思うこと 第55話          2006年1月8日

日本の医療変革に燃える男との再会

2006年1月7日から9日までの3日間の産業医学専門講習会の初日、「納先生、お久しぶりです。」と声をかけてきた男こそは、今、日本の医療変革の最前線で活躍している 田中伸明君であった。 本当に久しぶりの出会いで、おそらく15年ぶりかと思うが、笑顔のすばらしさは、以前にもまして魅力的であった。 同君との思い出で最大のものは、1987年春、私がWHOの招請を受け、上海に1週間程滞在した時のこと、滞在初日に「納先生、先生をたよって上海にやってきました。泊めてくださいね。」と、ホテルに訪ねてきてくれた。 同君は、その年の3月に鹿児島大学医学部を卒業し、中国の漢方医学と中国文化を学ぶために1ヶ月程の旅行(無銭旅行に近い状況)の途中で、最後の訪問地とのことであった。 もちろん、私にとって、同君との同居は嬉しい申し出で、毎晩、同君がそれまでの旅で学んだ中国での体験談を聴いて、多くのことを学んだのであった。 同君はその旅行直後に私達の教室(鹿児島大学第三内科)に入局することが決まっていたので、 私にとって同君との共同生活は、ことのほか嬉しいことであった。 あの時期は、井形先生が2月に鹿児島大学学長に就任され、急遽後任教授の全国公募が行われ、私は教授候補者の一人として選考委員会のマナイタの上にいたのであったが、私が教授に就任することを信じて、私を慕ってくれた若者達が20人大挙入局を希望してくれるという、うれしい悲鳴をあげた時であった。 20名も入局すると、彼らに対する教育がおろそかになる恐れがあると結論し、11人からなる厳格な選考委員会を医局の中に設置し、4月はじめに15人の入局を許可し、5人には選ばれなかった旨伝えたのであったが、田中伸明君は入局が許可された一人であった。(以後、選考委員会による入局審査は私達の教室の伝統になっている。)
 同君は、入局後、医局の中でも特別に目立つ存在で、その数年後に井形先生が学会長を務められた鹿児島での神経学会総会でのレディースプログラムの立案遂行を同君にまかせたところ、ここでの同君の存在感も抜群で、大変な人気となり、その後神経学会の“お偉方”の奥様がたから、鹿児島の学会はとって、もとっても、すばらしかった、と井形会長の評価を高めるのに一役買ったのであった。
 その後、同君は、神経内科認定専門医の資格を取得した後、日本の医療を変えるとの星雲の志をたて、鹿児島を後にしたのであった。 その後、折に触れ、同君の活躍の様子は、同君からの報告や、マスコミからのニュースでフォローしていたつもりであったが、今回、一緒に弁当食べながら同君の近況をきいて、私の認識をはるかに超ええる超人的な活躍をしていることを知ったのであった。 同君の仕事を一言でまとめると、21世紀の日本の医療サービスを支える組織体を日本全国に萌芽させるために、さまざまな分野で活躍している、といえよう。 同君の指導(コンサルテーション)を受けたいと言う組織体が後を絶たず、とても体が一つでは足らない様子であった。 同君の活躍の場はとても多く、いろいろ聴いたのだが憶えきれるような数ではなかったので、ここでは、特に記憶に残った幾つかの活躍を紹介するにとどめるしかない。( 昨年までの同君の活躍については、日経ヘルス21の昨年の8月号に掲載されているのでご参照願いたい。 )
 まず私がすでにフォローしていたのが、同君が、2000年11月に外科、内科の2人の専門医師と3人でグループ開業という形で開業した用賀アーバンクリニックで、その後多くのマスコミにもとりあげられ、今や、大きく発展開花し、この方面のモデルケースとして有名なので、ご存知の方も多いと思うが、この3人の医師の一人の遠矢純一郎内科医も私の教室の仲間の一人で、彼が、この病院についてインタビューに答えたものがあるので( http://www.faminew.jp/shakujii/youga.html )そちらもご参照願いたい。
今回知った同君の活躍分野の幾つかをあげると;

1: 会津大学や日本大学工学部の客員教授として技術マネジメント(MOT)を、また産能大学や国際医療福祉大学で病院経営学を教えている。教育という意味では、米国財団・野口医学研究所の日本人筆頭顧問として米国への臨床医師研修を支援している。

2: 大学発ベンチャー 会津大学、日本大学でベンチャー育成に併せて、東京大学医学部、薬学部のベンチャーファンドであるFTIではインダストリアルエキスパートとして投資案件の評価を行っている。

3: 地域新興 福島県、郡山地区の医療産業育成地域(メディファクトリー)構想のプランニングと実現を行っている。

4: ベンチャー育成支援 病院経営コンサルティング会社であるメディカルクリエイト代表パートナー。前述の用賀アーバンを運営する家庭医、高齢者施設医療を実践(指導)する会社メディヴァ。医師紹介、派遣で伸びており、東京や札幌の高層ビルを中心とした医療機関M&Aを行っているメディカルハイネット。在宅医療支援や病院の地域連携支援をおこなっているソシオン。「肥満遺伝子」で雑誌・テレビで注目されている日本ウエイトマネジメント。その他NTTdataのヘルスケア新規事業アドバイザーやPETの遠隔診断会社CAFI副社長など、続々と生まれるベンチャーに顧問また取締役として、時には医師として支援しているとのこと。

5: 最近流行のホリエモンのごとく企業M&Aの世界にも進出したようで、セントラルユニという上場会社の社外取締役となって活躍しているとのこと。

 臨床以外の場で主に活躍している田中君ではあるが、先述の神経内科認定医であるだけでなく東洋医学会専門医でもあり、臨床の現場でもまた活躍している様子であった。

 さて同君の現在の生き方を訊ねたところ、彼の生き方のモットーは「正しく、楽しく、他人のために生きる」で、それが、人生の良循環の秘訣とのこと。また同君が言うには、弱肉強食の資本主義と言われているが、仲間・信頼関係に基づく「友達資本主義」という世界が存在し、「友達資本主義」の世界は、人を裏切ったり騙したりしないで、仲良しで(信頼の絆で結ばれ)、世の中の為に働くことで、確実に利益を確保できる世界と、何やら難しいことを言っていたが、彼は、その友達資本主義の世界のなかで、現在躍動しているとのことであった。

同君の持って生まれたキャラクターに支えられていて、他の追従を許さない領域を、愉快に泳いでいる、そういう若者に再会し、エールを送ったのであった。