『群青色の空へ!』


「アオイよ、お前にこの竜を授ける」

 彼女の腕に託されたのは、小さな彼女でも十分抱きしめる事ができるほどの小さな――小さな(よう)(りゅう)だった。ザラザラとした竜の鱗。暖かい吐息。静かに眠る竜の横顔の愛らしさに、彼女は嬉しそうにその柔らかな頬で竜を撫でた。

「共に生き、共に大空を支配せよ。クールストの名に恥じぬ、竜騎士へとなれ!」

 子供の彼女には、父親の言葉を理解する事はできなかった。彼女は、新しい相棒に心を奪われており、その瞬間を何よりも楽しんでいた。

 その余韻を残しつつ、彼女は夢から覚めるのだった。

 

 東西戦争というものがあった。七つに分かれた群生国家だったそこは、隣国で勢力を拡大しつつある魔法帝国グレオンに対抗するために、一つになることとなった。だが、七つもの小さいとはいえ、国が一つになるということは、大変な事である。当然、戦争となった。

 その当時、力を持っていた国は二つ。

 東のナウセス。

 西のヘレミア。

 東西に分かれての大戦争へ発展したこの戦い、序盤はナウセスが圧倒的な力で押していた。それはナウセスが、密かにグレオンと協定を結んでいたためであり、技術的に一つも二つも上回るグレオンの力を得たナウセスが有利なのは目に見えていたことであった。

 押されるヘレミアは、もっとも忌むべき選択肢を選ばざるを得なくなる。

 ヘレミアは、その国土のほとんどが山岳地帯で占められた鉱山物資をメインとした国。その山岳地帯に生息している飛竜と呼ばれる小型のドラゴンを飼いならし、彼らは日々の生活に役立てていた。

 飛竜は生活の必需品であり、そしてかけがえのない相棒であり、家族。それを戦いに投入することは、絶対的な禁忌とされていた。

 ヘレミアはその禁忌を破り、飛竜を前線に投入した。

 ヘレミアの竜騎士部隊『ドラグーン』の誕生である。

 上空からの魔法、及び火薬を使った一方的な攻撃。ナウセス側には、飛竜を撃墜するだけの技術はなく、戦局は一変した。そして、流れはヘレミアへと変わり、そのままヘレミアは戦争に勝利した。

 ヘレミア共和国の誕生である。

 この物語は、そんな戦争の十五年後のお話である。

 

 おぼろげな世界。遠くに聞こえる物音が、布団と体の摩擦から生まれた音だということに気付くのにさえ、時間を要した。

 鈍重な体に鞭を振り、頭を支えながら体を起こす。その瞬間、痛みという電気信号がいっせいに脳を揺さぶった。きつく瞑られた瞳から涙がこぼれる。

 一体、何があったのだろうか?

 思い出せないまま、彼女は重たいため息と共に心を落ち着かせようと努力する。そんな時、『起きたのね』という声が聞こえてきた。

 部屋の中央のテーブルに向かっていた女性が立ち上がる。美しい銀髪が、目に鮮やかに映えた。

「おはよう」

 女性が明るくそして気軽に声をかけてきた。状況がつかめないため、戸惑いながらも『おはようございます』と返す。

 ぼんやりとしていた。

 なぜこんなところにいるのかが、まるで思い出せない。それに体の節々は痛むし、思うように動かせなかった。

「どうぞ」

 女性が手渡してきたのは、濃い紫色の飲み物。匂いからして、ブドウのようだ。礼をいい、一口含む。

「あ・・・美味しい」

 それは、目が覚めるような甘い飲み物であった。彼女の答えに女性は、嬉しそうに笑う。

「良かった、口に合って」

 穏やかな女性だ。しかし、良く見てみると、彼女の左腕の袖が不自然に揺れ動いている。左腕は、根元からないのかもしれない。先天的なものなのか、それとも事故か病気で無くしたのか――さすがにそれを尋ねることをできないが。

 部屋は、そんなに広くはなかった。今彼女――アオイが眠っているベッドに、真ん中にはテーブル。その向こう側は台所のようだ。近くの窓からは、外の景色が見えている。扉は一つだけなので、小屋のようなそんな小さな場所である。

 外の景色は、岩ばっかりだ。視界は良くなく、すぐに地層にぶち当たる。色々見ているうちに、ますますここがどこだか判別がつかなくなっていく。

「・・・思い出せない? なぜ、ここにいるのか」

「ん・・・」

 思い起こしてみる。

 朝、トーストにジャムをつけて食べた。あのジャムは、料理長が丹精込めて作ったジャムでとっても美味しい。お気に入りである。その後、学校へ。

「学校?」

 学校に行っただろうか。何かが違う。飛竜に乗った所までは覚え――そこで、回路は繋がった。

「私! あ、い、い・・・きているんですよね?」

「えぇ、どう見ても」

「ヒューイは?!」

「大丈夫、深い傷は負っていないから」

「そう・・・ですか」

 思い出してしまった。あの日、学校には行っていない。現地集合だった。来月にある大会の会場――ラクショルス渓谷に。そして、彼女は落ちた。ヒューイのせいで。

「ご家族には連絡しているから、ゆっくりしていってね」

「はい・・・あの、名前・・・私は、アオイ=クールストです」

「あっ、名前、まだだったね。私は、ミナスよ」

「ありがとうございました。この恩はいつか必ず」

「そんなのいいわ。あなたと出会えたことが、神様からの最後のプレゼントだと私は思っているから」

 ミナスの言葉の意味を知るのは、もっと先の話である。

 

 体の節々が痛むが、別に骨折とかしているわけではないらしい。ミナスに許可をもらって、自力で外へと出る。細い川がさらさらと静かに流れている。小石ばかりで(つまづ)きそうになりながらも、羽を畳み丸くなっている小型のドラゴン、飛竜のヒューイのへ。近づいても、ヒューイは顔を上げなかった。瞳をきつく閉じ、眠っている。もしかしたら、気付かない振りをしているのかもしれない。子供の頃から一緒に育ってきた姉妹のようなヒューイであるが、今は昔ほど仲良くはない。どちらかといえば、最悪の相性である。

「・・・いい迷惑よ。私、どんな顔して戻ればいいわけ」

 飛竜が落ちるなんてことは、あってはならないことである。竜騎士失格だ。養成学校に帰れば、間違いなく笑いものになる。

「死ねばよかったのにね」

 それは、自分も含めての言葉。アオイは、一定の距離を保ってヒューイを見続けた後、触れることなく小屋へと戻っていった。

 

 昼食を終えウトウトとしていた時、何気なく外を見ると、ミナスがヒューイにエサをあげていた。優しい手つきでヒューイを撫で、どこから持ってきたのか青々とした草を食べさせていた。

 飛竜は、他の竜と違い草食である。性格も穏やかだ。しかし、そう簡単に人には懐かないので、子供の時から一緒に育てるのが通例であった。その飛竜が、会って間もないはずのミナスに良く懐いているように見えた。

「・・・あの人、やっぱりただものじゃない」

 気付いていた。動き一つ一つが、どことなく軍人臭かった事に。生活の一部として使われている飛竜であるが、昔と違って最近は貴族の道楽代わりに使われることが多くなった。一般の人には、あれほど上手に飛竜とは関われない。腕がないことから考えても、戦争体験者かもしれない。

 アオイは、視線を逸らし布団を被った。なんとなく気分が悪かった。

 

 コンコンという咳の音で目が覚めた。外は真っ暗、夜になっている。咳をしていたのは、ミナスだった。

「あ、ごめんなさい。起こしちゃった?」

 いつものように優しい笑みを浮かべる。明かりが乏しいためか、どことなく顔色が悪いように見えた。

「風邪ですか?」

「そんなところ。最近、寒くなってきたからね」

 『今、温かいのを作るから』とミナスは席を立った。左腕がないミナスであるが、料理も家事も上手にこなしている。根っからのお嬢様であるアオイは、ただただ感心するばかり。両腕、両足付いてはいるが、彼女に比べたら何も出来ないに等しい。

 左腕の事、聞いてみたかった。一体何者なのか、尋ねてみたかった。でも、聞く事はできなかった。聞いてはいけないような気がした。

 乏しい光の中で、ミナスの姿をただ見つめていた。

 

 次の日の朝、アオイはヒューイの下へと再び足を運んだ。相変わらずヒューイは、顔を上げようとしない。硬く瞑られた瞳は、明らかにアオイを拒否しているように見えた。溜息が零れ落ちる。どうしてこんな事になってしまったのか。

 ヒューイとは親友であり、家族だった。共に空を駆け、優しい風と戯れ、日が沈むまで飽きもせずに飛び回っていた。

 それがいつからこんな風になってしまったのか。アオイには分からなかった。

 父親が望んだ。誰よりも速く高く飛べ――と。

 だから、父親に望まれるようにやってきた。それなのに、ヒューイはそんなアオイに答えなかった。常に、先頭をクールスト家の古くからのライバルであるハミレス家の長女、スカイ=ハミレスに走られ、いつまでたっても進歩しないアオイはいつしか父親に見向きもされなくなっていった。

 修練は欠かしていない。むしろ、スカイが現れてからはより一層励んだ。だから、アオイはこう考えた。

 自分の技量ではなく、ヒューイがスカイの飛竜に勝てないのだと。

 劣っているなら、勝るように訓練すればいい。そうして、ヒューイを訓練していた顛末が、リレー中の墜落だった。

 情けなくて涙も出ない。どうしてこんなダメな飛竜と一緒になってしまったのだろうか。

 近くの石を拾い上げて、ヒューイに投げつけた。竜の鱗は、これぐらいでは傷つかない。石は虚しく弾け、川へと転がり落ちていった。

 ヒューイは、ただ黙して瞳を閉じ続ける。

 その態度は、実は拒否ではなかった。閉ざされてしまったアオイの心が、昔のように開かれるのをじっと待っているだけだったのだが、その気持ちはアオイには届かない。ただ、恨めしくヒューイを睨み続けるだけ。

 その光景を小屋から見守っていたミナス。彼女は決意する。彼女のためにもう一度、空を飛ぶ事を。

 

「アオイさん、散歩に行きませんか?」

 五日目の朝食の後、ミナスが突然そう切り出してきた。まだ体が痛いが、お手伝い程度はできるようになったアオイは、食器を片付ける手を一旦止めた。

「散歩・・・ですか?」

 散歩と言っても、ここは谷底だ。川と岩と地層丸見えの断崖絶壁しかない。散歩しても楽しいと思える要素は何もなかった。しかし、逆に彼女の誘いを断る理由もまたなかった。

「結構冷えるからね、これあげる」

 分厚い皮のコートを渡される。よく分からないままアオイは袖を通し、ミナスと共に外へと出た。確かに外は少しひんやりとしていたが、寒いというほどでもなかった。皮のコートを着ていたら、少し暑いぐらいである。

「ヒューイ、おはよう」

 ミナスは、ヒューイの頭を撫でていた。ヒューイは、嬉しそうに目を細めている。

「今日は、お願いね」

「えっ?」

「大丈夫よ、私が()るから」

 驚くアオイに、ミナスはあっさりと言い放つ。右腕だけで飛竜を繰るなんて、無謀以外のなにものでもない。しかし、ミナスは自信満々である。アオイの不安をかき消すほどに。

 右手だけで上手にヒューイに乗ったミナス。アオイは、ヒューイの顔をちらりと見た。ヒューイは視線を合わせてはくれなかった。カチンと来たが、怒鳴り散らかすわけにもいかない。こっそり蹴りを入れ込みつつ、彼女もヒューイにまたがった。

 飛竜を扱うのは難しい。先に述べたように、飛竜はまずなかなか懐かない。そして、手綱を握る人間を選ぶ。誰が乗ってもいいというわけではなく、まず飛ぶまでが大変なのだ。さらに、それを繰らなければならない。幼い頃から一緒だったアオイでも、今はヒューイを上手くは乗りこなしてはいない。昔はもっと上手に飛べた気がするが、今となってはもうアオイにもよく分かっていなかった。

 飛ばせるものか――アオイはそう思っていたが、ミナスが手綱をしならせた途端、あっさりとヒューイは翼をはためかせ、空へと羽ばたいた。これには、驚かざるを得なかった。

「いい子ね、そのまま好きなように飛びなさい」

 ミナスが両足で叩き、ヒューイに指令を出す。

 風を切るように、ヒューイは加速した。

 谷から飛び出し、さんさんと輝く太陽を背にして群青色の大空を舞う。ミナスは、手綱を最低限にしか動かさない。それでもヒューイは、人が振り落とされないように気を配りながら飛んでいた。

 谷に戻り、狭い所をスピードを落とさずに走り抜ける。

 凄かった。アオイは、感動していた。彼女が手綱を握っている時とは比べ物にならないほど、ヒューイは生き生きと飛んでいた。

 なにが駄目な飛竜だ。この速さは、スカイの竜を凌駕する速さである。足りなかったのは、ヒューイの力ではなかったのか。足りなかったのは、ヒューイを繰る技量だったのか。

「違う・・・」

 アオイは思い出していた。最初にヒューイと飛んだ時のことを。勝負に勝つためとか、父親に認められるためとか、そんな理由もなくただヒューイと遊んでいたあの時の事を。

 楽しかった。ただひたすらに。ヒューイと体も心も一つになって、風となり駆け抜けていたあの一体感。いつから感じなくなっていたのだろうか。いつからヒューイの心が感じ取れなくなっていたのだろうか。

「・・・私は・・・」

 アオイは苦笑を浮かべていた。そして、心の中でぼそりと呟く。

『最低の竜騎士だ』

 ――と。

 

 事故もなく戻ってきたミナスとアオイ。ヒューイは、よっぽどノドが渇いたのか、凄い勢いで川の水を飲んでいた。アオイは、ミナスに頭を下げた後、そんなヒューイに近づき、その背を撫でた。ヒューイは、アオイを拒絶しなかった。つぶらな瞳で、撫でるアオイを見つめている。アオイが微笑むと、ヒューイは安心したように水を飲み続けた。

「これで・・・大丈夫ね。あの子は」

 そう囁いた後、ミナスは突然激しく咳き込み始めた。右手で口を覆い、音を掻き消していたため、アオイにはそれは届いていなかった。

 咳が収まって右手を広げると、見事な朱色の花が咲いていた。それをミナスは、なんでもないとばかりに、鼻で笑っていた。

 

 ヒューイの手綱を繰り、大空を駆け抜ける。

 アオイは、学校へと戻った。そして、彼女はその才能を開花させた。ヒューイは、それに応えた。

 学年トップを勝ち取った彼女は、そのまま飛竜の競技大会に参加した。

「ヒューイ! 今日も飛ぶよ!」

 ヒューイが応えるように力強く鳴く。

「アオイさん、今日こそは負けませんわよ」

 スカイ=ハミレスが声をかけてくる。元学年トップ。常にアオイの前を飛んでいた人だ。アオイに負けないぐらいの勝気な瞳の彼女に、アオイは言った。

「私は、ヒューイと飛びたいから飛ぶだけ。前を飛ぶも、後ろを飛ぶも、それはスカイが自由にしなよ」

 驚くスカイ。しかしその表情はすぐに優しい笑みへと変わった。

「そうね。私たちは、『勝つ』ために飛ぶのではないのでしたわ。共に最後まで無事に飛びましょう、アオイ」

「そうだね、スカイ」

 握手をして、二人は分かれた。

 五つの学校から選抜されてきた、合計二十人と二十匹の飛竜。進路にも大きく影響してくるこの大舞台に、アオイはヒューイと共に飛び出した。

 

 飛竜たちが、美しく大空を舞っている。それぞれの飛び方で、騎士と共に。それを眺めている一人の女性と、その女性が押す車椅子に座る女性がいた。

「見えますか? ミナス様の最初で・・・最後の教え子が、先頭を飛んでいます。美しい姿です。かつてのあなた様のお姿を見ているようであります」

 車椅子に座る女性――ミナスは何も答えない。ただ、満足そうに微笑んでいる。

「ミナス様・・・見えていますか? ミナス・・・様? ・・・ミナス様」

 静かに瞳を閉じているミナスを、女性は後ろから優しく抱きしめた。肘掛に乗せいていた腕が滑り落ち、ぶらりとぶら下がった。

 

 東西戦争末期に二人の英雄がいた。

 ナウセスの大魔道師ライゼル=クロス。

 そして、ライゼルを打ち破ったヘレミアの大英雄。

 名を――。

 ミナス=フォロンといった。

 

 アオイは、大空を駆け抜けている時、力強い飛竜の声が聞こえたような気がして、周りを見渡した。

 遠くの空に、一匹の飛竜とそれにまたがる少女の姿を見つけた。顔は見えないが、競技大会に参加している風でもない。そもそも、あんな飛竜あの場にはいなかった。

 楽しそうに飛んでいる。自由に生き生きと美しく。そして、飛竜と少女は、雲の中へ消えるように飲み込まれていった。

 アオイは、泣いていた。

 どうしてか分からないが――流れる涙を止めることができなかった。

 飛竜と少女は、それから二度と雲から出てくることはなかった。

「どうされたのですか、アオイさん?」

 スカイが減速しつつあるアオイに声をかけてきた。

「ううん・・・なんでもない。ありがとう、スカイ」

 手綱を握りなおして、『ヒューイ、ゴメンね』と優しく声をかけた。足で腹を蹴り、ヒューイを加速させる。

 アオイの涙が、別の涙に当たって大空で弾ける。ヒューイの涙だ。

 脈絡もなく大声で鳴くヒューイ。

 その声が、寂しく谷に響き渡る。

 

 アオイとヒューイが谷間を貫き、風となる。

 空はいつまでも青い。

 青くて美しい。

 優しく吹く風が、二人に祝福を囁く。

 

 どこまでも青い。

 ずっと青い。

 果てなく青い。

 

 二人は飛び続ける。

 きっと、ずっと――。

 

 そして、その命が失われても――。

 

 風となり、二人は飛び続けるだろう。

 

 それが、『竜使い』だからだ。

 

 

 END

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