思うこと 第237話           2007年7月24日 記       

貴重な3ヶ月間のマイアミ大学医学部留学体験
ー西田大輔君の報告ー

鹿児島大学医学部6年生の西田大輔君は、学業成績が優秀というだけでなく、なにごとにも一生懸命に取り組む好青年である。

同君は、鹿児島の地で中学高校時代を過ごし、名古屋大学理学部、理学研究科でタンパク質について研究した後、鹿児島大学医学部に学士編入学している。鹿児島大学の学士編入生のレベルが極めて高いことについてはすでに「思うこと」第49話でふれたが、同君を見ていると、鹿児島大学の学士編入は全国に誇れるものであるとの感を強くする。さて、鹿児島大学医学部の6年生は、4〜6月の3ヶ月間自分で研修コースを選択できる、他の大学にないすばらしいユニークなシステムをもっている。この期間を西田君はマイアミ大学医学部で過ごし、私に随時レポートしてくれていたが、この度帰国し、最終的なまとめの報告をもらった。

なんと実り多い研修をしたことか! 驚くほかない! 多くの方々にぜひ読んでいただきたい貴重な報告なので、同君の許可を得てここに紹介する。なお、下記のアドレス
http://www.geocities.jp/kgo_ngo/miamireport.htm  に同じものを同君がアップしてくれてある。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
マイアミ大学実習記

鹿児島大学医学部医学科6年
西田大輔
 

<目次>
1.Introduction
2.Oncology   腫瘍内科
3.Infection   感染症内科
4.Trauma    外科救急
5.Transplant  移植外科
6.Psychiatry   精神科
7.Education   医学教育
8.Conclusion

1.Introduction

 フロリダ州マイアミ。サンシャインステートと呼ばれるだけあり、日差しが強くリゾート地となっています。そんな中、鹿児島大学の6年生のクリニカルクラークシップ制度を利用して2007年4月から6月にかけて3ヶ月間、マイアミ大学の病院で医学実習をさせて頂きました。

 今回の3ヶ月弱の滞在では3つの目標を設定してみました。

それは「貢献」「基礎力」「アウトプット」です。

すなわち、「貢献」とはクリニカルクラークシップとして参加しているので、指導医に対して何らかのお手伝いを主体的に行い(病歴聴取、身体所見など含め)、存在対効果を最大限に生かすという事。
「基礎力」なんといっても医学の知識、技量が不足しているので実習の過程で、日本に帰ってきてからも座学をしっかりして足下を掬われないようにする事。マイアミにいる分誘惑が多く、自分を持って学ぶ事。
また言語に関しても英語を業務に支障がでない程度まで用いられるようになる事と、スペイン語圏のため、スペイン語で簡単にコミュニケーションできるようになる事
「アウトプット」マイアミでの経験を次に生かすため、失敗した事を含め少しでもいいからで来た事を記録を取って行く。

以上のようなスタンスでマイアミ生活を開始しました。

 日程としましては4月腫瘍内科 5月感染症内科 6月外傷救急をローテーションし、4月に精神科のコンサルテーション、5月に移植外科に一日参加させていただきました。

2.Oncology腫瘍内科>
 最初ローテーションは腫瘍内科のコンサルティングチームに配属して頂きました。直接の指導医は腫瘍内科fellowChristina Gomez先生。Clinicと病棟のコンサルティングを中心にされていますが、特にconsultingでの働きぶりには圧倒されます。電話機の受話器を二つ抱えてHang on!と片方にいいながらもう一方のコンサルテーションを受け、ポケベルも鳴りだすという有様。その状態を普通にこなし一日15人程度をみる超人的な仕事です。そんな忙しい中でも患者さん一人一人には落ち着いて対応し、医療チームからのコンサルテーションには「Anything, at anytime!」と言う言葉で締めくくります。症例に関して調べた論文をメールで送ると2分後に返事のメールが来ます。また教育にも熱心で、「この症例どう思う?」「質問は?」「腫瘍マーカーはこうでしょ」「この腫瘍には何を出そうか?」などと時に応じて学生の学びの場を提供してくれます。またカンファレンスでは書く専門医が集まり議論の活発に行っていますし、癌の告知も患者さん家族の様子みて話す姿勢、また患者さんがEducational Hospitalである事を理解してくれ学生が問診や診察をとる事への理解をしてくださっているありがたさなどを感じました。

直接の指導医、DR. Gomez

ブラジルからの学生、Harryと 

彼はアメリカでのResidencyを目指して来ています。

 そんな中、悲しい出来事もありました。ERに皮膚がんで唇が膨れ上がっている患者さんでコンサルテーションに行き、話を聞いていると,ソーシャルワーカーの方が来て、話し始めました。Jackson cannot pay to you anymore… どうやら保険がmedicareの患者さんだったようで残念な事に循環器や呼吸状態が安定しているため、また状態も末期であるため病院では保険からお金がでないため、面倒を見ることができないという事だったようです。コンサルテーションを中止し、逃げるように帰ってきましたが、アメリカ医療の負の側面の一端を見たような気がします。

マイアミ大学の講義棟 隣接して病院があります。
キャンパス、メディカルセンターは広大な敷地でした。

3.Infection 感染症内科>

感染症科では基本はコンサルテーションチームで仕事をしていました。チームが二つあり、一般の感染症を診るチームAと悪性腫瘍、移植といった免疫抑制がかかった患者さんの感染症を診るチームBに分かれてコンサルテーション業務を行っていました。私はチームAに腰を据えて5週間実習をさせていただきました。

 感染症のマニュアル本でもあるSanfordの「熱病」を片手に実習していました。大まかな一日の日程は回診前に患者さんの様子を見に行き、前日に出た検査結果やバイタルチェックを行い、9時からの回診前カンファ、回診にAttendingFellowとともに向かう。回診終了後にFellowが患者を割り振り各自コンサルテーションを行うという日程でした。

 私ははじめの数日はFellowについて回っていました。慣れてきた数日目からはこの患者診ておいでと言われて、IDと名前、病棟を言われて病棟にあがるようになりました。患者さんから病歴を聞き、身体所見をとり、カルテなどから検査所見などをまとめて、Fellowにプレゼンします。この所見は?などと抜けている箇所を指摘されながらまとめ直します。その後Fellowと患者さんのところに行き、一緒に話を聞いた後、What do you think? ときかれ、自分なりの答えを出し、話し合い、Assessment/Planを出して行きます。そして翌日の回診前カンファでAttendingの前で報告します。ほんの少しは貢献できているのかなとも思いながらも、This is your practice!と励ましてもらったり、たまにうまく行くとYou help me a lotなどとおだててもらい、どうにかこうにか食らいつきます。

 また朝のカンファレンスでプレゼンテーションの機会も頂きました。テーマは不明熱、MRSAについてという内容で、丁度一緒に回っていたコロンビア出身でこのローテーションの後にアメリカの医師国家試験で、日本でいうAdvanced OSCEにあたるUSMLE STEP2CKを受ける直前だという医師のJoaoと一緒にプレゼンを作りました。感染症科の教科書であるMandellPrinciples and Practice of Infectious DiseasesUp to Dateで調べてまとめて行くという事はとてもやりがいがありましたし、プレゼン中にAttendingがコメントしてくれることが、さらに深い考え方を与えてくれ、緊張したものの、とても楽しい機会となりました。また、逆にこれについて分からないから教えてくれといわれ、調べた資料を取り出して正確なデータを伝えた事もありました。真理に対して謙虚な姿勢はrole modelとなりました。

 回診中も質問を投げかけると、その質問の意図するところの倍以上の事を教えてくれます。例えば、骨折で金属での固定をしていて、軟部組織の感染の患者さんを担当していた時の事です。深い軟部組織感染と骨髄炎を身体所見などの臨床的に確実に見分ける事ができるのかどうかを訪ねると、「実はその見分けは難しいんだ。鑑別がつかない場合はより病態の重い骨髄炎に準じた治療を行って様子を見て行くんだよ」と答えてくれます。さらにたたみかけて、「骨髄炎に関して脊髄炎を対象としたいい論文があるから、明日持ってきてあげるからそれについて議論しよう」とおっしゃってくれ、翌日のカンファで骨髄炎の論文を配り、いくらかのコメントと議論になりました。


コロンビアからの医師、Joao

 一人で病棟にあがる事が多くうなると、クラークさんや、看護師さんに助けられます。病棟に入ると「感染症科から来ましたStudent DoctorNISHIDAです」と挨拶して入って行き、カルテを見ます。カルテがなかったり患者さんが部屋にいなかったりして困った事があると済まなそうに聞いてみます。すると何らかの答えが返ってきます。そして、「私の仕事は医師の仕事をサポートする事。気軽に聞いて」と言ってくれ、とても心強いです。次第に病棟のスタッフとも顔見知りになり、ほんの少し円滑に物事が進みます。ある時は「OHAYOU」という言葉が聞こえてきたので行って話をしてみると、日本語を丁度教わったようでこの発音でいい?と聞かれます。いいね!なんて話していると他の言葉を教えてと言われたので「ありがとう」を伝えました。ひらがなで書いてとも言われたので書くと、珍しかったようでOh!といわれ、Arigatoを連発していました。そのときにふと自分のしている仕事の事を思い出し、この患者さんのカルテあります?と聞くとすぐにとってきてくれ、「Arigato」とお礼を言うといい雰囲気で業務を行えました。

 5週間実習を行わせていただき、患者さんの所にも行き、コンサルテーションシートを書くのが一番多かった実習となりました。百聞は一見にしかずといいますが、周りのチーム、スタッフの皆さんのお陰で、学びの多いローテーションになりました。


指導医のDr. Kavanagh

4.Trauma外科救急>

 最終月は救急をローテーションしました。こちらのRayders Trauma Centerは全米でも有数の外傷救急センターでひっきりなしに救急車、ヘリコプターで運ばれてきます。3チーム構成で、3日に一回の当直日は昼はオペと救急の待機、夜は当直、そして翌日は8:00のカンファ終了後Off,3日目がフォローアップのクリニックでまでという3日セットの日程で動きます。チームのメンバー構成はアテンディングの下に5年目のチーフレジデント4年目、2年目のレジデント、1年目のinternその下に学生という構成になっています。学生の仕事は毎日病棟での患者の病状把握をし、朝の回診で報告する事(6:30からの回診患者データを取るので学生は5:00頃から病棟に来ています)、他の病棟(多くはERですが)からの手術が必要と考えられる腹痛など外科系救急のコンサルテーション、手技では救急で来た患者さんの採血、導尿、直腸診、手術での助手となっています。学生も貴重な戦力となっており、チームの一員として責任を持たされます。手技的なものはobserverという事でほとんど行えませんでしたが、コンサルテーションを行わせてもらい、病棟、ERでの急性腹症の患者さんなどの所に言って問診診察を行いました。内科系と違いスピード感を必要とされ、30分で診てきてねといわれ、その後5分でプレゼンテーションするなど、緊張感のあるローテーションでした。


Traumaセンター外観

 救急車で入ってくる患者さんは、GSW(Gun shot Wound)つまり銃外傷と交通事故が大半を占めます。日本では銃の外傷はほとんど診ないので当初は面食らっていましたが、意外に軽症のものもあったり、見た目は軽そうでも緊急オペがあったりで百聞は一見に如かずだと痛感しました。ある患者さんは大腿部を撃たれており、血管損傷がおこっており、出血が止まらないという事で深夜の緊急オペなった事もありました。

コンサルテーションも深夜に来る事も多く、夜の3時位から一度学生たちが予診にいった患者をアテンディングやフェローとチームで診に行くという事も何度かありました。

 迅速に的確な診断、処置を行って行く外傷ER。体力勝負でもあり、まさに知力体力が伴わねばならないと身にしみて感じましたし、若いうちにこういったトレーニングをしっかり受ける事はプライマリケアにおいても必要な事なのではないかと思いました。


チームの仲間と朝のラウンドの後で

5.Transplant 移植外科>

 移植外科でのローテーションはon calldoubleローテーションという形でさせていただきました。移植のドナーが現れるのが不定期である事、夜であったりする事もあり、他の科を回っていても可能だと、移植科の肝臓が専門である西田先生におっしゃっていただき、実現しました。

 
移植臓器輸送の専用車

 5月2日、移植のドナーが現れたという情報を頂き、17:00に臓器専用の車に乗り、車で40分程の街にある病院に着きました。そこで待っていたのは若い脳死の患者さんでした。どうやら動静脈奇形が既往でクモ膜下出血の再破裂で脳死になったようで、脳のSPECTなども施行され、脳死と判定されたようです。臓器の摘出は19:00頃より行われ、心臓、肺が別チームが摘出し、その後私たちのチームにより、肝臓、腎臓、膵臓、小腸、血管の摘出が行われました。心肺チームと腹腔臓器のチームが同時に開胸開腹し、全臓器の様子を見ながら、まず心臓の摘出、続いて肺の摘出になります。その後肝臓、腎臓、膵臓、小腸、血管と続き23:00頃に終了し、すぐにマイアミに戻り移植の準備を始めます。私が入った手術は肝腎同時移植でした。バックテーブルで移植臓器のトリミングを行い、レシピエントに合うように調整します。その間に肝臓移植のボスが入室され、様子を見られ、手洗いをして入られます。手術開始は日付が変わって1:00頃から。さすがにハーベストのチームはここで帰り、移植のチームにバトンタッチします。私も可能な限り見学させていただきましたが4:00位に翌朝の患者さんの回診もあったので退出しました。後で伺ったところでは手術が終わったのはその日の昼過ぎだったようで、その体力と集中力に脱帽してしまいます。

 移植は脳死に支えられているという事を感じました。脳死そして脳死での臓器摘出について様々な議論がなされ、様々な意見を聞きます。私自身答えが出ていませんが、アメリカでは本人が脳死での臓器移植を明確に拒否していない限り、家族の承諾で臓器摘出が認められているようです。脳死は人工呼吸器をはじめとした生命維持装置で「生かされている」状態であり、不可逆的なものだと頭では分かっていても心臓の摘出を目の当たりにすると、感情が動きます。生きる事と死ぬ事。医師として深く関わる部分ではあるものの、深く考える機会も少ないまま、ましてや自分なりのの答えがでないままさまよっている気になりました。

移植医療が貴く「命のリレー」ができているという事は間違いないと思います。

 
病院にある、移植のモニュメント。In their last hour, they gave a lifetime.とかいてあります。

6.Psychiatry精神科>

精神科のコンサルテーションチームに一日伺いました。ここでは祖父が神戸出身で日系三世のDr.Katoにお世話になりました。

 この日は自殺企図や薬剤依存の患者さんのコンサルテーションでした。ここで目を見張ったのはウェルニケ脳症の患者さんを担当の学生がいて、その学生に対して、Dr.Katoが代謝レベルでの話に持ち込んで対話形式で講義をはじめた事でした。どこの酵素がやられるのか、そしてその症状は何なのか。折に触れて教育して行くアメリカのシステムを垣間みました。

 また、12時から13時まで昼食時のレクチャーがありました。強迫症やGilles de la Tourette症候群、PANDASの話を症例のビデオを見ながらコンパクトにまとめてもらいました。また、パーキンソン病の治療の一つである電極を入れる療法を応用してGilles de la Tourette症候群を治療する方法もあるようで、神経内科と精神科のオーバーラップする、脳科学の分野だという認識をしました。


精神科のDr.Katoと腫瘍内科のDr.Gomezとともに

7.Education医学教育>

 医学教育はスタッフ数、質ともに充実しています。実習は応分の責任を与えられます。そして戦力としてカウントされており、手技の実施、患者さんの様子を把握する事が求められます。また、通常のカンファレンスの合間などに、教育担当の先生の指導のもと、現在担当している患者さんのプレゼンの練習などが頻繁に開かれています。

 その上でテストが行われるのですが、試験はマルチプルチョイスの知識問題と、口頭試問になっています。口頭試問では症例提示を行います。ここで必要とされるのは知識ではなく、病気について考える過程であり、症候に応じてかん別を何を考えるか、どういう根拠で診断して行くのか。ということを聞かれます。試験をする先生も相当の労力を割いているようです。

実習の結果の資料として、手技、症例をそろえます。8週間で症例はTrauma4  Abdominalpain が2 Hernia4、 Specialityservice2 の症例を見る事が義務つけられ、また手技は導尿が 4、 静脈確保が 3、縫合がが3、直腸診5、包帯交換4となっている。やはり、行うべき事の目標がしっかりコンパクトに定められていることは取り組みやすいだろうなと思いました。

 上級医の先生方も教え好き教え上手でベッドサイドで、カンファレンスで矢継ぎ早にコメントを出し、学びの機会を与えてくれました。


病院の中にある聖堂

8.conclusion

 今、経由地のワシントンのダラス国際空港を飛び立ちました。アメリカの地を離れました。長いようであっという間に走り抜けたアメリカ滞在でした。病院に入り浸った平日。ビーチやモールなどに出かけた週末。旅をした休暇。全てが走馬灯のように駆け抜けます。

 今回一番身に付いたのは「図太さ」です。アメリカの文化では「沈黙は金」という事は意味をなさないようです。自分から質問、意見を出して行かないと何も分かっていないと見なされてしまいます。当初はどぎまぎして沈黙が多かったですが、ブロークンな言葉でも何でも積極的に話しかけるようになりました。また、腫瘍内科、感染症内科と内科系を最初の2ヶ月実習を行い、比較的ゆっくりな英語でのコミュニケーション、ディスカッション、プレゼンテーションを行い、慣れてきた所で、最後は外科救急というスピード感あふれる環境でサバイバルさせてもらいました。毎日120%の力で走り続けることができました。

 海外へは短期間の旅行でなどで行く事はたまにありましたが、3ヶ月近く日本の外でどっぷりと浸かった事は初めての経験でした。生活面でも温度の表記が摂氏ではなく華氏であり、気温が77Fと書いてあり戸惑ったり、スーパーに買い物に行ったり、自炊したり、右側通行の中で自動車を運転したりという普通の事も微妙に日本と異なる事も多く、戸惑いと驚きの日々の連続でした。そして周りのサポートのお陰で次第になんとか行えるようになりました。その基本的な日常基盤の上で、医学医療や医学教育についても知り、その中でもがきながらも泳ぎました。医学、医療面では何といっても、機能分化、保険制度の違いによる診療の流れの違いを感じました。医学教育では医学生にも力量に応じた責任を与え全うさせる事で力をつけさせ、そのフォローアップもしっかりしている点、それを行うために先生をはじめとした人員も配分しているという事を感じました。

 また、マイアミ大学はアメリカ国内からはもとより、ラテンアメリカからの学生、レジデントも多い事から、様々な同僚と仕事ができた事も大きかったです。特にラテンアメリカから来た学生はハングリー精神が強く、学ぶ所が多々ありました。これからも彼らと連絡を取り合い、切磋琢磨できるようにしたいです。

 今回の実習の3本柱は「貢献」「基礎力「アウトプット」の3点とintroductionで述べましたが、「貢献」に関しては、感染症科で曲がりなりにも一日1、2件のコンサルテーションをさせてもらった事、外科救急でコンサルテーションや初療の際に可能な範囲でお手伝いできたことでほんの少し貢献できたかと思っています。もちろん、それ以上に学ばせてもら事が多く、周囲のスタッフ、一緒にローテーションした学生仲間のお陰である事はいうまでもありません。

 「基礎力」については特に感染症内科でFUOMRSAについてカンファレンスで簡単なプレゼンテーションの機会を与えてもらった事が大きく、論文や教科書から学んで行くという姿勢を身につける事ができました。人に伝える事が最もいい勉強法だという事も分かりました。

 「アウトプット」については、マイアミ滞在中はお世話になっている知人、先生方にメールなどを通してお知らせする事で行ってきました。その原稿に大幅加筆訂正を加えたものがこのレポートとなります。そして帰国後にはお世話になった方には報告を行い、海外留学に興味がある仲間、後輩に伝える事でアウトプウットとして行きたいと思っています。このような機会を頂いたため、それはDutyであると考えます。

 この経験は直接には国家試験受験には役立たないかもしれません。しかしアメリカで武者修行により曲がりなりにも得られた姿勢、例えば分からなければすぐに教科書や論文を検索する姿勢、学んだ事を周りにプレゼンテーションする姿勢、より良い治療方針を立てるために議論する姿勢は叩き込まれたので、「図太く」持ち続けようと思います。

  最後になりましたが、受け入れに際しまして多大なお世話を頂いたマイアミ大学の先生、スタッフの方々、留学を認めてくださった鹿児島大学の先生、スタッフの方々、先輩仲間たちそして家族。本当にお世話になりました。この場を借りてお礼申し上げます。

本当にお世話になりました。この場を借りてお礼申し上げます。