思うこと 第219話             2007年6月2日        

私の日本画『夢』が米国友人から望まれた感動


 『思うこと 第217話』で、私の外国の友人2人が、箱根の国際会議終了の翌日(5月26日、土曜日)、私の退職を祝って鹿児島に駆けつけてくれた感動の出来事について述べた。

(『思うこと 第217話』の写真を再掲する:私の向かって右横がバンガム先生で左横がジェイコブソン先生)
外国の友人が駆けつけてくれただけでも最高の感動であったが、感動の第2弾はジェイコブソン先生によってもたらされた。その夜、私は、私の日本画を見ていただきたいと思い、『桂林夜景 その2』を霧島の宴会場にもちこんだ。お二人とも、とっても喜んでくれ、熱心にご自分で写真撮影された。その後、私は、運んでいったプロジェクターで、私の、『第2回納光弘展』の作品のプレゼンテーションをし、これもまた、とっても喜んでもらえた。その夜、だいぶ酒の量が増えた頃、ジェイコブソン先生が私に『桂林夜景もよかったが、私は、今や私にとって大切な思い出の鹿児島の桜島を背景にしたオーロラの絵に心を奪われた。お金はいくらでも出すし、送料も私が持つので、ぜひ、私に売ってほしい。自宅のリビングルームに飾って毎日眺めたいので。』と言ってくれたとのこと(久保田龍二君の言)。
 ところが、私はすでに、完全に酔ってしまっていて、その言葉は全く記憶に残っていなかった。結局、ジェイコブソン先生は私と別れた後、久保田龍二君(私とジェイコブソン先生の間の私の頭の後ろで満面の笑みを浮かべている青年で、ジェイコブソン先生のもとに留学した先生の愛弟子)に、昨夜の私の Dr. Osame へのお願いを、ぜひ、Dr. Osame が“しらふ”の時に、正式に伝えて、ぜひとも実現することに力を貸してほしい、と頼まれたとのこと。その絵に関する詳細は『個人的出来事 第45話』を見てほしいが、ここでは絵のみを再掲する。

No 題名 制作年 技法
61 2006年5月17日 日本画第19作目(50号)

私は、その翌日、久保田龍二君からのメールでこのことを知り、感動した。すぐさま、運んでもらえる海外搬送業者を捜し、最終的には日通航空にお願いすることにした。私なりの梱包をしたものを下に示す。

これは、保護シートで幾重にもくるんだ後、ダンボールの箱に入れ、それをさら日曜大工店で買ってきた軽量プラスチック板でサンドイッチしたものである。これを、溝辺の鹿児島空港横の日通航空国際部に運び、手続きし、お願いした。実は、これを会社で縄張りしたうえで、さらに日通航空が特注する超厚い(2〜3センチの紙厚)ダンボール製の箱に梱包して送るので、発送まであと5日ほどかかるとのこと。運送費用は10万円を少し超える程度ですむとのこと。これで、米国の友人宅に私の日本画が飾られるという“夢”のようなことが実現することになったのであるから、この程度の出費は安いものであった。しかも、その“夢を実現してくれた”絵のタイトル(題)が『夢』である! 本当に、“絵かき”冥利につきる光栄な、そしてまた、痛快な出来事であった。