思うこと 第194話 2007年3月7日 記
ドクターズ・マガジン誌に登場した医師達
先日、『思うこと 第192話』でドクターズ・マガジン誌の最新号に登場した吉嶺厚生君を紹介したが、私は、この3月号の最後のページに紹介してあったバクナンバーの表紙全巻をみて、私が親しくしている方々が多いことにびっくりした。その全巻の載った3ページにそれらの方々に赤いサークルで囲んで下に示す。
これらの赤サークルの方々は、知己がある方々というのではなく、かなり親しくお付き合いいただいている方々である。
お写真を見ながら、このうちの何人かの方々を紹介したくなった。
水田氏は医学部時代の同級生で、学生時代は同級生のアイドルの一人で、初めての女性病院長として辣腕を振るている今の姿を予想できた同級生はいなかったはずである。でも、この笑顔の顔写真を見ると、昔のアイドルの面影が出ていてなつかしい。
丸田氏は私のメイヨークリニックに留学時代に最も親しくお付き合いさせてもらった親友で、私が友人と2人で一日中ゴルフして、105ホール回ったことをこのホームページで紹介したが、この丸太氏こそはそのときの相棒である。
瀬戸上氏は私が医学部卒業後の1年間の卒後研修の間、一緒に学び遊んだ(いつも一緒に遊び、時に学んだこともあったと言ったほうがより実態に近い)とても親しい仲間の一人で、そのときの同期の31人は血判状をしたため、“いい医療を求めて、心の火を一生絶やさない”ことを誓い合った仲間である。同君が甑島の離島診療に生涯かけて取り組み、『ドクター・コトー』のモデルになったことはあまりにも有名な話であるから、これ以上触れない。 ただ、この11月号にとりあげられたもう一人の主人公についてはこの機会に触れる。
もう一人の主人公とは、瀬戸上氏に引き続き7ページにわたって取り上げられた伊地知氏夫妻である。(瀬戸上氏と伊地知君達に会うために機会を見つけては甑島に行くことがあったが、その一つを『個人的出来事 第7話』でかって紹介したこともある。)
では、ドクターズマガジンの伊地知夫妻を紹介してあるページの幾つかを紹介しよう!
伊地知君は常に夢を追って生きており、我々仲間の理想の生き様のモデルである。
今は、自閉症医療の日本のセンターとして活躍する傍ら、鹿児島大学の保健管理センター助教授として活躍している。
以上、バックナンバーの顔をみながら、数人を紹介した。
他の方々はこれまで度々このホームページに登場していただいた方が多いので、今日はこれ以上触れない。