『一つのチョコ』


<登場人物>

刈谷(かりや)哲也(てつや):中学二年生。学校のプリンスと呼ばれており、その人気は絶大である。

鏑木(かぶらぎ)優子(ゆうこ):哲也の同級生で、哲也とは許婚。日本でも有数の企業鏑木グループの元会長の孫娘。

刈谷加奈(かな)():高校一年生。哲也の姉。哲也とは違う意味で人気者。

 

 

 刈谷哲也にとって、バレンタインとは少し頭の痛いイベントである。チョコの数が半端ないことになるからだ。

 哲也は、学校のプリンスと呼ばれているぐらい人気の存在。愛らしい容姿と、誰にでも優しく、それでいてどこか弱弱しさもある彼に、何人かの例外を除いて母性本能を刺激されない人はいない。しかし、そんな彼の外面は全て演技である。

 哲也の趣味は、『女性にちやほやされる事』。そのためにはなんでもするというのだから、ある意味真面目だとも言えるかもしれない。

 哲也にとっては、今の状況は理想的であり、毎日が楽しいのだが、ことバレンタインだけは話が違ってくる。

 甘いものが嫌いというわけではない。しかし、何事にも限度というものがある。紙袋三個分のチョコなんて、すでに一人で消費できるものではなかった。

「まぁ、代償だよね」

 楽しませてもらっている以上、これも仕方がないと割り切る。そこら辺に捨てて帰ってもいいが、誰かに見られていると後の生活に支障が出てしまう。チョコの始末は、家に帰ってから考える事にした。

 そう、他の人にとっては本命のチョコかもしれないが、彼にとっては全て義理でしかない。彼は彼で、チョコをもらいたいと思っている人がいるのだ。しかし、よほどの奇跡でもない限り、その子からチョコをもらえるなんて事はありえない。最初から期待もしていないので、紙袋三個分のチョコを律儀に抱えて、彼はそうそうと帰ることにした。そんな彼を下駄箱で待ち受けていたのは、靴の上にちょこんと乗った小さな箱であった。

「・・・靴箱のは回収したはずなんだけどな」

 不思議に思いつつ箱を手に取ると、箱に見合った小さなカードが刺さっていた。

『いらないかと思ったけど、一応感謝の意味を込めて』

 名前もなく、ただそう書かれてあった。それだけで、哲也は誰が書いたものなのか瞬時に把握していた。よほどの奇跡というのが、簡単に起こってしまったようだ。

「あの人らしい」

 小さな箱は、特別にポケットに入れて、哲也は家路へと付いた。

 家に帰ると、姉の加奈華が台所で夕食の準備をしていた。

「ただいま、姉さん」

「あぁ、おかえり」

 いつものように素っ気無い姉。とりあえず、大量にもらってしまったチョコをどうするべきか、相談してみるかと思い、声をかけようとしたその時、加奈華がすっと手のひらサイズの小さな箱を手渡してきた。

「別にいらないと思うけど、ついでに作ったから。それと、その大量のチョコ、捨てたりしないように。自分でやっちゃったことなんだから、自分でケリをつける。分かった?」

 哲也は、しばらく呆けていた。そんな彼には、『分かったの?』とダメを押しする加奈華。

「う、うん。姉さんの言う通りだね。自分で何とかするよ」

「やけに素直ね」

 不思議がる加奈華に、哲也は嬉しそうに言った。

 

「バレンタインって、いい日だね」

 

 END

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