思うこと 第284話           2010年1月18日 記
郷中教育について−その6−
ボーイスカウト制度と
『 郷中教育』−その3

 『思うこと 第145話 郷中教育について−その3−』ならびに『思うこと 第280話 郷中教育について−その5−』においてボーイスカウト制度と『郷中教育』の関連に関して論じたが、そのことに関連して、今回、すばらしい情報をメールでお寄せいただいたので、まず、そのメールの一部を紹介します。
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納 光弘様
はじめまして。
私は札幌の○○○○○と申します。
郷中教育について調べていましたところ
納 光弘様のHPにたどりつきました。

たまたま借りて読んでいました鹿児島市史に
郷中教育についてーその3−に関する情報が
ありましたのでお知らせいたします。

鹿児島市史2 / 鹿児島市史編さん委員会編
985ページに掲載されています。

原典は、↓とのことです。
健兒之社 / 上野篤著

薩摩藩について勉強中のものです。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
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早速、鹿児島県立図書館で閲覧・コピーさせていただいたので、以下に紹介します。

まず、鹿児島市史2は、

昭和45年に出版されたもので、

その985ページに以下の記載があった。
『麑城少年団は、大正14年(1925)5月3日に、初めて編成された( 上野篤著 「健児之社」 )。
 ちなみに、ボーイスカウト(Boy Scouts)は、イギリスのパウエル将軍(Baden Powel)が、1908年に英国少年の心身を鍛練する目的で創立した団体である。 わが国では、後藤新平が大正11年(1922)に日本少年団(ボーイスカウト)の初代総裁に就任した。 パウエル将軍は乃木希典将軍に対して、薩摩の健児の社の制度、すなわち、郷中教育と学舎とを研究してその長所を採って、これを組織したと答えたと言う( 上野篤著 「健児之社」 )。 麑城少年団は、鹿児島市の少年で、毎日学舎に通えないもののために、「ボーイスカウトの形式を採用して、郷土的色彩ある健児の社の精神を広く普及し、もって麑城少年の精神的修養」の機関として設立した(麑城少年団成立趣意書)。』
(原文の写真を以下に添付)

この原典となったという 原典『健兒之社 / 上野篤著』

著者の上野篤は鹿児島市長をされた方で、

昭和2年の発行となっている。

この自序 3ページに以下の記載があった。
健児の社の教育は、古代ギリシャのスパルタに於ける硬教育に類似し、武士道的精神を該教育の真髄として居るものであることは、おそらく世人の知悉して居るところであると思う。 近年、欧米各国に於て、風紀作振上甚だ有益なることと認められて居るところの「ボイスカウト」の操練を故乃木大将が英京倫敦の郊外に於て参観せられた際に、「実に結構な組織ではある、如何にして斯る良制度が工夫創始せられしものなるか」との大将の讃辞に對して創始者たるバウデン・パウエル将軍は「閣下には御承知なきか、これは貴国薩摩に於ける健児の社制度を研究しその美点を斟酌して組織したるものに外ならず」と答えたので、大将は自己の無知に赤面しながらも、我国にも他国の模範となるべきもののあるのに内心大に誇を感ぜられたということであるから、つまり「ボイ、スカウト」の模範は我健児の社が提供したこととなるのである。
(原文の写真を以下に添付)


 この感動的な情報をお寄せいただいた札幌の○○○○○様に、心からの感謝をささげます。ありがとうございました。 この本には著者の上野篤市長がこれらの情報をどこからどのようにして入手されたかの記載はなかったが、著述された昭和2年時代に、出典をあげる必要もないほどに世の常識であったと推察され、いずれにしても、私が『思うこと 第145話 郷中教育について−その3−』において呈した疑問の大半は解決されたように思え、感慨に耐えない。もっとも、更に前の情報源も知りたいところではあり、もし、どなたか情報を得られましたら、お教えいただければ幸いです。