薬の世界には、面白い現象を見ることができます。
例えば、「逆耐性」と呼ばれる現象があります。
ハエなどを駆除するスプレーは、最初有効でもだんだんと効かなくなります。
ハエがスプレーの成分である薬に対する耐性を獲得することに起因します。
他の動物でも事情は同じ、筈でしょう。
実際、病気の治療薬には投与すればするほど効きが低下するものが多々ありますから。
ところがこれとは逆に、繰り返し投与するにつれ薬の効果が増す場合があります。
それを専門用語で「逆耐性」と呼びます。
さて、ここでちょっと妄想してみましょう。
もしも音楽に「逆耐性」があるとするなら?
例えば、「ミニマル・ミュージック」にそれを聴くことはできないでしょうか?
音がリピートすればするほど、のめり込んでしまう。
あるいはある精神のレベルが維持され続け、ついには高まりさえする。
強力なミニマル・ミュージックはそんな特徴を備えてはいないでしょうか?
その特徴は、中枢神経系に起こる逆耐性に由来するような気がします。
現代のテクノに大々的に導入されていることから分るように、
半世紀も前に始まったミニマルへの需要は一向に絶えません。
音響繰り返しの構造とは一見矛盾する、呪術的パワーゆえなのでしょうか?
このケッタイな魅力は、一体どこから発生するものなのでしょう?
想いあぐねていると、妄想は音薬に続く第二の造語を導き出しました。
ミニマラディクト [ Minimaladict ]
「ミニマル」と「アディクト:中毒者」を結合させたもので、
逆体性の音楽を指します。
繰り返しなのに、麻痺の逆を行く力を持つ音楽のことを。
ミニマル・ミュージックの始祖と言えば、テリー・ライリー、スティーヴ・ライヒ、
フィリップ・グラスなど 1960 年代の現代音楽シーンに起始する方々が挙げられます。
ミニマルを現代音楽として把握すると、
どうしてもそれを作曲技法のひとつとして考えてしまいます。
例えば、リピート音響を時間軸に沿って徐々にずらしながら
音と音の間に在る時間の伸び縮みを「音のモアレ効果」として楽しむという発想。
それは、作曲技術としてのミニマル・ミュージックを反映するもののように思います。
しかし、これと全く別種のパワーを持つミニマル・ミュージックがあるのではないでしょうか?
リアル・タイムに確認を続けて行く記憶の刷り込みと再生のプロセス。
ミニマル・ミュージックを聴いているリスナーが辿る時間は、言わばそんなものでしょうか。
プロセスの反復がもたらす、覚醒レベルの維持と高揚。
しかもそれは、どこまでも心地良いシビレを伴います。
ただ、ミニマルが起こす覚醒は決して意識の現場には登場しないもののように思います。
例えば、うっかりピンを踏んでしまった足を思わず浮かす時。
足の動きとは明らかにずれたタイミングを伴い、「痛い!」という感覚が遅れてやって来ます。
そんな感じでズレる、意識と感覚の間にミニマル・ミュージックは在るのかも知れません。
振出しに戻る / Going Home
初版 2004年8月16日