思うこと 第189話             2007年2月17日 記       

最終講義−学生の謝辞に感極まる−

 5日前の2月13日に私の在職最後の講義が鶴陵会館にて行われた。学生は自由参加の講義であったので、ひょっとしたら50人ほどの聴衆かもしれないとの心配を吹き飛ばして、多くの学生と職員が聞きにきてくれ、300の席でたらず、立って聞く人まででて、私は元気いっぱい、『夢追って生きる』のタイトルで30分の講義を行った。29分30秒丁度で講義を終え、暖かい拍手に胸が熱くなった。しかし、その後の、学生代表(下の写真の演題の学生、新田吉陽−しんでんよしあき−君)からの謝辞に、私は感動で感極まった。

その謝辞の言葉を紹介しよう。
『納先生、素晴らしい御講演をありがとうございました。鹿児島大学医学部5年の新田吉陽です。在学生を代表して、謝辞を述べさせていただきます。

 納先生は神経系の概説講義と第三内科の臨床実習、そして軽音楽部、ゴルフ部、ボーリング部、バスケットボール部の顧問として、私達学生を指導してくださいました。

納先生の講義がどれほど素晴らしいものかということは、ここにいる私達学生が体験しています。学生が選ぶ「Most valuable teacher」に第1回から途切れる事なく、今年まで、6年連続で選出されていらっしゃるというエビデンスもあります。
納先生の講義は活力に溢れ、ポジティブなオーラと人間性が伝わり、常に私達はやる気になります。講義の内容は、臨床の基礎からHAM発見の経緯といった研究分野、そして人生についてまで幅広く、未来への勇気が湧いてくるような楽しいものです。納先生が退官されてしまい、後輩があの講義を聴けなくなってしまうことが残念でなりません。

 軽音楽部で一緒にバンド演奏をさせていただいたことは、私の自慢です。OB会の際、納先生にもステージに立っていただきたいと、私達がリクエストしたことがきっかけでした。それを快く引き受けてくださり、ただでさえお忙しい合間を縫って練習をして、気持ちのこもった素晴らしい歌とギター、そして楽しいパフォーマンスを見せてくださいました。

そんなバイタリティーに溢れる納先生ですが、同時に先生は大変優しい方でもいらっしゃいます。私が、臨床実習での発表のためにナイーブになってしまった時に、納先生は真っ先に気遣われ、励ましてくださいました。学生にまで心を配られ、優しい言葉をかけていただき、救われた思いがいたしました。

 絵画、ボーリングにゴルフと納先生の趣味の広さは有名です。しかもどの趣味も、てげてげではなく大変高いレベルで楽しまれていらっしゃることを思う度に、どうしてそんなことが出来るのだろうか、と驚いてしまいます。
 先日、納先生に「いくつもの趣味を本格的に楽しむためには、どんな秘訣があるんですか?」と伺う機会がありました。先生は、「おれの趣味はね、対象が何であれ、努力することなんだ」とおっしゃいました。
その言葉に、目からうろこが落ちた気持ちがしました。何をするのであれ、その取り組み方、そして姿勢が正しければ、目標に到達できるのだということを教わりました。納先生がおっしゃればこそ、説得力のある活きた言葉として、響いたのだと思います。

 その他にも納先生からはたくさんのメッセージをいただきましたが、その中でも私が大好きなのは、「目標は可能な限り高く持ちなさい。必ず実現するのだから。」というものです。自らの能力を信じ、安心して日々努力邁進していきなさいということだと解釈しています。
たくさんのご指導をいただきましたが、今後、納先生のご指導をいただけない事を想像すると大変寂しいです。納スピリットは直接のご指導をいただいた私達が持ち続けていかなくては、と思います。

大変残念ながら、納先生は教授職を御退官されてしまいますが、先生ご自身の夢は尽きることなく大きく広がっていることと思います。これからも夢に向かって邁進していただきたいと思います。私達も頑張ります。

20年間にわたるご指導、ありがとうございました。

鹿児島大学医学部5年 新田吉陽』

こんなにまで私のことをわかっていてくれたとは! 私が感動した、その理由がわかっていただけるたことと思う。(若干注釈するが、私は現在はバスケットボール部の顧問はこの部の出身で母校の教授になった出雲教授にバトンタッチしているので、現在直接顧問を務めているのは上記の4つのうち残りの3つである。また、Most Valuable Teacher賞のことは私にとっていかなる受賞よりも嬉しい出来事であったので、新田君がこのことに触れてくれた時は思い出して涙が出そうだった。また、軽音楽部OB会でのバンド演奏は私にとってもいい思い出で、その予行演習に教室の忘年会で新田君たちと演奏した時の様子は、かってこのHPでも紹介したのでご覧いただければ幸いです。)
私は当初、最終講義なので学生諸君に『人生の生き様』のような話をしようと思って、『夢追って生きる』のタイトルを用意した。しかし、準備を進めるうちに、わずか30分で『人生の生き様』を語ることは、語りたいことがあまりにも多く、とても語りつくせず、私自身も学生諸君の両方ともが、消化不良で欲求不満になるような気がした。そこで、私は、抽象的な人生論を語るよりもむしろ私が鹿児島の地で発見・命名したHAMという神経難病の病態解明と根治療法確立を求めて歩んできたこれまでの歩みを30分間語る中から、『若者よ、夢追って生きてゆけよ!』という私からのメッセージを伝えることにし、下の講義一枚目のスライドに示すように、『−HAM発見から今日(こんにち)までの歩み−』のサブタイトルをつけて話たのであった。

ちなみにこのスライドはチャーターしたヘリコプターから私自身が撮影したもので、数多く撮影したフィルムの中から選んだものである。私が愛してやまない桜島と鹿児島大学医学部キャンパス(画面左下)の両方ともが一枚の写真の中に見事に納まっており、今回の最終講義にピッタリと思ったのである。(私は、今、このヘリコプターから見た桜島の感動を日本画で表現しようと考え、「空からの桜島」の10枚ほどのシリーズものの日本画に挑戦を開始したところで、もし間に合えばそのうちの1〜2枚を私の定年退職にあわせて開催する『第2回納光弘展』で公開の予定である。)
ところで、私のこの最終講義は、2年前の日本神経学会総会会長講演と4年前の日本内科学会教育講演の2つの講演を足したものを30分に凝縮して話した。
私は、新田君の謝辞を聴きながら、私の熱い思いが学生諸君に充分に伝わったことを知り、この上なき感動を覚えたのであった。