2009.9.2 - 9.12 | ||||||||
クロアチア ~ドゥブロヴニク編~ | ドブロブニク |
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そろそろ魚も食べ飽きたところでフヴァル島を離れ、「アドリア海の真珠」と呼ばれるドゥブロヴニク(Dubrovnik)へ向かいました。 スプリトでレンタカーを借りたのですが、出発しようとするとなぜかエンジンキーが回りません。店の人に聞くと「オートマ車なんだから、フットブレーキを踏まなきゃエンジンがかからないに決まってるでしょ。日本人なのに車の動かし方も知らないの?」と笑われる。 ええ、ちょっとパーキング(P)のギアが無い車に乗るのが初めてだったものですから・・・。 スタリ・モスト |
高速道路は立派&ガラガラ ドゥブロヴニクへ向かう途中、隣国ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタル(Mostar)という町へ寄りました。ここにはスタリ・モスト(古い橋)という16世紀に作られた石造りの美しい橋があります。 1992-95年の内戦時にはこの橋を挟んで同じ市民がイスラム教徒とクロアチア系キリスト教徒に分かれて戦い、1993年の砲撃でこの橋も破壊されて、町は分断されてしまいました。 |
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橋の中央から見たイスラム側 |
モスクが見えます |
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内戦終結後、トルコ政府やユネスコの支援を受けて橋は元の姿に再建され、多民族・多文化共生の象徴として世界遺産に指定されました。 石造りの橋自体は思いの外あっけないものでしたが、今でも両岸にはたくさんの廃墟や銃弾の痕があって、人々も分かれて生活しています。橋越えると売っているもの・食べているもの・飲んでいるものまで違っていて、人々との会話の端に相手への根強い不信感があり、戦争が生んだ傷の深さを考えずにはいられませんでした。 |
橋のたもとに置いてありました |
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とは言え、今はがっつり観光地化されています。 通貨はマルクですが、駐車場やレストランでは クロアチアクーナやユーロが使えました。 |
ユネスコの看板。絶妙な位置(画面中央)に 大きな花があって橋をうまく撮れません・・・ |
レストランで子猫の襲撃にあった嫁。ヘルツェゴビナ料理はなかなか美味しかったです。 |
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城壁に囲まれた港町 |
モスタルから2時間、目的地ドゥブロヴニクは評判どおりの美しい港町でした。がっ、やはり有名どころだけあってツアー客がとても多く、スイスから来た田舎者は人疲れしてしまいました。 町の中には美しい建築物や教会などが並び、城壁の上から眺める町並みの美しさには思わず溜息がでます。これで人が少なくて、料理がイタリア並みに美味しくて、物価が観光地化されていなければ最高です。 |
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城壁の上を一周できます |
とにかく観光客だらけ |
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脱力系ステンドグラスその1 |
脱力系ステンドグラスその2 |
フーフー系噴水口 |
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宿泊したHotel Bellevueもきれいな入り江に面しており、フヴァル島で散々泳いだのに、ここでも滞在中毎日泳いでしまいました。室内プールやスパも小さめですがきれいで快適でした。ちなみにこのホテルのレストランは、値段は高いですが、クロアチア滞在中一番美味しかったです。 別の日に岬の突端にある他のホテルのSushi Barに行ってみましたが・・・寿司を食べながら見た夕日がきれいでした。 (積極的に不味かったわけではないです) ドゥブロヴニクからコトルへ車で行くならKamenariのあたりからカーフェリーで対岸に渡ると時間短縮できます。いつもながらニッチかつアバウトな情報ですいません。 しかし、ここの床屋は、すごかったです。床屋のおばちゃん3人がタバコをふかしつつ、機関銃のようにしゃべりまくりながら、髪を切ってくれます。切るリズムと会話のリズムが完全に一致しており、何か考え込む話題だと、はさみも止まります。腕は確かで、わずか15分で完了、たったの8百円でした。かなーり短く切って完成してから、初めて「これでいいか?」と聞いてくれます(もう遅い)。写真は、左壁の裏に居る同僚と、何か大事な話になった瞬間。右側のおばちゃんは、悪意なくずーとたばこを僕の方に吹きかけてくれます。 |
Hotel Bellevueは旧市街から徒歩10分、いいホテルでした。 |
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日帰りで隣国モンテネグロの世界遺産コトル(Kotor)という港町にも行ってきましたが、ここもかなり観光化されていて、団体客がどっちゃり。教会や町並みなどもきれいですが、ドブロブニクの後ではどうしても見劣りしてしまいます。 恒例の「世界の床屋から」シリーズ、モンテネグロ編 |
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