京都
かつての京都に強い憧れを感じていた。私が二十歳そこそこだった三十年前には、確かに。
文化・芸術の豊かな土地だった。
メジャーな土俵では紹介のされない音楽や芸術が溢れている感じだった。
私の住む大阪にはそんな情況はなかったもので、桃源郷を見るような目で京都を眺めていた。
なにしろ、京都は古都である。しかるに先鋭的な文化で溢れているというのが、どう考えてもカッコ良かった。
大阪南部から、南海電車−地下鉄−阪急京都線と乗り継いで、二時間ほどで四条河原町。
それが、別世界に分け入ってゆくためにお決まりの旅路だった。
車中で抱き続けた期待感が、今となっては懐かしい。
京大西部講堂を筆頭に、大阪では絶対に接することのできないライブやら映画やら演劇やら。
帰阪する電車の時刻を気にしながら楽しむ時間は日常と対照的で、当時そんな差異がとても素晴らしく感じられたものだ。
しかし何時からのことだろうか、文化の温床としての特質が京都から失せてしまったようだ。
あの頃、豊かな文化を育む場所とそれを支える人々が京都には溢れていたように思う。
何かイベントがあると集う主催陣営とそれに応える観客。
何故あんなにも自然に彼らは生態系を構築し得るのか。
大阪から頻繁に通える訳では決してない私にとり、そのフシギはあの時代を生きるかけがえのないエナジーの源だったのだ。
金沢そしてアメリカ合衆国に数年住み戻った大阪は手強いカルチャー・ショックをもって私を出迎えてくれた。
丁度1990年のことだ。暫くして京都を訪れた私は、掛け値なしの衝撃を受けた。
これが、あの豊饒たる文化の温床の成れの果てか?
笛吹けど踊らず、とでもいった光景だろうか。
文化を仕掛けても、応えてくれる人々が居ない。
彼らがどこかに隠れているだけとは思えなかった。
メジャーには昇らない文化は、大阪を始めとする他の町にも根付き始めていた。
それが京都の色を多少淡いものに見せているだけなのか、とも考えてみた。
しかし決してそれだけではあり得ない、根本から何かが変ったのではないかという疑問は日を追う毎に強まって行った。
京都は変質したのだろうか?
それとも未だ変容の段階に止まっているのだろうか?
私の1990年代は、その問いかけに終始した。