思うこと 第204話             2007年4月23日        

「医の心」を問いかける授業『山のあなた』に感動


 先週土曜日(4月14日)、「日本尊厳死協会 かごしま」の平成19年度総会ならびに公開講演会が鹿児島市町村自治会館で開催されたことについては、先回の第203話で話した。
この会で特別講演をされたのは、「日本尊厳死協会 ながさき」会長の釘宮敏定先生であった(下写真)。

「終末期医療と尊厳死をめぐる諸問題」のテーマでお話された。
私達聴衆は先生のお話に引き込まれ、60分間の講演時間をとても短く感じた。
お話の中で特に先生が強調された、幾つかのポイントを紹介しよう。
医療技術が進歩した結果、呼吸が止まり、ただ死を待つだけの患者を、医療技術を駆使して延々と生かす例が増えており、そのような医療のあり方が、本人および家族のQOLにとって、どのような意味があるかが問われている。病院で、近親者から隔離され、多くの医療機器に囲まれて死んでゆくことが多くなり、自宅で家族に見守られて死ぬことが少なくなったことにも、先生は問題を投げかけられた。また、安楽死と尊厳死は異なることを話された。すなわち、安楽死は、苦しみなく、早く、楽に死にたいというもので、人間は死にたい時に死ぬ権利があるという考えに立っている。一方、尊厳死は、安らかで、人間らしい自然死を望むというもので、安楽死とは全く異なる立場に立っている。諸外国で安楽死を認める法律を持っているオーストラリア北部準州、米オレゴン州、オランダ、ベルギー、フランスの事例を紹介された。今の日本では安楽死は法律で認められおらず、今の日本において、自分の尊厳死を実現させるためには、日本尊厳死協会に入会し、「宣言書(リビングウイル)」を作成しておくことの意義が大きいことについても言及された。私にとっては、とても貴重なお話であった。
極めて、わかりやすいお話で、使われた全てのスライドを、聴衆に資料としてお話の前に配っていただいたことも理解を深めるのに役立った(下写真)。

私は、先生のお話の行間に滲み出る先生のご人徳を感じ、もっと釘宮先生について知りたいと思ったのであった。先生は、この私の気持ちを察してくださったとみえ、この講演会の数日後、先生から、先生の著書(下写真の本)(2005年11月15日初版第1刷発行、株式会社文芸者発行)が送られてきた。

私は、この本を読み始めた途端にこの本のとりこになってしまい、この週末の空いた時間をこの本を読むことを最優先にして過ごした。そして、大きな感動と共に読み終えた。
この本は、先生が長崎大学の心臓外科の教授に就任してから退官されるまでの、13年間の学生教育の生の記録である。先生は、『学生たちは膨大な専門知識を無批判に詰め込むのではなく、その前に、豊かな人間性を養い、自らの人生観や死生観を確立すべく努力しなければならない。また、教官は、単なる医学知識の伝達にとどまらず、自らが持っている医学・医療への情熱を学生たちの若い心に注ぎ込み、彼らを、温かい心と確かな技術を併せもった「良医」に育て上げなければならない。』という確固たる信念にもとづいて、学生教育に情熱を注ぎ、そして、みごとに成功した記録である。私は先生の考え方と実行力に、共感とともに強い感銘を受けた。先生は学生から『 Most Impressive Professor 』の感謝状を受けているが、学生の先生の講義に対する感動を、行間に感じさせる本である。
この本を医学部の教官(教師)が読むと、きっと、医学教育の現場がさらに良くなると確信する。のみならず、広く一般の方々にもお薦めしたい本である。というのは、単に医学教育を論じているだけの本ではなく、人生の生き方を論じており、医学の分野をはるかに超えた『生き方』を教えてくれるからである。