高松琴平電鉄 琴平線 一宮−円座

1.2006年5月27日
760+120+325+300 
※2006/5/27 写真差し替え
《アクセス》
香東川鉄橋の西岸。円座の駅から500m程だが、道が分かりにくい。
新しくできた老人ホーム風施設、あるいは神社を目標に細い道を探す。
土手にたどり着いた所が撮影地。
歩道が整備されており、そこを足場とする。駐車は土手付近に可能。

《光線・レンズ》
午後の琴平行きが順光。
土手の東側から朝の上り(高松行き)も順光だが、最近線路際に前述の施設が
建てられたため、バックの処理が難しくなってしまった(3.)。
作例は12時頃で85ミリ相当。
《コメント》
羽間−榎井の鉄橋とよく似た感じの場所。但しアクセスがやや判りにくいので注意。
今回の旧車さよならイベントでのハイライトシーンだった、
引退の760を先頭とした4連走行。
奇跡のオールチョコレート色、オール前パンの4連が琴平線を走行した。
曇ったのは残念だったが、それでも有名撮影地とあってこの鉄橋周辺に
100人以上は集まっていたのでは。
豪快な吊り掛け駆動の音を鳴らして走り抜けていった。

2.2007年2月3日

65+120+300+315
《アクセス》
1.と同じ。
《光線・レンズ》
12時半頃で70ミリ相当。
《コメント》
当時現役最古参車両だった65のさよなら運用。
1.の760先頭の4連も素晴らしかったが、同じく個性的なこの65が先頭に立つ
こちらもオール前パン+オール色揃いの4連も、雲一つない青空に映えて美しかった。

3.2006年5月27日

300+325+120+760
《アクセス》
1.をもう少しサイド気味に。
《光線・レンズ》
作例は13時頃。85ミリ相当。
《コメント》
帰りの一宮行きは横から編成と鉄橋を狙う。
多くの撮影者は川を渡って東岸に集まったが、
作者同様サイドからのアングルを試している撮影者も見受けられた。
アングルとしての高さが中途半端なのは、手前の草で河原にいる撮影者を隠しつつ、
バックの建物をカットしているため。
先頭(右端)の300号に友人とそのご子息が乗車されていたので、
撮影しつつ探してみたが分からずじまい。
残念ながら原画を拡大してみてもその尊影を確認する事は出来なかった。

4.2007年2月3日

65
《アクセス》
鉄橋の東側から。
《光線・レンズ》
午前が順光。11時頃で85ミリ相当。
《コメント》
鉄橋東岸からの撮影は、1.に書いたとおりバックの建物の処理がポイントだが、
敢えて山と共に入れて構図をとった。
1年前には思いもよらなかった65の琴平線走行シーン。

5.2007年2月3日

315+300+120
《アクセス》
4.に同じ。土手から河原に降りて撮影。
《光線・レンズ》
11時半頃で50ミリ相当。
この時間帯だと電車の顔は陰り気味で、サイドのみ順光となる。
《コメント》
きれいな冬の青空に旧車3連が映えた。

6.2020年1月4日

1080系

7.2020年2月23日

23+300+120
《アクセス》
5.6.の2枚は、大鉄橋の東側にある築堤脇から。
《光線・レンズ》
立ち位置にもよるが、おおむねお昼前後を中心に順光。
6.は13時20分頃で50ミリ相当。
7.は14時10分頃で50ミリ相当。
《コメント》
この場所は冬から春にかけて菜の花が栽培されている。
7.の旧電3色だんご編成も見られるのはあと僅か。
畑の周りには多くの撮影者が集まった。

8.2020年9月20日

23+120+300+500
《アクセス》
1.2.と同じ。
《光線・レンズ》
14時10分頃で50ミリ相当。
《コメント》
1.の760引退、2.の65引退さよなら運行、の時も撮影者は多かったが、
今回の23と500のさよならイベントも、この鉄橋周辺にはざっと200名近い
撮影者が集まった。
天気は1.の時と同じくイマイチな空の色であったが、
吊り掛けモーターの爆音響く4連運用はもう見納め。
内装ニス塗りに彫刻入り飾り柱の23に、
高い位置に尾灯が付く特徴的な顔つきの500。
志度線・長尾線から長く乗車に撮影にとお世話になった2両には
心の中で「お疲れ様でした。ありがとう。」の言葉を贈った。

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