ED60,61,62
EF60
EF61
EF62
EF63
EF64
EF65
EF67
臨時急行きのくに天王寺駅着、牽引機は竜華区ED61
終着駅天王寺着後、回送作業中の姿。
かつての駅では機関車付け替え、給水、客車の増結作業などをホームから誰でも見ることができた。
これらを見て鉄道に興味を持った人は多いと思う。
1976年秋撮影
飯田線急行伊那より飯田駅?にて。
地方線でも主な駅では、行き違いまたは通過待ちの貨物列車を見ることがよくあった。
ちょうど機関車の前に電車が停車した。
わずかの貨車を牽引する晩年の姿ではない本来の運用が写っている。
後年の車両では撤去されているジャンパー連結器が多数取り付けられている。
1978年1月撮影
JR貨物所属
伊那松島 → 浜松 → 篠ノ井と所属機関区は移っていた。
1994年7月撮影
久宝寺より阪和線へ出発する貨物列車
阪和線に貨物列車が走っていたなんて知らない人もいるだろうが、貨物線を通り杉本町駅から阪和線へ入っていた。
ED60は最初に作られた新性能直流機関車。
奥の線路にもED60がいる。
1976年9月撮影
EF60 一次量産型のラストナンバー。岡山区配置。
この当時すでに一次型は第一線から離れ、ローカル貨物に使われており見る機会が少なくなっていた。
1978年2月 神足駅(現 長岡京)にて撮影
EF60 二次量産型(15〜83)。広島区配置。一次型とは主電動機、駆動方式が異なる。
1978年4月 塚本−尼崎間にて撮影
EF60 三次量産型(84〜129)、EF60のラストナンバー。広島区配置。
二次型までのEF60とは外観が変わり、翌年の昭和40年より量産のEF65と同じに見えた。
1978年4月 塚本−尼崎間にて撮影
元特急牽引仕様車
EF60 500番台には 製造年度により三次量産一般型と同じヘッドライト2灯と、二次量産一般型と同じヘッドライト1灯の二種類あった。浜松区配置。
ブルートレインに使われたのはEF65 500番台が登場するまでの短い期間で、その後は一般型と同じ塗装、運用になった。
1970年代末頃に新幹線で浜松を通過する時は浜松区のEF60 500番台はいるか?と、車窓からみつけるのを楽しみにしていた。
1978年6月 新鶴見にて撮影
紀勢線の旧客車牽引機関車がEF58から知らないうちに12系客車をEF60牽引に変わっていた。
乗車の感想はEF58より発車時の加速が早いと感じた。
福知山線で乗り慣れたDD51牽引とは力強さが違っていた。
EF60牽引の客車列車は、同年11月から電車化されたため9ヶ月足らずで終了した。
1986年5月 御坊駅にて撮影
EF61はEF60 一次量産車を元に旅客用機EF58の後継機として登場した。 客車暖房用蒸気発生装置(SG)を搭載した唯一の新性能直流電機。
荷31は大阪駅19:54着、20:27発までの停車中に荷物の積み替えをする列車から切り離され、
ホーム西端で車両の付け替え作業をしていた。
連結器の左上に瀬野八での補機運用で使っていた自動開放装置が取り付けてある。
1976年11月 暖房用蒸気を吹き上げるEF61を隣の東海道線下り電車ホームより撮影
機関車屋根より蒸気を上げながら早朝の京都駅に進入する荷38列車
当時EF61は荷物列車一往復と自動車運搬列車に使われているのが京阪神で見ることができた。
1977年1月 撮影
1977年夏に瀬野機関区に改造前のEF60 1 がいるのは見ていたが改造後EF61 二百番台になり働いている姿は
この1982年に見た一回きりだった。
207号はEF60 7からの改造。EF65 五百番台牽引貨物の最後尾で押し上げる姿を踏切にて写す。
瀬野−八本松 1982年10月 撮影
上記列車の後追い撮影。
スカートを切り抜いた所のジャンパー栓は重連の備えと思われるが実際の運用では使われなかった。
信越線専用機だったEF62,63を見るため数回碓氷峠へ行った。
側面のよろい戸と3軸台車がEF62の見所だった。
当時の軽井沢駅構内には多数の貨車が停まっていた。
1978年8月 撮影
跨線橋より横川方向を写す。 まだ碓氷峠を貨物が通っていた頃で、多くの貨車が停まっているのに注目。
「ダダダーダダダー」日本では珍しい C-C 動輪が高速で通過する音を1984年春から2年間ほど東海道・山陽本線の荷物列車で聞くことができた。 1984年春 立花−甲子園口で撮影
全体画像の表示 / large picture (98kB)上野行き急行 信州3号の前補機で峠を下る。 軽井沢−横川間 1978年8月撮影
急勾配の横軽対策で電車の空気バネ台車はパンク状態にしている。 全体画像に写る169系台車の空気を抜いたバネ横の白ペンキ指針は、上下にずれている。
全体画像 / full frame picture (98kB)峠を下るEF63を真横から写す。右が横川駅方向。
熊野平にて 1978年8月撮影
軸重18tのELが重連で通る線路はどんな所かと思っていたが、普通の50kgレールだった。
平坦線用機関車より頑丈に見えるEF63の台車がよくわかる拡大画像。電磁吸着ブレーキ、速度計用遊輪がわかる。
スキーに利用した夜行急行「ちくま」は、
大阪−名古屋間はEF58 名古屋−長野間をEF64がけん引していたと思う。
大阪行きちくまが塩尻に長時間停車中、ホームに降りると中央西線の80系電車とEF64 11が並んでいた。
停車中も車体から送風機の大きな音を発していた。
1977年2月撮影。
立川 1986年8月撮影。
中央線(首都圏)201系電車と並ぶ。
山歩きに訪れた奥多摩にて。初めて見る1000番台に感激。
1024号機は1981年新製。 1986年9月撮影。
京都鉄道博物館 特別展にて32年ぶりに、まだ現役の1024号機と再会。
前面の装備はほぼ変わっていないのがわかる。
2019年1月撮影。
東京からの帰りに駅で寄り道、ブルートレインを写す。
当時はブルートレインブームで大人も子供も写していた。関西始発の夜行は皆EF58牽引、東京発はEF65P牽引だった。
東京駅発最初の列車は16:30発の特急「さくら」で12番線より発車。
EF65 528, 1978年2月 撮影
「さくら」「はやぶさ」「みずほ」は15分間隔で東京駅12,13番ホームより発車した。
その間を東海道、横須賀線の電車が発車。
11番線発車前の横須賀線電車内より撮影。現在もし、同じことをやろうとしても電車の窓は開けられない。
EF65 511, 1978年2月 撮影
隣13番ホーム停車中は「あさぜ1号」
ホームでは機関車次位の荷物車へ荷物を積み込み中。
EF65 505, 1978年2月 撮影
EF66登場までの特急貨物用として活躍。
当時の区名票は「吹二」、513号はF型最若番。
EF65 513 , 1977年3月 向日町駅
特急貨物用EF65(F型)
F型は密着式自動連結器とジャンパ連結器装備が物々しかった。
1986年5月 立花−尼崎
1978年(昭和53年)秋より東京発東海道線寝台特急は牽引機が65P型より新製PFに変わった。
1106号機は、この年に東京機関区へ新製配置された新車だった。
東海道新幹線ホームより建設中の東北、上越新幹線ホーム越しに「あさかぜ」を写す。
EF65 1106, 1978年12月 東京駅
全景に東京駅の荷物用エレベータ塔が写っている。
東京駅発のブルートレインを牽引していた511号機に再会
分割民営化で組織が変わり、運用が変わり、塗装も変わっていた。
1991年10月 金町
広島訪問の帰り、16年ぶりに瀬野八を電車から見た。瀬野駅の機関区は無くなり周囲は近郊住宅地になっていた。
2002年3月、西条駅にて撮影。
広島貨物ターミナル駅で貨物列車最後尾につながれ補機仕業出発前のEF67 (0番台)。 2011年8月、新幹線車内より撮影。架線が高いためパンタグラフが高く伸びている。