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ファーイースト国際特許事務所

特定侵害訴訟代理業務付記
弁理士 平野 泰弘

NHKテレビ出演場面の一コマ(秋田放送局)

2004年7月20日

 秋田県主催・特許セミナーの講演会に複数のテレビ局を含むマスコミが取材に来場、平野弁理士の講演の様子が取り上げられました。その様子はNHKの夕方のニュースに放映されました。       

1986年 大阪大学理学部化学科卒業
1988年 大阪大学大学院理学研究科修士課程有機化学専攻修了
1988年 総合化学メーカー入社
      研究部門、営業部門および知的財産部門に勤務
2001年 弁理士試験合格(選択科目 有機化学、無機化学、工業化学)
2003年 弁理士登録(登録番号12757)
2004年 総合化学メーカーを円満退社
      千代田区に東京シティ国際特許事務所開設
2005年 特定侵害訴訟代理業務付記
<講演の実績>

2004年7月20日 秋田県主催 特許セミナー(秋田)
2004年7月28日 島根県主催 特許戦略セミナー(島根)
2004年9月29日 関東経産局主催 特許セミナー(東京ビッグサイト)
2004年11月5日 日本弁理士会主催 知的財産価値評価について(盛岡)

2004年10月28日 埼玉県主催 特許セミナー(さいたま新都心)
2004年11月11日 石川県主催 特許セミナー(金沢)

日本弁理士会 平成17年度 知的財産価値評価推進センター 第一事業部長
       平成17年度 知的財産支援センター     副部長(兼任)
       平成17年度 弁理士会倫理研修部      副部長(兼任)

       平成16年度 知的財産価値評価対策委員会委員
       平成16年度 知的財産支援センター委員
       平成16年度 弁理士会会員研修部会委員

趣味     読書、将棋。 将棋アマチュア五段
<新規に業務の依頼をご検討の方へ>

 申し訳ありません。現在業務依頼が集中している関係により、紹介状をお持ちでないお客さまからの新規業務受付は順番待ちとなっております。

 新規に業務を依頼される場合、顧問契約の手続きがお済みの方から順次業務を受け付けています。

 今から35年ほど前、私が6歳の頃の話です。

 私の両親は比較的物静かで、あまり私に対して積極的に何かを教え込もうとする姿勢はありませんでした。一つ強いて言うなら、私が幼いころは「筋を通すこと」が重要であると私に対して伝えようとしていた様に思います。遠い昔のことで、両親が私に伝えようとしたことが、果たして「筋を通すこと」そのものであったかどうかは定かではないのですが、現在からみて、当時私の両親はその様なことを伝えようとしていたと今では考えています。

 ただ、6歳の私には「筋を通す」ということの意味がよく理解できませんでした。
 おそらくそれは、何か物事を進めるために必要な手順ではないかと思っていました。
 それはつまり、まず最初に要所要所に杭を立てて、その杭と杭の間を糸でつないでいく作業のことを意味しているのではないか、と、漠然と視覚的な印象に置き換えて理解していました。

 杭と杭との間の糸は弛ませないでピンと張る、

 この様なことが私なりの「筋を通すこと」に対する理解でした。

 私が6歳の頃、母は姉である叔母のところによく私を連れて行きました。当時の私は遠くの叔母のところに遊びにいくことをいつも楽しみにしていました。近所の子供たちと遊ぶときとはひと味違うこともあって、従兄弟たちと遊ぶことが楽しみだったのです。

 当時は両親から自転車を買ってもらったこともあり、いつしか一人で自転車で遠くの叔母のところに遊びに行ってみたいと思うようになりました。
 しかし、叔母の家までの距離はあまりにも遠く、自転車で行くことは簡単ではないことは当時の6歳の私にも理解することができました。

 そのときからです。叔母の家に遊びに行くときに「自転車で叔母の家に行くとしたら、どのポイントを押さえなければならないか」を意識するようになったのは。

 家を出て自転車でとにかく線路沿いに走る。
 線路沿いに走ることができなくなったら、線路と平行に走る国道に出て走る。線路から離れ過ぎると現在地を見失うので、ときどき線路まで行ってみて、近くに駅がないか探す。
 そして、いつもの叔母の家の最寄りの駅まで行く。

 これが6歳の私の立てた作戦でした。
 自宅の近くの駅から、叔母の家の最寄りの駅まではたどり着けるように思えました。でも、問題はその最寄りの駅からどうやって叔母の家まで行くかということでした。

 それからは叔母の家を訪問する毎に、バスの中から外の風景を確認していました。
「この橋を曲がって直進する。」「あの角を曲がる。」
 こうやって、6歳の頭の中には、確実に打ち込まれた杭と、それをつなぐピンと張った糸が見えたように思えたのでした。

 ある晴れた日の朝、6歳の私は自転車に乗って一目散に叔母の家に向かいました。

 しかし、ピンと張られたはずの糸はあちらこちらで寸断されていて、思うように現在の地点を確認することはできませんでした。
 やっとのことで叔母の最寄りの駅まではたどり着いたのですが、そこからどのように叔母の家に向かってよいのかが分からないのです。
 初めて一人できて見る風景は、いつも母に手を引かれて乗った高いバスから見る風景とは、あまりにも違っていました。

 いつも乗っていたはずのバスの後を必死で自転車をこいで追いかけますが、バスは容赦なく過ぎ去って行きます。

 そうやってバスを待っては来たバスの後を追いかけ、見失っては次のバスを待って追いかけて、とするうちに、道沿いに走れば「バス停」が要所要所に立っていること、そしてこれを目印にすれば、見覚えのある風景にたどり着けることに気がづきました。

 そしてついに6歳の私は一人で叔母の家にたどり着くことができました。

 「こんにちは」、といつも通り叔母の家に入ると、叔母は「お母さんはどうしたの?」と尋ねました。6歳の私が「一人で自転車できました。」と答えると、叔母の家中が異様な雰囲気に包まれたことが当時の私にも分かりました。
 従兄弟の一人が「ほんとうに外に自転車がある!」と叫んだ後は、叔母の家は蜂の巣をつついたような大騒ぎとなりました。

 私の両親が6歳の私に伝えようとした「筋を通すこと」、それは私の中にずっと生き続けています。要所要所に杭を打ち込むイメージは、私の今の仕事で発明の本質を探る作業に役立ち、ピンと糸を張るイメージは、審判等の手続きで一つの論旨を貫こうとする私のルーツにもなっています。

 明石〜神戸・三宮の間を走るJRの新快速の車窓から美しい瀬戸内海を見るとき、よくもまあこんな長い距離を子供用の自転車で一人で走ったものだと、我ながら感心します。

 残念ながら今では二人の姉妹である私の叔母と私の母は他界していますが、6歳の大冒険の出来事は昨日のことのように今でも懐かしく思い出されます。


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