思うこと 第217話 2007年5月28日
もう一つの退職祝賀会−駆けつけてくれた外国の友人に感動
私は、3月31日の私の退職祝賀会には、私流のお願いをし、主催者の第3内科同門会も私の個人的な頼みを了解してくれた。私のお願いと言うのは、『私の退職祝賀会は特別な催しとしてはしないでほしい。毎年行ってきている第三内科の開講記念講演会を同じメンバーで行うだけにしてほしい。それ以外のメンバーは一切お呼びしないでほしい。それから、私の退職記念の業績集はつくらないでほしい。例年のように、開講記念会に出している年報『一年の歩み』を例年通りの形で作成するだけでいい。』というものでした。何故この様なお願いをしたかというと、忙しい皆さん方に、私の退職祝賀会のためだけに集まっていただくのは恐縮であり、第三内科の開講記念講演会なら毎年行っている恒例行事だから、その開催日を私の退職の日に行っていただければそれ以上の記念はないと考えたからである。退職記念の業績集を出さないでという願いの理由は単純で、毎年の年報『一年の歩み』に毎年業績は載せてあるのだから、ここでまとめる意味は全くなく、私個人の満足感のためだけにそのような無駄な費用を使うことはナンセンスと考えたからである。従って、私が所属している幾つかの大切な国内の学会の理事長の方々の誰もお呼びしなかったし、私がとても親しくしてきた多くの国外、国内の友人達にも一切声をかけなかった。要は、こじんまりとした内輪の会にしたかったのである。結果は、大成功で、これほど“こじんまりと”することに努めたものの、第三内科の現役、OBの殆どが駆けつけてくれて(下スライド)、ホテルで一番大きな会場を使ったにもかかわらず、部屋は満員となった。
今回の私のお願いは間違いだったとは今でも思ってはいないが、予想外の波紋があった。それは、国内の私の親友達の何人かから、『私は、納君(さん、先生)の最も親しい友人の一人のつもりだったが、退職記念祝賀会にお呼びがかからなかったのは心外である。』という声が、第三者を通じて聞こえてきたことである。ある方は、目に涙を浮かべながら憤っておられたとのこと。私は思いがけぬ反応に、びっくりしたと同時に、そこまで私を親しく思ってくださっておられたことに感動し、もちろん、それらの方々にはそれぞれ事情を説明し、納得していただいた。ただ、怖いのは、私の耳に届かない形で、すなわち、黙って一人で憤っておられる方が相当多数おられるかもしれないことである。この、ホームページを見てくださって、ああそうだったのかと、納得していただくことを祈るしかない。
もう一つの逸話は、外国の最高に親しい友人3人から『Dr. Osameは3月31日に退職の記念会をすると伝え聞いた、我々3人そろって行くぞ!』、と、今年の初めに言ってきたことである。その3人とは、いずれもHAMの研究では、世界をリードしてきた研究者で、アイルランドのホール先生、英国のバンガム先生、そして米国のジェイコブソン先生である。それぞれと私は極めて親しく、かれら3人もお互いに親しく、言ってみれば、この4グループで世界のHAM研究を引っ張ってきたという自負をもった親しい4人組であったのである。私は、事情を説明し、貴殿たちが駆けつけてくれるのは嬉しいが、それでは、折角の私の建前がくずれるので、遠慮してほしいと、お願いし、了解してもらった。かれらは、OK,今回は遠慮するけど、箱根のHTLV国際会議の後、3人そろって鹿児島に行き、退職祝いをすることにする、と、久保田龍二君を通じて言ってきた。私は、嬉しかった。本当に、涙の出るおもいであった。
HTLV学会直前にホール先生は足の骨折の手術を受け、日本に来ることができなくなり、足が治り次第鹿児島に行くぞ、とのメッセージが届いた。と言うわけで、今回、箱根の国際会議終了の翌日(5月26日、土曜日)、バンガム先生とジェイコブソン先生は鹿児島におみえになり、久保田龍二君が幹事を務めて、霧島ロイアルホテルで祝宴が持たれた。
私の向かって右横がバンガム先生で左横がジェイコブソン先生で、残る10人は、研究上の友人の出雲教授(前列向かって右端)と伊地知助教授(最後列向かって右端)以外はお二人の下に留学したか、留学中か留学希望の若者達である。バンガム先生とジェイコブソン先生の、暖かい祝辞を聞きながら、そしてまた、留学先ならびに国内から駆けつけてくれた10人の友人達のスピーチを聞きながら、私は最高に幸せであった。その夜は、2次会は出雲教授の部屋に移動し、12時まで飲み、語り、歌いながら(何と、第七高等学校寮歌まで飛び出した!)本当に楽しい夜を過ごした。
翌日のは、えびの高原の不動池に集結し、
満開のミヤマキリシマツツジの咲き誇る湖畔の散歩道を、
皆でおしゃべりしながら30分ほど歩くと、
目的の御池にたどりつき、
ここで、おにぎりの昼食を楽しんだのであった。
この後、皆で、ドライブを楽しみ、ジェイコブソン先生は飛行機で発たれ、バンガム先生は翌日新幹線で発たれたのであるが、27日の日曜日の夜は、前日はずせない公務のため出席できなかった猪鹿倉君(下写真の向かって左端)主催の祝宴が持たれた。
猪鹿倉君はバンガム先生のもとに留学、しサイエンス誌に載る大発見をした若者である。
この夜の会でも、私は大いに飲み、語り、またまた、最高に“よか晩”を過ごした。
外国の友人が駆けつけてくれた、心に残る、感動の退職祝いを紹介させていただいた。