思うこと 第220話           2007年6月5日 記

キリンカップに見せた知将オシムの深慮遠謀

 今夜7時からテレビ放映されたキリンカップ2007は、今夜の最優先事項と考え、テレビの前に陣取った。世界ランキング44位の日本にとって同26位のコロンビアは格上のチーム。この試合に勝つか引き分ければオシムジャパンの初優勝という大事な試合。スターティング メンバーに、中村俊輔、高原直泰、中田浩二、稲本潤一の欧州組4人を入れてあった。欧州組のうち高原直泰と中村俊輔はよく走ったが、中田浩二と稲本潤一は動きが少なく、日本は前半、中盤でボールを奪われ苦戦。オシム監督は後半のメンバーから欧州組の中田浩二と稲本潤一の2人を羽生直剛と今野泰幸に変えた。羽生がいつものようによく走り、後半は日本はリズムを取り戻し、押し気味に試合を進めることができた。結局、0−0の引き分けであったが、日本は優勝した。試合後のインタビューでオシム監督は言った、『
いつものように(試合内容が)満足かそうでないかは、詳しく述べない。何しろ私の考えは大事ではないからだ。(ジャーナリストの)皆さん、そしてサポーターの皆さんがどう感じたかだ。よく注意してもらえれば分かることだが、何か発見はあったと思う。それが何かは、私が申し上げるのでなく、皆さんが感じたことを話し合ってほしい。ヒントを付け加えるなら、人もボールも動く時間帯は、非常に美しくエレガントではなかったか、ということだ。たまには、私の方から宿題を出したいと思う。こんな答えでよろしいだろうか。』。 私は、この監督の言葉を聴いて、ハッと思い当たることがあった。記憶を確かめるために、すぐ本棚に走った。
そして、探し出した本がこの本である。

記憶の記述はこの本の62ページにあった。その章のタイトルは『わざと負けて見せた』であった。オシム監督のチーム作りのコンセプトは『一般的には、個人プレーが強い人間を人々は好む。しかし、私は一つのチームを作ることをまず考えて、その上で機能する選手を選ぶ。』であり、そのやり方で、弱小チームをヨーロッパの強豪チームに短期間の間に育て上げ、監督としてのすばらしい足跡を残した(『思うこと 第114話』参照)。 『周囲と絡むことが出来、走れる選手』を育て、またこの様な選手をよく使うことは、結果的には、メディアや一般層受けする個人プレーの強い有名選手を使わないことになったため、ものすごいブーイングの嵐が監督に降りかかった。オシム監督はこれらのブーイングを無視し、自分の考え通りの選手起用を続け、監督の率いるユーゴスラビア代表はヨーロッパ予選を一位で通過して、ワールドカップに臨んだが、ブーイングは衰えるどころか、燃え盛った。そこで、オシム監督が打って出た手が、『わざと負けて見せた』であった。時は、1990年6月10日、場所はミラノ。ワールドカップ初戦の相手は西ドイツ。ここで、監督は、メディアや一般層が使え使えの合唱をしていた攻撃型タレント3人を一挙に使った。そして、1−4で負けた。2回戦からは、その3人をはずし、従来のオシム流の人材起用をし、ことごとく勝ち進み、ワールド杯で8位以内、アルゼンチンとの準々でのPK戦でくじで負けていなければ優勝の可能性さえあったという、ユーゴにとっては最高の成果を挙げたのである。そして、この時を境に、オシム監督へのブーイングは影をひそめた。
 私は、先述のオシム監督のキリンカップ後のインタビューでは、明言こそ避けたが、このことと関連しているような気がしてならない。もちろん、今回の場合、監督自身も勝ちを狙っていたのは間違いないが、もしも前半にこの欧州組4人を軸にした“神風システム”が機能しなかったとしても、後半に自分の考えのサッカーに切り替えることで優勝を落とすことはないとの判断があったのではなかろうか。そして、前半と後半の違いをメディアとファンにみてもらいたかったのではなかろうか。