2005年12月撮影のドイツ鉄道スナップ集
218型ディーゼル機関車
二階建て客車を牽引してFrankfurt(M)中央駅に到着。
ホームに立つ大人との対比で大きさがわかる。頭端式ホームのため、回送は先頭客車からの制御により無人バック運転でホームから出て行った。
218型はV160シリーズと呼ばれる2千馬力級DLの完成形式。日本のDD51とほぼ同時期に製造され、旧西独国鉄無煙化完了に貢献したDL。
JNRで使われたDD54型はV160シリーズの車体デザインと似ている。
2500PS機関一台、液体変速機一台、軸配置 B' B'、軸重約20t。
中間台車がないため簡素な動力伝達装置の配置にできている。
機関より列車用電気暖房の電源も得ている。
一方、国産DD51は1100PS機関二台、液体変速機二台。軸重を14tに収めるため中間台車がありDD51の方が全長が長い。
列車暖房用の蒸気発生装置が別途装備されていた。狭軌のハンディと1960-70年代工業技術の差を感じる。
ドイツでも不採算地方線の廃止、または気動車化でDLは減少した。
12月のドイツは日没が早く、べた曇りの日が多いため屋根付きホームでの手持ち撮影は無理がある。小型三脚を使いコンパクト・デジカメにて撮影。
143型電気機関車
軸配置Bo'Bo'、出力3720kW、サイリスタ制御。
旅客列車の高速化を目的に1980年代に旧東ドイツ国鉄(DR)で646両製造。DR時代の形式は243。
DRの標準機的存在で活躍しドイツ統一後は旧西側でも活躍が見られる。
サッカー・ワールドカップを控え、フランクフルト中央駅ホームの床は改装中だった。
頭端式ホームに並ぶ車両
2005年現在ドイツ鉄道(DB)の機関車は、ほとんどがドイツ鉄道標準色の赤色に塗られている。
赤色ばかりで少々がっかり。
手前右より111型、143型、101型、電気機関車。
モーター制御方法の異なる1970年代、'80、'90年代の製造機が並ぶ。
Frankfurt(M) Hbfにて。(2008年6月 記)
電車化した3世代目のICE。フランクフルトにて。
冬のICEに乗車しても寒くないのに感心した。
日本の東海道新幹線(0系、100系)は真冬に窓側席に座ると冷たい窓からの冷気と壁の冷たさで窓側の足が冷えたが、
ICEは窓の下の壁も暖房で温まっているので足が冷えず快適だった。
JRのぞみ700系は断熱材で窓の下の冷たさは改善されたが暖かくはない。
Goettingen発 Nordhausen行きローカル列車(RB)
Nordhausenは旧東独の町。かつて東西ドイツの国境線を見た私には、こんな運行の列車ができているのに驚いた。
643-2型気動車は連接式2両編成。撮影当時最新の車両と思われる。
1994年訪問時は客車だったKassel行きローカル列車は、これと同じデザインの電車運転になっていた。
現地時間の朝8:30は冬至頃のドイツでは薄暗く、このカット以外はカメラブレだった。
Goettingenにて2005年12月撮影。(2008年6月 記)
1994年のページでも紹介しているSL時代からの機関庫を道路から2005年12月撮影。 建物との間に柵がないことと機関車がJRより大きいので庫も大きいのに驚いた。
2012年Googleマップでゲッチンゲン駅を見ると扇形庫が取り壊され扇形の空き地になっているのを発見した。 この駅で特急は機関車の付け替えをしていたがICEに代わり、近郊列車も電車化され、機関車の出番が減ったためと思われる。
ハルツ狭軌鉄道
ハルツ狭軌鉄道(HSB)は旧東ドイツ領の都市Weronigelode,Nordhausen,Quedlinburg間を結ぶHarzquerbahn線(61km),Selketalbahn線(48km)と、 Harzquerbahn途中のDrei Annen HohneからHalz山地最高峰のBrocken山頂へゆくBrockenbahn線(19km)の主要3路線があり、 他に盲腸線が2本路線図に記してある。
軌間は1.00mで社名に狭軌鉄道と付くが日本のJRとほとんど変わらない。 現代的なDC,DLの他、日本でも紹介されるSL運転はWeronigelode-Brocken間だけでなく主要線全線で見られることが運行ダイヤで確認できる。
写真はHarzquerbahn線のElend駅に停車中のBrocken発Nordhausen行き列車。
駅には柵がなく、安全を守れる場所なら自由に撮影ができた。
1-E-1山岳線用5動輪、ドイツ的デザインのタンクSLが目の前に蒸気に包まれて停車! 連結器が朝顔型であるのと動輪が小さいため豆機関車に見えてしまう。
日本で5動輪のSLは特殊に思われるがドイツでは狭軌用タンク機から標準軌用大型テンダー機まで多数(約1万両!)働いていた。
Harz山を初めて訪れた1981年、Brocken山頂は東ドイツ領で軍事施設があるため遠くから眺めるだけでSLの走る鉄道があることも知らなかった。
2005年12月、ドイツの知人が金曜日の仕事が終わった後にHSBを見るため連れて行ってもらう約束をした。
当日午後、Goettingen市内の仕事場より車で出発。しかし冬至が近いため山に近づく頃は暗くなり始めていた。
撮影ポイントに案内してくれると期待していたが、村で車を止めて通行人に「駅はどっちですか?」と尋ねている。
こんなことなら、行きたい場所を地図で指定できるくらい日本でもっと調べてくればよかったと思ったが、
SLに出会った開拓村Elendを訪れた日本人は多くはいないと思うが絵になる駅だった。
途中の車中から見た旧東独の町ではHSB路線から分かれる使わなくなった工場専用線を幾つか見ることができた。
Elendにて。99 7236-5 は大戦後東独で製造されたグループの1両。(2008年8月 記)