ココシャネルに会いにパリのホテルリッツまで

               10eme


誰でもモテるミラクル・パラダイス 東京 六本木


 歯磨き粉を間違って飲み込んでしまったような、独特で不思議な味の<パスティス>も、
4杯・5杯とグラスを重ねていくと、舌の感覚が麻痺してくるのか、その独特な不味さを感じることもなく
むしろ美味しいような錯覚に陥ってきた。
 「先週、パリの俺の下宿先にさ、アンドレが<パスティス>が1ダース詰まったケースを
あいつの実家から送ってきたんだよね。言ってみるもんだな。
これでしばらくは、パスティスを買わなくて済むからさ。」
 <柿の種>をつまみながら、エミリオがオリックに視線を移しながら話す。
 「俺のところには、あいつ送ってこないぜ。」
 「それはそうだよ、オリックはアンドレに<パスティス>送れって頼んでないもの。
僕は東京からパリへ帰国する<エールフランス>の中で頼んだんだ。
 あいつ、夏のバカンスは実家に帰るって言ったからさ、
アンドレの実家はパスティスの大手メーカーだろ。」
 オリックも<柿の種>をつまみながら、グラス片手につぶやく。
 「いいよなぁ、大手メーカーの御曹司は、・・・まったく、羨ましいよ。」
 それを聞いていたジュリアンが、好奇心のこもった表情で二人に聞き返す。
 「同級生にパスティスの大手メーカーの御曹司がいるの?
私立のグランゼコールは、さすがに違うね。」
 「そうなんだよ。NYと東京で部屋が同室で、俺達といつも一緒にいる仲間なんだ。
面白くて、いい奴だよ。今度、ディジョンに遊びに連れて来た時に紹介するよ。
 それに学費が高いからか、親が金持ちな奴が多いいよな。」
 「それは言える。多いよな、金持ちの息子。羨ましいけど、羨んでばかりもいられないだろ、
僕自身が稼げるようにならないとな。」
 オリックも頷きながら、それに同意する。
 「全く、その通り。同感だ。」
 酔っ払って愚痴り出した3人の会話を聞きながら、今時のフランス青年の心情を観察する。
 円卓の上に置いてある6本あった<リカール パスティスの大手メーカー名>ボトルは
もう半分が、既に空になっている。
 6杯目だったろうか?いや、7杯目だろうか?忘れてしまった。そんなことは、もうどうでもいい。
空になった自分のグラスに、なみなみと冷たいパスティスを注ぐ。
 「なぁ、カズミは自分で喜んでなみなみと注いだパスティスを飲んでるぞ。
コイツ、かなり酔っ払ってるんじゃないのか?美味しいか?」
 急に目の前に大きな掌がかざされ、上下に振ってジュリアンは私が酔っているかを確認しだした。
 「おいひぃで~す。」
 酔ってろれつが回らなくなっている。
 「小さい身体のくせに、本当に良く飲むな。
パスティスの前には、一人でブラディ・マリーまで飲んでたんだぞ。
医学的に見て、この大きさの身体に対してこの飲酒量は正常なのか?ジュリアン。」
 オリックが医学生のジュリアンに尋ねる。
 「飲酒量は個人差があるから、それは解らないな。でも、飲み過ぎだろう、
酒を取り上げて、水でも飲ませるか。」
 ジュリアンがグラスを取り上げようとするので、取られないように急いで抱え込む。
 「いじわるは、しないでくだしゃい。」
 気分は上機嫌、思考回路は正常であると思うのだが、
アルコールに侵されてしまったのだろう、ろれつが回らず言葉が上手くしゃべれない。
 「飲み意地の張ったやつだなぁ、グラスを抱え込んでさぁ。」
 ジュリアンは私を見ながら、呆れたようにつぶやく。
 「そう、コイツ飲み意地も食い意地も張っているの。
こんな小さい身体しててさ俺よりも食うらしいんだ、ママとロレンヌがそう言ってた。
 フランスに留学してるのも、来期からヴァンドーム広場にあるホテルリッツの料理学校に
入学する為なんだよな?カズミ。」
 オリックが笑いながら、人差指を酔っ払った私の目の前でからかいながら回すので、
目が回る。
 「やめてくだしゃい、オリック。目が回りますぅ。」
 目が回って気分が悪くなってきた。
 「やめろよ、オリック。酔っ払いにそんなことすると吐くぞ。」
 ジュリアンがオリックをたしなめる。
 「なぁ、ヴァンドーム広場のホテルリッツって、あのパリの五つ星ホテルだよな。」
 驚いた表情でエミリオがオリックに尋ねている。
 「そうなの、あの超豪華ホテルのリッツなの。
リッツからカズミ宛てに送られてきた書類やパンフレットを見たら、
ホテルの中に料理学校があるらしいんだ。学費が超高額なのに驚いたよ。」
 「そこでカズミは何を学ぶの?超高額の学費を払ってイモの皮剥きから習うのか?」
 「さぁ、何をするのかなぁ。料理学校と言っても、富豪相手の超豪華ホテルの経営だから、
フランス国立の調理専門学校のようにプロ養成の為、スパルタ式のカリキュラムではないと
俺は想像するな。
 スイスのジュネーブ辺りにあるフィニッシング・スクールみたいなもんじゃないの、多分。
 クリストフルの銀食器にリモージュの高級食器、美形の燕尾服にかしずかれちゃうところでしょ、
俺一度も行った事ないから、イメージしかわかないけどね。」
 「僕は行った事があるよ、一度だけだけど。」
 <柿の種>をつまみながらジュリアンが、二人に視線を向ける。
 「おぉ、凄いね。ジュリアン。で、どうだった?内装とかすごいんだろ?」
 空になったジュリアンのグラスにパスティスを注ぎながら、エミリオが尋ねる。
 「 子供の時に、離婚してパリに住んでいるお袋が再婚相手を紹介する為に
リッツのレストランで食事をしたんだよね。五つ星ホテルなんて初めてだから、
凄く緊張したけれど、それよりもお袋が目の前で新しい男と親しげに振舞うのを見て
子供心に掻き乱される感情を冷静に収めて、その場をやり過ごす事で精一杯だったから、
よく覚えていないんだ。」
 グラスをゆっくりと回しながら、ジュリアンがつぶやく。
 「そうなんだ・・・・・。」
 場の空気を変えるように、エミリオが空になった私のグラスにパスティスを注ぐ。
 「さぁ、もっと飲んでよ。ねぇ、カズミって日本人の女の子なのに変わってるよね?」
 「なにが、どう変わっているんでしゅかぁ?」
 いきなり話の主題が私に変わる。
 「僕が東京で見た、日本人の女の子は皆、綺麗に化粧をしてお洒落をしていて、
日本の流行のシステムのせいなのか、おんなじような格好や化粧をして無個性的ではあるけれど、
新しい流行の服装や外見に気を使う綺麗な女の子が沢山いた。
 それは、パリやNYよりも顕著な感じがしたね。六本木にいた女の子なんて皆可愛かったよな。」
 酔っ払っていても、自分が何を言われているのか判る。
それでは私が他の日本人の女の子と違って、可愛くないと言われているのと同じではないか。
 「私は今、留学生で勉強中の身だから、これでいいんでしゅうぅ。
日本に帰れば、ちゃんと化粧をして変身しましゅ。」
 私の反論が終わらないうちに、オリックが話に割って入ってくる。
 「そうだよな、エミリオもそう思うだろ。
カズミは俺達が東京で見てきた女の子とは明らかに違うよなぁ。
 化粧もしないし、男にも眼もくれず興味があるのは食うことだけ。全く変わっているよ。」
 <一体何をいいだすつもりだ?私を変わり者扱いするな!>
 「ジュリアン、六本木はいいぞ。僕はあそこで人生最大に物凄くモテた。」
 「俺だって、自分史上初にモテたぜ。六本木はミラクル・パラダイスだ。
歩いていれば女が寄ってくる感じ。」
 人種を超えて男という生き物は酒が入ると、過去の輝かしいモテた自慢をし始める。
 今までに<俺は六本木でモテた。>という自慢話を、聞きもしないのに嬉しげに
勝手に話し出したヨーロッパ人種が何人もいることからも、本当に六本木という街は
彼らにとって幸せのミラクル・パラダイスなのだろう。恍惚とした表情で過去のモテた栄光を語る
彼らを見て、うんざりと幻滅する私のことなど御構いなしに、
ノンストップで何時までも話し続けるのが彼らの常だ。
 男と言う生き物は、本当にどうでもいいことで話し続けることが出来ると関心してしまう。
 「俺とエミリオがモテるのは解かる。俺たちはカッコイイからな。
だけど、不細工で気の回らないフィリップにまで、女が寄って来るんだから驚いた。」
 「それには僕も驚いた。
女性に対して気遣いのセンスが欠落している上に、ルックスの悪い
フランスでは全く女の子に見向きもされなかったフィリップでさえ、貪欲に女の子が群がっていた。
 つまり僕達、海外研修に参加した中で、六本木でモテなかった男はいないことになる。
日本の女の子は外国人だったら誰でもいいのか?それとも、日本には男がいないのだろうか?」
 二人の視線が私に向けられたが、この種類のことに対してコメントは控える事にしている。
 それに私にだって、彼らがモテた理由なんて解りはしないのだから。
 それならば、私にだって聞きたいことがある。一般的に言われていることに
<ラテン系のフランス人男性は、女性に優しいからフランスに行けば女性は誰でもチヤホヤされる。>
と言われているのに、どうして私はチヤホヤされないの?
 この国は全世界の女性にとって<誰でもモテるミラクル・パラダイス フランス>
ではなかったのだろうか?
 「あぁ、羨ましいな。東京にはお洒落で綺麗な女の子が沢山いて、
男なら誰でもモテるんだろう。僕も行ってみたいなぁ、その<誰でもモテるミラクル・パラダイス>に・・・・。」
 ジュリアンがテーブルに肘を付いて、夢見るような表情でつぶやいたとき、
庭全体を照らし出すようなヘッドライトの光が突然差し込むと、
正面玄関から駐車スペースに敷き詰められた小石を蹴散らして
シルバー・グレイのメルセデス・ベンツが走りこんで来て停止した。
 「あぁ、J・Pとママ、それにロレンヌまで一緒に帰ってきたぞ。飲み会はこれでお開きだな。」
 ベンツから降りた三人が真っ直ぐにテラスに向って歩いてくる。
 ジュリアンとエミリオは真っ直ぐに立ち上がり、テラスに立ったムッシュー・ピッチオに
飲んでいた時とは全く異なり爽やかで精悍な表情で、握手をする為の右手を差し出す。
 <見事な身代わりの早さ、好青年の自己演出。さすが、未来のエリートなだけはある。>
と感心し、要領の良さを身に付けようと二人のやりとりをしっかりと観察する。
 「おひさしぶりです。ピッチオ教授。」
 「本当にひさしぶりだね。ジュリアン。お父さんのグリュデ医師はお元気ですか?
お義母さんのグリュデ医学部教授とは大学の構内で時々あうのですが、
無事に<Cooperation 兵役免除の海外派遣企業研修>が決まったそうでおめでとう。」
 「有難うございます。これも義母が方々に手を打って、骨を折ってくれたおかげです。
義母には、非常に感謝しております。」
 ジュリアンとの挨拶が終わり、ムッシュー・ピッチオはエミリオと握手をかわす。
 「ひさしぶりですね。ご両親のリエス夫妻はお元気ですか?
お姉さんのクロードから先週、リヨンの弁護士事務所で元気に働いていると絵葉書を貰いました。
今度、ディジョンに戻る時には私のところにも寄るように言って下さい。」
 「はい、ありがとうございます。ムッシュー・ピッチオ。
再来週に実家に戻ってくると連絡があったので、姉に伝えておきます。」
 テラスに上がってきたロレンヌは手に持っていた重そうな黒いブリーフ・ケースをテーブルに置くと
グラスを片付け始めた。
 「もう夜中の一時を過ぎているのよ、一体何時から飲み始めたのよ?
パスティスのボトルが4・5本空になってるじゃない。
 オリック、エミリオ、ジュリアン!片付けるの一緒に手伝いなさい!
あなた達子供の時から散らかして、いまだに片付けられないのだから少しはなんとかしなさいよ。
 まぁ、カズミもオリック達と飲んだくれて真っ赤な顔をしているじゃない。大丈夫なの?」
 ロレンヌが目の前で掌をふりはじめた。
 「そう、コイツ飲みだしたら凄くのむんだ。酔っ払いなんだよな、カズミ?」
 オリックが私のことを酔っ払いと言っている。私の思考回路は正常だ。
 「わたしは、よっぱらいじゃ~ありましぇん。」
 ろれつが回らなくなっているが、私は正常だ。
 「いいや、おまえは酔っ払いだ。」
 「いいえ、よっぱらいじゃ~ありましぇん。」
 テーブルの横に立ったマダム・ピッチオがオリックをたしなめる。
 「オリック、酔っ払いをからかって遊んではいけません。
エミリオとジュリアンは今夜泊まっていくでしょう?早く片付けて寝なさい。
 カズミは大酔っ払いなのだから、今直ぐ二階に上がって寝ないとだめですよ。」
 マダム・ピッチオも私のことを酔っ払いと言っている。
もしかして、そんなにも酔っているのだろうか?
 「はい、もうねましゅ、おやしゅみなしゃい。」
 椅子から立ち上がると、感覚が取れず足元がふらつく。
 どうやら、私は立派な酔っ払いらしい。

 もう寝よう、今夜も楽しく幸せな時間が過ぎていった。
この日の何気ない心の交流と情景、シュビニー・サンソーバーにそよいだ心地よい夜風のざわめきを
いつの日か懐かしく、心の中で静かに思い出す時もくるのだろうか?
 過ぎ去った青春の何気ない煌きを放つ、大切な宝物を愛しむように・・・・。


   ココ・シャネルに会いにパリのホテルリッツまで