『空へと続く階段』


『大丈夫だよ』

 彼は、そう言って(まばゆ)いばかりの笑顔を見せた。白い法衣を身にまとった大人二人に囲まれ――それは、同行とかそんなのではない、連行である。彼女にはそれが分かった。二人の大人は、決して『大丈夫』なんかじゃない。

「ダメ! 行っちゃダメ!」

 声が枯れるほどそう叫んだ。

 空へと続く階段を登っていく彼に向かって――。

 それから彼女は、ふと心に隙間が出来ると空へと続く階段を見上げるようになった。

 いつか、彼が帰ってくることを信じて。

 

 息が吐き出された瞬間に凍り付いていくのが分かった。それを見ることで、ここが本当に氷の世界であることを思い起こさせる。すでに彼女の体は、『冷たさ』を脳に伝えることが出来ない。彼女の愛剣『レボンヌール』を綺麗な鏡のような床に突き刺し、身を起こす。

「まだ・・・立ち上がるのですね」

 彼女を見下ろしている、年の頃は十四、五程度の少女が驚き呟く。まさにその少女は、氷の彫像である。青い氷の瞳と、白い雪が輝く様を思い起こさせる美しい銀髪。幼さを残しながらも、そこには年相応の暖かさなど微塵も残っておらず、この氷の城の(あるじ)にふさわしいだけの厳しさだけが、突き刺さるつららのように放たれている。

 彼女の名は、エレメア=グラス=シンボル。前文に述べたように、この氷の城――北の大国ルイメラン王国の若き王女である。

「少し、夢を見ていただけよ」

 美しい金色の装飾が施された、刃渡り一メートル半、横幅五十センチの大剣『レボンヌール』を片手で振り回し、中段の構えを取る。年は、エレメアよりは幾ばくか年上か。強い意志が宿る金色の瞳。琥珀(こはく)を思い起こさせる淡いブラウンの髪を肩ほどで短く、ざっくばらんに切った彼女の容姿は、さながら野に放たれた獣である。エレメアとは、まったく正反対であると言っていい。

 彼女の名は、イレム。町民の出である彼女に、それ以外の名はない。出身は、ルイメランと戦争状態にある魔法帝国グレオンである。

「夢? あなたが?」

 エレメアが、あざけるように笑う。

「薄汚いコヨーテかハイエナか。明日のご飯の夢でも見るのかしら」

「残念。容姿は、確かにコヨーテかハイエナって感じだけど、アンタよりも何倍も乙女チックなのよ」

 エレメアは、ぽかんとイレムを見ている。コイツ、何言っちゃってんの? と横に台詞を入れてあげたいぐらいの、(ほう)けぶりだ。

「そう言えば、これを欲しがる理由を聞いていませんでしたわね。夢見るコヨーテさん」

 エレメアは、胸の上で美しく輝く青い宝石を手に取った。アメジストエナジーと呼ばれる宝石だ。大きさこそ手の平に収まる程度であるが、そこから得られるエネルギーは人一人を神の域まで高める、この世界でも最強の部類に入る魔具である。

「時間稼ぎのつもりなら、諦めなさい」

「疑り深い人ね。このアメジストエナジーを手に入れようと、この国に侵入する方々は後をたちませんわ。でも、この謁見(えっけん)の間に踏み込み、私に刃を向けたのはあなたが初めてなの。またたきする時間さえあれば、あなたを氷漬けに出来るわ。でも・・・私はあなたに興味を持ってしまったの。お話次第では、色々と考えちゃうかも」

 イレムはしばらく考えた後、結局はレボンヌールを大地に突き刺した。

「いいわ。聞きたいなら聞かせてあげる。『彼』のことを」

 

 空へと続く階段。その先には、帝国が誇る最高の栄華がある。

 天上都市『ラムセーヌ』。この世界で唯一空を飛んでいる都市である。誰もがその都市を仰ぎ、帝国の力の揺ぎ無さを思い知らされる。

 イレムは、空へと続く階段、それに続く天上都市を見るたびに、世の理不尽さを感じていた。

 いつでも『彼』は側にいた。優しくて、でもちょっぴり泣き虫で、歌が上手だった彼。今は、どこに行っても彼の笑顔を見たり、歌を聞いたりすることが出来ない。でも、いつかは――。

 そう信じて、年が三つ過ぎた。

 

「彼は、帰ってこなかったわ。だから会いに行くことに決めたの」

「・・・やっぱりその剣は、親衛隊に渡されるという聖剣『レボンヌール』だったのね」

「そうよ、私の信念の形だわ」

「その人に会いたいという思い・・・執念と呼ぶべきかしら。町民から親衛隊の隊員まで上り詰めるなんて。ごめんなさい、前言は撤回いたしますわ。若き獅子(しし)よ。でも、なぜ? 話が繋がりませんわ」

「町一つを丸々空に浮かせる技術なんて、この世界にはないのよ」

「・・・確かに。あれだけの都市を空中に浮かせるだけの魔力を確保するには、それこそこのアメジストエナジーのような莫大な魔力の塊が必要ですわね」

「でも、グレオンにはそんな魔具は存在しない」

「もしかして・・・! でも、ありえませんわ!」

「それを可能にするだけの力の持ち主だったの。彼・・・サイリスは」

 

 忘れもしない、忘れることなんて出来ない。まだイレムが、五歳だった頃の話である。一週間続いた大雨が終わり、イレムは彼――サイリスと共に明るく輝く外を走り回っていた。

 誰も異変には気づかなかった。イレムは、足元に転がってきた石ころを不思議そうに見るだけで、よもやそれが天災の前触れなどとは知る(よし)もない。

 山が吼えたのは、それからすぐだった。空気を激しく揺らすその雄たけびは、まるで龍の産声の様でもあった。

 山が崩れ、駆け下りる土砂は次第に大きく、勢いを増していく。我先に逃げようとする町民達であったが、それは絶望的に遅すぎた。イレムは迫り来るそれに対して、完全に腰を抜かしていた。

「イレム!」

 サイリスの叫びが聞こえた。次の瞬間、目の前で驚くべきことが起こった。雪崩落ちてくる土砂が、イレムの前で空へと舞い上がり、地面ではなく空を駆けていく。土砂は、空中でその威力を徐々に落としていき、町外れの畑にすべてうず高く積み上げられた。

 町の損壊なし。被害者なし。それだけの奇跡を成しえた彼は、いつものように優しく微笑むだけであった。

 

「重力制御? それとも風の力かしら。どちらにしても、土砂崩れを巻き上げるなんて・・・それだけの力を有しているなら、町一つを浮かすことも可能かもしれません」

 驚きを隠せないエレメアであるが、いまひとつ腑に落ちない様子であった。

 剣を床から抜き、中段に構えるイレム。彼女かそれとも剣にか、特殊な力があるのだろう。イレムは、やはり大剣を片手で扱っていた。

「天上都市に上がった私は、彼を探したわ。くまなく。そして私は、三年かかって彼を見つけ出したわ。まるで生贄に捧げられるように様々なパイプに繋がれて、空中にぶら下がっていたけどね!」

 エレメアは、声を失っていた。氷の杖を握り締める彼女の手がわなないている。

「ようやく合点が行きましたわ。このアメジストエナジーを、彼の変わりにするおつもりなのですね。彼を引き離せば、都市は落ち、下の町に大きな被害をもたらすから」

 エレメアの周りの空気が、一気に膨らんだように思えた。彼女の瞳の温度が下がっていく。見つめられるだけで、全身が凍り付いていきそうである。

「でも、これを渡すことは出来ませんわ。この氷の大地、辛うじて人が住めているのは、アメジストエナジーの力で寒さを和らげているため。アメジストエナジーが失われれば、この国は瞬く間に氷に閉ざされてしまいます。あなたは、どちらの選択肢を選んだとしても、彼を救う代わりに多くの命を犠牲にしなければなりません。あなたに・・・それだけの業を背負う覚悟がおありなのですか?!

「そんな・・・聞いて・・・ないわよ!」

 イレムは、動揺を隠すことが出来なかった。彼女は、アメジストエナジーの事を宮廷の賢者から聞いていた。彼は、そのとき一言もそんな事は言ってなかったのだ。

 アメジストエナジーを手に入れ、彼を救う。少々の人殺しの業は背負うつもりだった。だが、町一つか国一つか、そんな業背負えるものなのか。たった一人の少年を救うために。

「・・・でも・・・でも! 会いたいの! 彼に会いたいの! だって、いつも一緒だったんだから! 急にいなくなっちゃうなんて、そんなの・・・無理だよ!」

 イレムの力が、周りの空気を押しやり突風を巻き起こす。

「今は彼に会いたいだけ。業なんて関係ない!」

「そう・・・それがあなたの答えなのね。なら、私は国を守るためにあなたと戦いましょう。異国の獅子よ、あなたの名前を教えていただけるかしら」

「イレムよ。エレメア=グラス=シンボル!」

「イレム・・・この私に挑んだことを後悔させてあげます!」

 イレムが獣の如く大地を駆ける。エレメアは、それに対して優雅に氷の杖を自分の前で回転させた。

「我、氷の王女が命じる。風よ、水よ、今こそ我の声に応え、愚かなる旅人の心を奪い去れ! ブリザード!!

 凍てつく氷の風は、イレムに纏わり付き、圧倒的な力で彼女の体力を奪い去っていく。次第に彼女の動きは遅くなり、手が、そして足が大地に根付いてしまう。その頃には、彼女は立派な氷柱に成り果てていた。

「・・・二度も正面から。あなたの思いとはその程度だったの?」

 何も語れない氷柱と成り果てたイレムを哀れむように見つめる。近くに寄り、氷の柱に触れたとき、エレメアは異変に気づいた。

 イレムの左手が赤く輝いているのだ。エレメアの表情に戦慄が走った。

 左手の部分に、ヒビが入り、すぐにそれは決壊する。イレムが握っていたのは、赤く輝く小さな石ころであった。

「太陽の石・・・?!

 その名が示す通り、その赤い光は灼熱の力を持って一気に氷を溶かした。後ろに逃げようとするエレメアであったが――。

「遅いわ」

 イレムが言う通り、エレメアは越えてはいけない場所を越えてしまっていた。太陽の石を突き付ける。イレムの意思に答え、太陽の石はより強い力を放った。

「キャーーー!」

 咄嗟に防御したエレメアであったが、全てを防ぐことは出来なかった。

「なんて無謀なことを・・・!」

 太陽の石の力は、全てを焼き尽くす。そう、敵であろうが使用者であろうが。太陽の石を使ったイレムは、エレメア以上にダメージを受けていた。それにも関わらず、彼女は大きく一歩踏み出してきた。

「ウォォォォォォォ!」

 大上段からの一撃を振り下ろす。それを氷の杖で受け止めるエレメア。凄まじい力の応酬が、風をうねらせ、全てを吹き飛ばしていく。

「私の・・・勝ちよ」

 イレムは、体を徐々にエレメアに近づけていく。エレメアには彼女が何をしようとしているのか分からなかった。次の瞬間、イレムは独特の踏み込みによって得られた力を解き放った。

 

 崩れるように片膝を突くイレム。エレメアは、大の字になって転がっている。意識の有無は、今のイレムには確かめられなかった。

「思ったより・・・力を使ってしまったか」

 今からアメジストエナジーを奪い、この氷の城を脱出しなければならない。まだ、今からなのだ。なんとか剣を杖代わりにして立ち上がった彼女の表情が凍りついた。

 さっきまで大の字に転がっていたエレメアが、体を起こしていたのだ。

「ちっ、思ったよりもタフじゃない」

「もういいわ」

 剣を構えようとしたイレムに、エレメアはそう言った。

「降参よ。降参でございますわ。本当に、あなた人間ですの? 二度目の前言撤回ですわ。あなたはトロールよ。馬鹿力と再生力だけが取り柄の、筋肉馬鹿」

 エレメアは苦笑を浮かべた。馬鹿にしているようにも見えるが、そこにはどことなく親しみが垣間見えた。

「誰が筋肉馬鹿よ。まぁ、いいわ。降参したなら、アメジストエナジーを渡しなさい。命まではとらないから」

「それは嫌よ」

「今アンタ降参したって言ったじゃない!」

「えぇ、言ったわ。でも、アメジストエナジーは渡せないわ」

「あんたの狂言に付き合っている時間はないのよ!」

 剣を構えるイレムを見て、エレメアは心底疲れたようにため息をついた。

「だからもう戦わないっと申し上げましたわ」

 エレメアは、氷の杖を放り投げた。

「私、あなたのことがどうやら好きになったみたいなの」

「はぁ?! ちょ、キモ・・・そんな趣味ないんだけど」

 どんなことにも後退をしなかったイレムであったが、さすがに二歩ほど後ろに下がった。その様子は、エレメアを酷く傷つけたようである。

「キモとか酷いわ! (わたくし)、身分もあって友達とかいなくて・・・」

 シクシクと泣き出す。それはもう、先ほどまで見せていた氷の女王としての威厳や厳しさとは、別次元の生き物であった。

「この私が、直接力を貸すこともやぶさかではない、そう思っていましたのに」

「力を貸す? アンタ、いい加減面倒くさいわよ」

 それは心の底からの、彼女の本音であった。

「私も疲れましたわ。お友達のために、簡潔明瞭にお話しましょう」

「勝手にお友達認定しないでくれない?」

「なら話さないわ」

 プイっとそっぽ向く。イレムのイライラも頂点に達した様子で、髪を乱暴に掻いていた。

「あぁ〜もう! いいわよ、それで! だから、話を進めろ!」

「なんだかちょっぴり違う気もしますけど・・・まぁ、今はいいですわ。イレぴょんは・・・」

「ちょっと待って。人の名前に勝手に『ぴょん』とかつけるな」

「えぇー」

「えぇー! じゃない!」

「もう、イレムったら自分勝手なんだから」

 どっちがだ! と叫びたいのをぐぐっと抑える。今叫んだら、いつになっても話が終わらない。

「イレムが私に意地悪するから、一言で済ませることにしますわ。天上都市を私と共に落としませんか?」

 

「お前・・・!? 裏切り・・・」

 ぷぎゃっと、イレムに顔面踏みつけられてひっくり返る兵士。構わず走りぬけ、外へと出た。

 風が強く吹き、イレムの髪を巻き上げる。彼女の前には、白い階段が大きな螺旋を描きつつ、天上都市へと伸びている。

 サイリスを見たことがばれて、この階段を駆け下りたのがおよそ一年前。ようやく戻ってくることが出来たのだ。

「待っていて、必ず・・・今度こそ」

 感慨にふけっている時間はない。後ろからぞくぞくと兵士達が集まり始めている。

 イレムは、愛剣レボンヌールを抜き放ち、階段を駆け上り始めた。

 

 天上都市は、実は何かと不便なところである。何が一番不便かというと、物資を地上から上げることだ。天上都市に農園とか牧場とか実用に適ったものはない。あるのは、貴族達の道楽で建てられたものばかりなので、天上都市の自給率はゼロなのだ。だからといって、長ったらしい階段で物資を運ぶには限界がある。そこで設置されたのが、転移魔法陣である。これで一気に地上から天上都市に物資を運ぶことができるようになった。しかし、それが諸刃の剣であるということに、完全に舞い上がっていた天上都市の魔術師たちにはわからなかった。

 魔法陣がそこにあるのであれば、その仕組みを知っているものがいればどこからでもアクセスは可能なのだ。

 兵士達のお昼の交代の時間、最後の荷物を片付け背伸びをしていた彼らは、いきなり青い光を放ち始めた魔法陣を見て、嫌そうな顔をした。

「最後って言っていたじゃないか。誰だよ、クソ」

 悪態を吐きながらも、荷物を確認しに行こうとした兵士は、徐々にはっきりしてくる荷物の形に眉を細めた。背が高いものもあれば、低いものもある。まるで統一性のない、でこぼこの品物。様々な酒が乱立する酒場の棚のようだ。

 そして光が収まったとき、そこにいた兵士達は一様に『へっ?』という顔をしていた。

「ふぅ・・・とりあえず無事に到着したようですわね。ということで、ポーズ、一、二、三、ハイ!」

 銀色の髪の少女を守るように囲む屈強なる兵士達が、それぞれ思い思いのポーズを取る。天上都市の兵士達の思考は、さらに固まってしまった。

「天上都市の皆々様、お初にお目にかかります。我が名は、エレメア=グラス=シンボル。ルイメランの女王である」

 スカートの両端を掴み、仰々しく挨拶をする少女――エレメア。兵士達の顔が一気に青ざめた。

「こ、氷の姫・・・?!

「はい、ブリザードでございます」

 兵士達が動き出す前に、全てのものを彼女が凍りつかせてしまう。

「我が親愛なる兵士達よ、今こそ長年の恨みを晴らす時! さぁ、思う存分、力を示しましょう!」

 兵士達の雄たけびが響きあい、四方に散っていく。力強く宣言する彼女の胸には、青い宝石が煌いていた。

 

 上から下ってくる兵士は、予想の半分以下だった。それだけエレメアの作戦が上手くいっているのだろう。天上都市の兵士は、端的に言えば『坊ちゃま騎士』である。腕の立つ兵士は、それこそ前線で猛威を振るっている。ここは戦場から一番遠い場所、すなわち安全地帯である。ここにいる兵士なんてものは、飾りに毛が生えた程度だ。ただ、親衛隊だけは別格であるが、今日は親衛隊もほとんど出払っている。王族が、旅行に行っているのだ。いまや天上都市の防衛力はカス以下。イレムとエレメア、その精鋭たちでも十分何とかなってしまうのが現状であった。

 イレムは、迷わず動力プラントに突入。護衛兵士は、だったの二名。あくびをしていた兵士を容赦なく斬り捨て、動力プラントの最奥部まで無傷で到着した。

「サイリス・・・」

 複雑怪奇な魔法陣が描かれた強大な円盤の上に貼り付けにされた青色の髪の少年。サイリス=フォーマ、神の力を持った少年の哀れな姿がそこにあった。

「き、君は・・・げふっ!」

 操作盤の近くにいた研究員は、たったの一名。とりあえず、一発殴っておいた。

「一つ尋ねる。彼を無理やり引き剥がした場合、彼は無事でいられるか?」

「えっ・・・手順を踏まないと、危ないかと。彼は、この装置のおかげで生きているようなものだから」

「そう、ならとっとと手順を踏んで彼を解放しろ」

 剣を突き付けると、哀れな研究員は『ひぃ』と情けなく泣いた。

「そ、そんなことしたら天上都市が・・・!」

「分かっている。私はね、お願いしているわけじゃない。降ろせと、命令しているんだ。死にたくないだろう?」

 彼を殺してしまったら、手順とやらも分からなくなってしまう。分かりやすいブラフであったが、研究員はそこまで頭が回っていない様子。イレムの言葉に従って、彼はコンソールを叩き始めた。

「どうなってもしりませんよ・・・」

 それが彼なりの精一杯の強がりだったようだ。イレムは、無言で椅子を蹴飛ばした。

 それから五分ぐらい経っただろうか。イレムのイライラもついにMAXへ。

「いつまでかけるつもりだ!」

「やっています! 時間がかかるんです!」

 ふと、イレムはさっきまで灯っていなかった赤いランプが点灯していることに気づいた。それと同時に、足音を聞きつけた。数は、少なく見ても三十以上。さすがにそれだけ揃うと、多勢に無勢である。

「アンタ・・・いい度胸しているじゃない!」

 降ろすと言いつつも、ちゃっかり応援を呼んでいるあたり、意外に賢い。イレムは、コンソールをバンと叩いて威嚇した。すると、操作盤から『ビィーー!』というけたたましい、電信音が響き渡った。

「えっ? な、なに?」

 びっくりして、二、三歩後ろに下がるイレム。研究員は、青ざめた顔で『なんてことを・・・』

と呟いていた。静かだった室内に、重苦しい機械の叫びが木霊し始めた。 

「どうなったのよ!」

「今ので、エネルギー供給のリミッタが外れたんですよ! うわわ、どうしよう! 止めないと・・・!」

 さきほどまで穏やかだったサイリスの表情が、苦しみに歪む。茶色のパイプが、青色に輝き始めた。

「ちっ・・・結局、最初から最後まで力押しか。私、別にパワーキャラというわけでもないのにね。サイリス、こんな風に変わってしまったけど、嫌いにならいでくれるかな」

 愛剣を下段に構え、ぐっと体を沈める。

「はぁぁぁぁぁーーー!!

 彼女の力が、渦巻き莫大な魔力の渦を作り出す。全身青い光に包まれた彼女は、その力を抱えたまま高く跳躍した。

「切り裂け、レボンヌール!!

 イレムの力に反応して、愛剣が眩い金色の光を放つ。その光を、イレムは真一文字に振るった。サイリスを縛り付けていたパイプが、綺麗に切り裂かれ、解放された彼は重力に導かれて落ちていく。その時であった。

 目の前が青くなった。莫大な力を流していたパイプを断ち切ったため、流れていた力が外へと流れ出ようとしているのだ。イレムは、その青い光の中で、サイリスを抱きしめた。

 

 青い光の柱が、凄まじい爆音と共に天を貫く。

「姫様、あれは?!

 屈強なる兵士達も、さすがに緊迫した表情をしていた。

「あなた達は、先に撤収してください。作戦は成功です」

「姫・・・助けに行かれるのですか?」

「彼女は、大切な友人ですから」

 心配そうにする兵士に、エレメアは笑顔でそう答えた。その笑顔を見て、『ダメだ!』と言えるような兵士は、国中どこを探してもいない。

「我らの姫君の成功を祈り、敬礼!」

 一番年配の兵士の声に合わせて、その場にいた兵士達がピシリと背を伸ばし、右を九十度に曲げる。

「姫よ、ご友人の分の祝杯の料理も用意しております。必ずご一緒にお帰りください」

「えぇ、そのつもりですわ。この氷の姫に、不可能はありませんわ」

 エレメアが、動力プラントに向かって走り出す。それを見送ってから、年配の兵士が撤退の合図としてホルンの音を響き渡らせた。

 

 頬にあたる暖かいものに気づき、イレムはゆっくりと重たい(まぶた)を開いた。

「エレメア・・・?」

 泣き顔のエレメア。初めて出会い、戦ったあの時に見せた涙とは全然違う。

「サイリスは・・・?」

「彼なら無事よ」

 エレメアと反対方向にサイリスは横になっていた。イレムの表情が、安堵で緩む。

「よかった・・・」

「全然良くありませんわ・・・!」

 エレメアがなぜ泣き、怒っているのかが理解できない。それどころか、エレメアの存在自体が遠く、そうまるで劇場で演じている役者を見ているような感じであった。

 体が動かない。指の一本さえ。彼女は、ゆっくりと自分が置かれている状況を把握し始めた。

「私・・・ここまでなのね」

「ここまでじゃないですわ! ここからなのよ!」

 エレメアの叫びの中、イレムは彼女がアメジストエナジーを持っていることに気づいた。

「・・・アメジストエナジー。それ、持ち出したら・・・」

 国が滅びるのではないのか、そう口にしようとしたが全部は出なかった。エレメアは、最初何を言っているのか分からない様子であったが、合点が行くと苦笑を浮かべて見せた。

「あの時の言葉、信じていらっしゃったのですね。相変わらず、単純ですわね」

 あっさりと言い放つ。とんだ女狐だ。イレムは眉根を細めた。

「騙したわね」

「・・・謝りますわ。あなたに働いた無礼、諸々全て謝りますわ! だから・・・お願い・・・生きて・・・!」

 それが無理な注文であることは、エレメアが一番知っていた。彼女を見つけたとき、すぐさま自分の手には負えないことを悟り、アメジストエナジーの力を使った。だが、神の力まで高められた彼女の力を持ってしても、イレムの傷を塞ぐことは出来なかった。

 自分の腕の中、いま果てようとしている友人の命。必死に繋ぎとめようと泣き縋るエレメア。今まで一度たりとも信じなかった神に、彼女は必死に願いを紡いだ。

「方法はあります」

 神への願いが届いたのか。目覚めた彼は、自信満々にそう言い放った。

 

 半年後――。

 日々の生活は、激化した。あの魔法帝国の誇りと栄華を失墜させたのだ。彼らの侵略は、五倍増しどころか、十倍増しである。そうなることは事前に分かっていた。不可能なことを可能にしたことで、エレメアは多くのものを得た。ほとんど無理やりであるが。だが、それは魔法帝国に拮抗する力となり、戦況は半年前に比べるとずいぶんと良くなっていた。その代わり、仕事は二十倍増しになってしまった。

「お帰りなさいませ、姫様」

 天上都市を落とした功績を武器にして、三つの国と同盟を結んだ。それぞれの国を一通り回ってきた彼女は、いの一番に氷の城の離れに足を運んだ。

「サイリス、今帰りましたわ」

 離れの主であるサイリスは、エレメアの来室を心から喜んだ。

「お帰り、エレメア。どうでした?」

「仕事の話はしたくありませんわ。それよりも、色々とまた面白いお話が聞けたの」

「そうですか。では、お茶をお淹れします」

「甘いのがいいわ。とっても甘いのが」

「仰せの通りに」

 ほほえみ、彼は台所に向かっていった。

 エレメアは、部屋の置くにひっそりと佇む氷柱の傍まで歩いていく。氷に触れ、彼女もまた微笑む。

「今・・・帰りましたわ。イレム」

 氷の中にいたのは、イレムだった。まだ所々生々しい傷が見えている。でも彼女は生きていた。あの時、サイリスが提案したのは己が置かれていた状況を利用した、苦肉の策だった。

 エレメアの魔力をアメジストエナジーで増幅し、彼女の肉体の時間を止めた。後は、少しずつ彼女に魔力を与え続け、傷を治すだけ。瀕死の重傷だったのだ。半年かかっても、その傷はまだ深い。しかし、いつかは治る。その日を待ち望み、エレメアとサイリスは日々を過ごしていた。

「今日は、南の国の愉快な御伽噺を聞いてきたの。きっと気に入ってくれるわ」

「エレメア、お茶が入りましたよ」

「ありがとう、サイリス」

「南の国ですか・・・行きたいですね、三人で」

「行きましょう、三人で」

 エレメアは、満面の笑みでそう言い、サイリスが淹れてくれた甘いお茶を口に含んだ。

 

 

 空へと続く階段 END

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