいい。教えて欲しいの」

 話を進める兎渡子。智子が信じようが信じまいが、関係ない。必要なのは、彼女が持つ情報だ。

 智子は、リリィを見つめていた。リリィも、そんな彼女を見つめ返す。お互いになにか感じる所があるようだ。

 ゆっくりと、なにかに気づいた智子。目を少し大きく開け、『まさか』と呟く。

「心当たりがあるの!」

 気が急く兎渡子が、声を荒げた。それを、蓮華が抑える。

 急に暗い表情になった智子は、兎渡子のほうに顔を向けて、重々しく頷いて、『はい』と呟く。

「・・・私の叔父は神主をしていて、最近、神社を移転させました。道路の拡張工事のために、土地を譲ったんです」

「先祖代々守ってきた聖地を譲っただと?! なんて罰当たりな!」

 蓮華は、驚いている。智子は、苦笑いする。蓮華の言葉の意味が、よく分かっているからだろう。

「必要とされている土地を、必要としている人に託す。神社は、どこでもやれる・・・と叔父は言っていました。私も反対したんです。やっぱり、一般的な意見ではないですよね」

「まぁ・・・時代の流れとしては、そんなものかもしれない。その神社を移転させた際、なにかトラブルでもあったのか?」

 智子の暗い表情が示すもの。その答えを、蓮華は導こうとした。智子は、一旦リリィを見た。それから頭を下げた。まるで、謝るように――。

「狛犬が一体、移動中に落ちて・・・壊れてしまったんです。リリィさんを見ていたら、その狛犬の事を思い出しました」

 兎渡子は、智子が与えた符号と玖史が与えてくれた情報を頭の中で統合させていく。かちりかちりと、上手い具合にはまっていく。

「・・・リリィの本体が『石』みたいなものだった。つまり、それは狛犬の欠片が付喪神へと変化したから。そう、そういうことなのね」

 兎渡子は、リリィに視線を転じる。リリィは、顔色一つ変えていなかった。初めから知っていた――そんな顔。

「少し、思い出しました。多分、間違いないと思います」

 淡々と語る。

「ありがとうございました」

 リリィは、嬉しそうに笑った。これで、終わりだとばかりに。ただ、その表情の影に隠れるように、余分な何かがぶれていた。それを兎渡子は、見逃さなかった。

 

 深夜――。

 リリィは、こっそりとログハウスから出てきた。記憶を取り戻して、分かったことがあった。

 ログハウスを見つめるリリィの瞳は、悲しみに揺れる。兎渡子たちと過ごした僅かな日々。それは、本来得ることが出来なかったはずの、夢のようなものであった。いつまでも夢を見ることが叶うというならば――迷いを振り切るように、ログハウスに背を向けた。

 すると――。

「兎渡子の言う通りだったな」

 ログハウスから出てすぐの所に、蓮華がいた。彼女の車のエンジンはかかっており、車の中には、兎渡子とマイの姿も。

 驚くリリィに、兎渡子は車の助手席から話しかける。

「表情の機微には鋭いのよ」

「無駄に察しが良いからな」

「お気持ちは嬉しいですが、この問題は私自身だけのものです。皆様を巻き込むわけにはいかない」

 冴えない表情で、リリィが言う。

「確かに私たちは、外野でしかない。でも、私たちは私たちの意志で、リリィの手助けをすることを決めたの。それだけの話よ。何も難しい話じゃないわ」

「友達のために、出来ることはしたいだけです」

 マイが、リリィに微笑みかけた。

 『友達』――リリィは、その言葉の優しさに逆らえなかった。

「皆さん、お人好し過ぎます」

「そうでもないわよ」

 兎渡子は、楽しげな表情でそう答えた。

 蓮華の車で、移転した神社へと赴いた。時刻は、一時を回っている。薄暗い境内。真新しい鳥居を潜ると、狛犬が一体だけ右側に置いてあった。左側には、なにもない。

「この真新しいのが、リリィと対になる狛犬なの?」

「いいえ、それは違います」

 リリィは、あっさりと言い放つ。

「違う?」

 蓮華が聞き返す。

「それにはまだ何も宿ってはいません。もう一人の私の気配は・・・こっちです」

 リリィは神殿へと進み、そして迂回していく。細い獣道から森の中へと入り込み、ゆるやかな登り道を上がっていった。

 比較的新しい獣道だ。しっかりと踏み固められており、(わだち)もある。真っ暗で先が全く見えない森の中を、リリィは揺らぎなく進んでいく。きっと彼女は、目に見えないものを辿って進んでいるのだろう。

 獣道に入って、二十分ほど。ようやく、少し開けた所へと出た。まばらな月と星々が、その空間を怪しげに浮き彫りにする。真新しい社が奥に一つあり、その前にこれまた一体だけの狛犬が置いてある。神社で見た狛犬よりも、随分古いように見えた。

 リリィ以外の全員が眉根を細め、口を塞いだ。凄まじい瘴気が満ちていたからだ。

「マイは、少し下がっていなさい!」

 マイが、頷いて下がる。彼女は、純粋な付喪神だ。穢れてしまえば、もう元には戻れない。

「あれが、もう一人のあなたなのね?」

 兎渡子が尋ねると、リリィは重々しく頷いた。

『ヒトだ・・・ヒトが・・・キタ・・・』

 ずるりと黒い煙が、狛犬から現れる。ぎょろりと光る金色の獣の瞳。それは少しずつ姿を整え、最終的には優に三メートルを超えようかというほど大きな、黒い犬の姿を取った。

「相方を破壊され、その憎しみと悲しみで禍ったのか」

 蓮華は腰を沈めて、刀の柄に手を置く。リリィが、前に出た。

「私は、ここにいるよ! ちゃんと戻ってきたよ!」

『破壊スル・・・我ガ受ケタ痛ミ・・・知レ!』

「興奮している相手に、理を唱えた所で無駄よ!」

 兎渡子が、リリィの肩を引いて下がらせた。

「おれん、鎮めるわよ!」

「鎮めるのは構わないが、兎渡子、武器は?」

 不思議そうにしている蓮華に、兎渡子は珈琲の入った水筒を高く持ち上げてみせた。蓮華の表情が、歪む。

「またそれかよ!」

「幽世珈琲で成せる事を見極めるのよ」

 口論している暇はない。

「どうなっても知らんからな」

 刀を抜き、蓮華が突進していく。刀に己の力を託す。薄く青白く光る刀身。今、刀は情報を断ち切る力を有した。肉体を有していない相手に、物理的な攻撃は通用しないが、『妖を斬る』という思いは情報となり、斬れない相手を断ち切ることができるようになる。

 妖の遠吠え。草木がねじ伏せられ、瘴気が爆発的に広がる。それを刀で振り払い、蓮華は高く飛んだ。

「おらぁ! 開きにしてやるぜぇ!!」

 大上段からの一撃は、妖が展開したシールドに阻まれ、青白い火花を放つ。

「くっ・・・硬てぇ・・・!」

「正面は無理よ! サイド、サイド!」

「そんな簡単に行くか! って、うわっと!」

 妖が口から放った青白い光を慌てて避ける。そこに、妖の尾が振るわれた。まったくの死角からの攻撃。蓮華は反応しきれなかった。弾き飛ばされ、木に激しく打ちつけられる。

「くっ・・・いてぇ・・・」

 なんとか立ち上がろうとしているが、ダメージは筋肉全体に広がっていた。蓮華の立とうとする意思に、体が応えない。妖が口を開き、追い討ちをかけてくる。絶望的な、漆黒の(かま)――。

「おれん! 札!」

 兎渡子が、妖の前に幽世珈琲の入った水筒を放り投げた。蓮華は懐から一枚の札を取り出す。

「爆符、行け!」

 名を呼び、符を起動させ、命令を出す。符は、名を呼んだものの命令を全うする性質がある。蓮華の指から離れた符は、水筒に直撃、激しく爆ぜた。

 幽世珈琲が煌き、踊る。それは爆発で怯み、口を閉じた妖の体内へ――。

『ガァァァァァァァ!!』

 妖が頭を大きく振り、仰け反りながら、後退していく。その苦しみ具合に、水筒を投げた兎渡子も、思わずたじろいでいた。

「・・・苦しんでいるぞ」

 刀を杖代わりにして、立ち上がる蓮華。兎渡子の袖を、リリィが引っ張る。

「どうなったんですか?」

「・・・ごめん、今はちょっと私にも分からない」

 リリィの手を優しく制し、兎渡子は苦しむ妖に近づいていく。蓮華が焦る。

「迂闊に近づくな!」

「大丈夫よ」

 背を向けたまま、兎渡子は蓮華に手を振った。その直後――。

『人ガ・・・憎イ・・・!!』

 妖の右の前足が、兎渡子を叩き潰した。

「うっくっ!」

「兎渡子! 言わんこっちゃない!」

 力を振り絞って駆け出す蓮華であったが、それに対して妖は遠吠えを放った。それはただの遠吠えではない。音が力を持って、現実世界に干渉してくる。蓮華はその力に抗えず、弾き飛ばされた。

「どうして・・・? どうして効かないの?!」

 体重をかけられ、肋骨が軋み、空気が強制排出される。妖が、ゆっくりと顔を近づけてくる。

 金色の瞳から、涙がこぼれていた。

『幸セダッタ・・・モウ・・・戻ッテ来ナイ!』

 その言葉に、リリィがはっとした。

「効いてないわけじゃない・・・かつての思い出が、悲しみを加速させている。もう、止めて! 私は、私はここにいるよ!」

「来ないで!」

 近づこうとしたリリィを、兎渡子が止めた。首にかけていたタカからもらった笛を咥え、一気に息を送り込む。

 ピリリリリリリ――闇夜に響く笛の音。ほんの僅かな間。バサリと翼が翻る音が響いたかと思うと、上空から巨大な鳥が急降下してきた。

『我ノ女カラ、離レロ!!』

 妖の巨体に頭から突撃し、兎渡子から引き離す。二匹の巨大な妖は、絡まりぶつかり合う。

「あれがタカか・・・なに勝手に兎渡子の所有物を名乗ってやがるんだよ」

 マイに支えられて、蓮華が立ち上がる。刀は吹き飛ばされた時に落としたため、今は持っていない。代わりに、マイに所持させていた黒いケースを持っていた。

「兎渡子! 使え!」

 黒いケースを地面に置き、足で蹴り大地を滑らせる。石にぶつかりバウンドした黒いケースは、兎渡子の近くに落下し、バカンと開いた。中に入っていたものを見て、兎渡子の瞳が戸惑いに揺れた。

 バイオリンだ。真新しいため、蓮華が何かの機会で買ったものだろう。

「アイツを鎮めるためには、もうそれしか手はない! 兎渡子の音色を聞かせて!」

 現在、妖はタカが抑え込んでいる。このまま放っておけば、どちらかが消滅するのは間違いない。今の彼らに、『抑制』という単語はない。

 蓮華が、マイが、リリィが――見つめる中、兎渡子はバイオリンを手に取った。チューニングもしている暇はない。どんな音かも想像できない。だが、兎渡子の指は、どんな形でも、妖に届く音色を紡ぎ上げる。弓を手に取り、弦の上に重ねる。

 指が震えていた。兎渡子は、バイオリンを一旦捨てた。弾けるのか。いや、弾かざるを得ないのが現状だ。その圧力に、兎渡子の心は軋む。意を決めて、絡み合う二匹の妖を見つめた。その時であった。

 

『兎渡子、お願い・・・私に、あなたの音色を聞かせて』

 

 真っ黒な姿をした妖を抑え込み、兎渡子の姉である、()()が笑った。それは、幻影だ。幻影であるが――兎渡子の心を壊すには、十分だった。

「私には・・・弾けない!!」

 弓を下ろして、頭を左右に振り、涙を流す。そんな彼女の横を、リリィが走り抜けていった。

「何をするつもりだ!」

 蓮華の声にもリリィは、反応しない。地面に刺さっていた蓮華の刀を抜き、それを狛犬の妖に突き刺した。

『なんだ?!』

 タカが正気に戻って離れる。

 刀を刺したところから、黒い煙が吹き出て、リリィを取り囲む。妖は暴れ、そしてリリィの右肩に喰らいついた。

「うっ・・・!」

「リリィさん!」

「馬鹿っ! お前まで取り込まれるぞ!」

 走り寄ろうとしたマイを、蓮華が抑える。

「でも、リリィさんが・・・!」

「私は・・・大丈夫・・・だよ」

 リリィは、優しく笑っていた。マイを見て、蓮華を見て、兎渡子を最後に見て――。

「皆さん、本当にありがとう。私たちは、一緒に逝きます。もう、絶対に側から離れないからね。もう一人の私・・・」

 刀から手を外し、妖の頭を撫でたその時、妖とリリィはパキンというガラスを割ったような音と共に、砕け散った。瘴気が晴れていく。差し込んでいなかった月の光が、冷たく大地を照らした。

 月の光が泳ぐ中、大地にはこぶし大の石が一つ、転がっていた。

 


 後日談

 

 妖と成り果てた狛犬であったが、リリィと共に霧散し、無害となった。そのため、神社の境内へと戻された。三角巾で左腕をぶら下げた蓮華は、その狛犬の近くに、リリィだった石をそっと置いた。

「・・・私しか来れなかった。結局、私はお前も、兎渡子も救えなかった。とんだ、役立たずだな」

 涙を零し、蓮華は深々と頭を下げた。

 一人、階段を降りていく蓮華。最早、石はなにも語らない。

 

 

 

 

 END

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