個人的出来事 第38話           2006年3月19日 記       

岡倉天心の六角堂を訪ねて 

 私のように日本画の修行を志すものにとって、岡倉天心が横山大観、下村観山、菱田春草、木村武山の4人の門弟と籠もって日本画の修行を積んだ茨城県五浦(いづら)の日本美術院研究所跡とその横にある岡倉天心が建立した六角堂(正式名は観瀾亭)を訪れる事は、いつか実現したい夢の一つでした。昨日、はからずも、この五浦(いづら)の近くのいわき市の学術講演会の演者として呼ばれたので、出来れば日本美術院研究所跡と六角堂を見たいと思ったのでした。昨日の講演会の座長の會田(あいた) 隆志先生は、独立行政法人国立病院神経内科医長として活躍している先生です。今回演者として私が招請されたのも、會田先生の推挙によるものでした。會田先生は、、親孝行のためもあって、郷里のいわき市に5年前に帰ってきたのでしたが、この地域では神経内科の専門医の数が少なく、患者さん方が困っておられた事もあって、たちまちこの地域の神経難病の患者さん方からとっても頼られる存在となり、大活躍しているのです。會田先生は、平成2年に福井医科大学を卒業し、その後10年間同大学の第2内科の栗山勝教授の指導の下で神経内科の専門医として育ったのでした。実は、栗山勝教授は井形昭弘先生の下で育った私とは兄弟弟子の関係にあり、その縁もあり、會田先生は私達の鹿児島大学の第三内科にも半年間国内留学生として在籍しており、短期間ではありましたが私の教え子の一人でもあったのです。その6ヶ月間の同君の姿を今でもよく覚えていますが、私が感嘆した、すばらしい心を持った先生でした。さて、先生は、私の6角堂を見たいという希望を快く引き受けてくれ、講演直前のわずかな時間に自家用車を飛ばして六角堂の全景が見えるポイントに案内してくれたのでした。左上の写真は、その時同君と写った写真で、後ろに見えている赤い小さな家が六角堂です。昨日は、着いたのが午後5時過ぎでしたので、天心記念五浦美術館は閉まっていて建物の中には入れなかったので、将来もう一度訪れる楽しみが残ったのでした。
 
私は、六角堂と日本美術院研究所跡の前に広がる日本画を切り取ってきたようなこの絶景を観て、何故、岡倉天心がこの地を選んだのかが理解できたのでした。

 講演のあと、もう一つ、とっても嬉しい出来事がありました。會田先生と研究会幹事の先生方との懇親会の席で、幹事の先生のお一人が、私のホームページを隅から隅まで読んでくださっていて、「井形先生に感動して弟子入りしたとかいてあるが、もうすこし具体的に、どういう会話があったのか教えてほしい」とか、「何故、九州大学の第三内科を辞めたのか?」とか、「聖路加国際病院のシニアレジデントになったいきさつをもっと詳しく教えてほしい」とか、「アメリカ留学中に一日でゴルフコース105ホールを回ったという、信じがたい記録は、どのようして達成できたのか?」など、私にとって聞いてほしい質問が次々にあり、いわきの地酒・名酒「又兵衛」をぐいぐい飲みながら、夜のふけるのも忘れてしゃべりまくったのであった。最高に楽しい、昨夜の語らいであった。この様にすばらしい仲間に囲まれ、會田先生は幸せだ、と嬉しく思うことであった。