思うこと 第179話           2006年12月16日 記       

初めての体験・スタンディングオベーションに感動

あの感動の出来事は、次の新聞記事の翌日だったので、10日前の12月6日のこと。



日本から30人、アメリカから10人程度のこじんまりとした研究会ではあったが、日米のエイズ研究者のトップが勢ぞろいしての会議なので、国際エイズ学会よりも充実した内容で、討議も白熱し、主催者の山本直樹教授と馬場教授には、最高の会議だったとの賛辞が寄せられた。

会場風景を示す。


多くの発表の中で特に注目を集めたのが馬場教授のナノテク粒子を用いた治療法開発のトピックスであった。

全員20分の持ち時間での発表であったが、プログラムを組まれた山本直樹教授(本パネルの委員長)の特別の配慮により、私一人だけは40分の『特別教育講演』をするという光栄をいただいた。私は、去年シドニーの世界神経学会で講演したと同じタイトルの『HAM研究の最近の進歩』にせずに、あえて、『鹿児島とHAM/TSP』というタイトルで話した。私たちが鹿児島で発見しHAMと名づけた、のちにHAM/TSPと呼んでもいいと私たちが決めたこの病気を、鹿児島で語るのだから、何となくこのタイトルがいいと思ったのである。講演の一番最初のスライドを示す(この写真は私自身がチャーターしたヘリコプターから撮った写真である)。


私の40分の講演が終わった瞬間、私の目の前で、わが目を疑う、信じられない事が起こったのである! 全員が立ち上がって、拍手をし続けてくれているのである。 今、目の前で起こっていることは、まぎれもなく、私への祝福のスタンディングオベーションにちがいない。しかし、ありえない!そんなことが、ありえるはずがない。でも、起こっているのだ!

私は、65年のこれまでの生涯で唯の一度もスタンディングオベーションを受けたことはなかった。おそらく、今後も2度とないであろう。そもそも、日本の学界であれ、世界の国際学会であれ、私は数多く出席してきたが、ただの一度もスタンディングオベーションを受けた発表者を目にしたことはない。ありえないのである。いい発表には拍手を惜しまない。しかし、スタンディングオベーションまではしない。学会とはそういうものなのである。

ネットの辞書をひいてみると、『スタンディングオベーション(Standing ovation)は、演奏会やスポーツイベントなどで、観客が立ち上がって拍手を送ることである。素晴らしい演奏や演技、プレーに感動した観客による最大限の賛辞である。1743年、ロンドンでヘンデルのオラトリオ「メサイア」が時の国王ジョージ2世の前で演奏された際、その中の1曲であるハレルヤ・コーラスを聞き、その素晴らしさに圧倒され、ジョージ2世が立ち上がって拍手を送り、その行為に周りの観衆もつられて立ち上がって拍手を送ったことが、スタンディングオベーションの起こりとされる。このように、スタンディングオベーションとは、自らの感動や賞賛の念を素直に表した行為である。 』と書いてある。

講演に対してではなかったが、私が主催した学会の後の催し物で、一度だけスタンディングオベーションが起こった。それは、なんと、今回と同じ城山観光ホテルのしかも、今回と同じ錦江の間で起こった。その会は、1999年にの国際ヒト・レトロウイルス学会(会長 納 光弘)の時であった(下写真)。


この集合写真のあと、世界各国から集まった皆さんに錦江の間に全員移動してもらい、そこで、鹿児島大学医学部教授で世界的に有名なオペラ歌手の米澤傑先生が歌われたとき、そのすばらしさに感動してスタンディングオベーションが起こったのであった。

さて、今回の会議の私が講演しスタンディングオベーションに感動したその日の夜、立食パーティーの時、私は上記の第9回国際ヒト・レトロウイルス学会の時に私が用意し、皆で踊った『鹿児島おはら祭り』のハッピを7年ぶりに着て会場に乗り込んだ。
馬場教授とのツーショットを示す。


もちろん、外国からこられた先生方にも着てもらい、一緒に、テコシャミセンに合わせて、おはら祭りを踊った(下写真)(右端先頭があと1ヶ月で65歳になるという私)。


私は、酔った勢いもあって、外国の先生の何人かに聞いてみた『何故、スタンディングオベーションまでしてくれたのですか?』と。 異口同音の答えは、『HAMを発見しただけでなく、病態解明と治療法の確立に向けて取り組んだあなたの歩みに感動して、自然とああなったのです。』とのこと。
なまりいっぱいで、下手な英語でも、心で理解してくださったのだと、ただただ感動したのであった。