渚にての『花とおなじ』。
この五月に、待望の新作として発表されました。

音楽業界ではメジャー領域においても事情が厳しく、
一枚のアルバム製作に費やす事の出来る時間・経費も限られていると聞きます。
その意味では例外的な位、心ゆくまでの情熱と時間が注ぎ込まれたアルバムと言えましょう。

もっともそれは容易には成し得ることでなく、自主レーベルであるオルグ・レコードを維持し続け
そこを足場に製作を行なうというシステムを確立してこその結果であります。

およそ20年間。
日常生活の中で音楽を創出し得るには、それなりの積み重ねがありました。

タイトル曲「花とおなじ」の伸びやかなヴォーカルを聴いていると、
この音楽はどう受けられているのかなとふと思います。

この朗々たる歌声は、どこからやって来るんだろう。

アルバムを聴き進んでそう思うこと。
魅力はそこにあると思います。




『花とおなじ』。
英題:"The Same as a Flower".

オルグ・レコード原盤。
製品としては P-Vine Records PCD-5859。

1995年のファースト・アルバム『渚にて』から数えて五作目。
柴山伸二さんと竹田雅子さんのデュオとなってからでは、第二作目に相当します。

十年近い時が流れ、参加する演奏者の顔ぶれも変ったけれど、音楽を貫く想いは変りません。
むしろ『花とおなじ』は第一作に込められていた想いを最も反芻させてくれるアルバムかも知れません。


『渚にて』ではまだ、雅子さんは演奏者としては参加していません。
しかし柴山さんは雅子さんの存在を "Wind" としてその全曲に記しています。

『渚にて』は生きているからこそ出遭う幾多の裏切りと、
しかしそれでも絶えることのない願いを歌うアルバムでした。

この想いは後に、例えば「太陽の世界」あるいは「本当の世界」などの歌を通じて
より広い世界へと開かれて行きました。

世界は裏切りに満ちている。
その場所で自分達はどう生きてゆくのか?
渚にては、その答に向う意志を歌い続けて来たのだと思います。

そんな世界にあってさえ、愛することのできるもの。
愛することのできるものがあること。
あるいは、愛することへの意志。

アルバムを重ねるに連れ、そんなものを様々な形で感じさせてくれるようにもなりました。

それは、柴山さんと雅子さんの共同作業。
密やかに生まれ世界に開かれた、共同作業でありました。


共同作業の中で密かに注目して来たのは、
『本当の世界』から姿が明らかとなる雅子さん作詞・作曲による一連の歌でした。





渚にてで雅子さんはヴォーカルの他、テルミンとかエレクトロニクスとか
面白い音の出るものをイロイロと担当されています。

田中栄次さんを加えてのエレクトリック・トリオ編成時には
ドラムスを担当することが多いと思います。

例えば、この写真。
昨年、大阪・難波のベアーズで行なわれた頭士奈生樹さんバンドのライヴからのものとなります。

雅子さんがドラムスを演奏する姿を写しています。

何か海底に居るような雰囲気があります。
そこから世界に波動を送っているような感じでしょうか。


さて『本当の世界』には「散歩」という曲が収められています。
雅子さん作のこの歌には "Will" という英語のタイトルが付いています。

つまり、「意志」。

「あなたのなかの 海の底には だれもいなかった」
こんな風に歌われます。

先の写真を見ていると
何となく「散歩」のことを思ってしまいます。

この歌詞に込められているものは、やはり裏切りへの想いなのでしょうか?
それを眺めながら淡々と歩を進める。

時に、光が過剰ではない海の底で。

そんな「散歩」で世界は満ちている、とでも言うような。

それでも立ちすくむことはできない。
ただ歩み続けて行く。

それが「散歩」、
ということではないでしょうか。


「歩く」ことに対し、「走る」という行動があります。
『本当の世界』に一曲、「走る感じ」という歌があります。

「散歩」と「走る感じ」は違います。

「散歩」は何かを眺めている感じがします。
「走る感じ」で見つめているのは自分の中のもののような気がします。





もう一枚、ベアーズでの写真があります。
背景が、どこか砂丘の影みたいに映ってしまいました。

実際には天井からぶら下がったライトが、沈む前の夕日めいています。

もしライトが夕陽ならば、雅子さんはその背後から太陽の光を受けていることとなります。
雅子さんと太陽の関係を省みる時、印象深いのは『渚にて』のカヴァー写真でしょう。





演奏者ではなく "Wind" として振舞う『渚にて』。
そのカヴァーで雅子さんが陽を受けているのは紛れも無く背後から。

『花とおなじ』で柴山さんが真正面に陽光を受けているのと、対照的ではありませんか。


さて、話を『花とおなじ』に戻しましょう。

歌声も高らかな「花とおなじ」。
それに収められているのは雅子さん作の「玉」という歌。

英題が "Threads of Souls"。
「玉の緒」という、和歌ことばの英訳だと言います。

「花とおなじ」の後に「玉」を聴くことで、自分の魂は『渚にて』が
描いていた世界にジワジワとシフトして行きます。

まさに、ジワジワと。
脳の皺に音が、帰り道も無く侵入して行くように。

その歩みは世界を傍観しながらの「散歩」とは違っています。
世界よりも自分自身を見つめ続けている「走る感じ」とも同じではありません。

世界を受け止めながら、歌い手は自問しながらただ走っている。
生きていることと走っていることが完全に等しい。
そんな感じの意識で走っています。

とても普遍的な歌だと。
世界の為の歌だと感じます。


そんな「玉」を聴くたびに覚えるのは、
渚にてが『渚にて』の地点からここまで来たという感慨でしょうか。


あるいは、"Wind" が物質世界に姿を現したという
そんな感じなのかも知れません。





締めとして、『花とおなじ』のブックレットから一葉を引用させて頂きましょう。

雅子さん作、題するならば「夜の鳥が飛んで行くよ」でしょうか。

『本当の世界』で太陽の放射熱を冷ますために使われたのは
確か、そんな詞を持つ歌でしたね。





振出しに戻る / Going Home


初稿 2004年8月29日
第二稿 2004年9月2日