小池レコードの思い出
名古屋でクラシックファンなら知らない者はいないと言われた
小池輸入レコード店。 店主の名は小池弘道さん。
お店がまだやっていた頃、月に一度は通ったものでした。
レコードを買わなくても音楽を聴きに行くということもありました。
思い出といっても写真や記録になるものは無く、コンサートのプログラムが
約5年分があるだけです。 そこで今のうちにおじいちゃん語録として
記憶を残そうとこのページを作りました。
彼は音楽をこよなく愛し、ビートルズのイエスタディーを涙を流しながら聴いていた。
どんなお店だった?
小池輸入レコード店が正しい名前。
しかし、みんな小池レコードと呼んでいた。
名古屋市中区新栄の雲竜ビルのとなりにあり繁華街だった。
建物は鉄筋3階建てで1階が店になっていた。
お店に入るとガラスのショーケースの中に10枚程のレコードが
入っていたが、レコード屋の雰囲気とは程遠い感じだった。
音がいいレコード
国内盤と輸入盤で音が違うことはよく知られていたが
ここで売っていたレコードはそういった次元とは違うものだった。
たとえばLP全盛時代でもオーディオマニア向けの特別シリーズ
が発売されることがあったが、それらは音楽的なものではなく
自分の装置のレベルをチェックをすることが目的のような
品物が多かったように思う。
小池で売っていたレコードは放送局用、あるいはディレクターズ
カットと言われる、一般用とは別に製作されるレコードだそうだが
なぜ、小池にこんなレコードが入ってきたのかを私は直接、小池氏
より聞いている。 40年続いたレコードコンサートのところでも述べたように、
コンサートを続けるため世界中の音楽家に呼びかけたところ
ある音楽家から送られてきたレコードの音がいいことに気がついた。
これについて、音楽家に問い合わせたところ「これは普通には売られていない
ものだ。 これからは私たちの名前を使ってこのレコードを手に入れてくれ」
という返事をもらったそうである。 そういう理由で専用のルートを得た
小池に、この「音がいいレコード」が集まったということだ。
音楽を聴くのに音質は関係ないと言う人もいるが、同じように聴くなら
音がいい方がいいわけで、口コミで全国にファンができていった。
何年も通ったので、さまざまな人と出会ったが、東京、横浜あるいは神戸といった
輸入盤店がたくさんある地方のお客さんも多かった。
一般のレコードとはどのように音がちがったか。
音の違いを文章で説明するとどうしてもオーディオ的な表現になって
しまうし、受け止め方も人によって違うこともあるが自分なりに感じた
ように述べてみたい。 概していえるのは情報量の多さである。
まず、ダイナミックレンジが広い。 周波数レンジが広い。 位相特性が良い。
などである。 したがってこのレコードを掛けると音の定位がよく実に
気持ちの良い音場が出現するのである。 どんな装置でも効果はあると
思うが、安い装置の方が効果的ともいえる。 スピーカーはフルレンジの
方がいいので、以来私の装置はフルレンジスピーカーを使用している。
レコードに広い範囲周波数が入っているのでこのレコードを掛ける限りは
レンジの狭さを感じたことはない。 これがこのレコードのひとつの特徴だ。
楽器の並びがよく分かるので、臨場感あふれる音楽鑑賞ができる。
これは楕円針より丸針の方が効果的だった。 今はイケダのMC型を
使っているがこれも相性がよい。 この定位のよさも特徴だ。
交響曲などでは各楽器の分離もよい。 それまで、雑誌を読んだりして
装置のグレードアップをしてきたことより、というよりそれとは次元の違う
音になったと言った方がよいだろう。 このような音が入ったレコードが
市中に出回ってたらオーディオ産業は成り立たなかったのではないだろうか。
おじいちゃん語録
斜体の文字がおじいちゃん語録です。
1 あんた、レコードを何枚くらい持っとるの?
お店に初めて行くとまずこの言葉から始まった。
2 そのレコードじきにいらんようになるよ。
最初は意味が分からないが、あとでそうなる。
3 結局ね、みんなが買ってたレコードは違ってたんだわ。
結局というのは一種の口癖みたいなもの。
4 私はね、シベリウス以降の今世紀歴史に残る音楽家から
みんな援助を受けたんですよ。
ひとつのことに一生を懸けた誇りがあった。
5 この手紙読んでみやー。 なんて書いてある?
「私は7万円と3万円のステレオを・・・
3万円の方がいい音が・・・」
この人いくら損した?
「えっ、4万円でしょう」
たわけ、えーか、右手が7万円、左手が3万円だ。
ほれ、7万円、と3万円。 まだわからんか?
「分かりました、7万円です。」
ようやく分かったか? えーか、おみゃあたちはなあ・・・
マニアになれば成る程これは難問だったようだ。
6 あんた、東京に行くとき何で行く?
レコード屋でこんな質問は初めて。 ちなみに私は
東海道線で行きますと答えた。
これが、小池レコードの第一の関門の新幹線講座だ。
新幹線と東海道線はどっちが速いだ?
新幹線です。
それは、どうすれば分かる?
乗ってみる。
レコードも聴いてみるまでわからんのだ。
7 うちのレコードは音が飛び出てくるでしょう。 これが
本当のステレオなんだわ。 えーか。
古めかしい装置から出る音は異次元のものだった。
8 あんたね、初任給をもらったらおかあさんにセーターの
一枚も買ってやりゃあよ。
人に対する愛情は人一倍だった。
9 名古屋の人はねー、雨が降ると、とろけちゃう、風が吹くと
ばらばらになっちゃう、まあ、傘みたいな人ばっかだわ。
天気が悪いと毎月のレコードコンサートのお客が少ないので
よく、こう言ってた。
10 この国際レコードコンサートはね、本当に世界の贈り物なんです。
みんなね、来月はひとりで、ひとり友達を連れて来てくださいよ。
わしはねー、ひとり金を持って来いとは言っとらんのだわ。
毎月こう言って少しでも多くの人に来て欲しいと言いチョッピリ
笑いもとっていた。 だけど価値あるコンサートだった。
11 みんなこのコンサートの「ナマよりスゴイ」というのをおかしいと
言うけど、「人は何を見て空を飛びたいと思った?」
「鳥です」
「そうだろう、鳥は宇宙へ行けるか? 人間は月まで行って、また帰ってきた
ナマよりスゴイと言ってもおかしくないだろう。
こういう例え話を作る才能は比類がなかった。
12 よくおじいちゃんはクラシックはボリュームを上げるけど
ロックなんかはあんまりボリュームを上げないという人が
いるけどね、おみゃあさんたちね、これ以上あげたら壁に
穴があいちゃうがね。
このときはロッド・スチュワートのI'm sexyだったがすごい音だった。
13 それじゃあねー、これから恒例の抽選をします。
また悪運強い人にレコードが当たるでね。
恒例になっていたレコードコンサートでは抽選でレコードが
当たるようになっていた。 ある銀行の人はよく当たっていた。
14 えーか、若者なら燃えるような恋をしろ。
確かに情熱的な人だった。
15 このレコードはどこで焼いているのかを気にしてる人がいてねー、
こりゃあおじいちゃんのとこの2階で焼いているんじゃあないか
という人もおったよ。 そういやあ、この間焦げ臭いにおいが
しとったでなーと、わしにいうんだわ。
このレコードがどこからくるのか、みんな気にしていた。
16 なんでこんなレコードがあるのか不思議でしょう。
見たところ普通のレコードとは変わらんでしょう。
レコード盤そのものはよく見るとツヤが違いエッジが丸い。
17 みんなねー、このステレオを見て、「おじいちゃんこの機械
音が出るんですか」って聞くんだわ。
プレーヤーがカラード、アンプはリーク、スピーカーはトーキー用の
特製品。 もう一度聞いてみたい。
18 このコンサートで聴くときのボリュームとうちの六畳の間で聴くときの
ボリュームは同じなんですよ。 ねー、信じられないですねー。
おじいちゃんはレコードを掛けながらボリュームやトーンコントロールを
操作していた。 みんなにより良く聴いてもらおうと努力していた。
19 みんなね、人間は美しく生きなきゃいかん。
音楽を愛し人も愛した氏の人生そのもの。
20 私はね、この国際(レコードコンサート)に一生をかけているんです。
まさにそのとおりの人生だった。
21 もしも、あんたが、性能のいい時計を作ってる小さい工場だとするでしょう。
そこに、大きい会社がその時計の特許を売ってくれときたら、あんた、特許を
全部教えるかね?
外国は日本にレコードの作り方を全部教えなかったらしい。
22 どうです、頭にこやせん? なんで、こんな音が出るんでしょうね。
あるいは
まあ、ドタマにきちゃうでしょう? なんでこんな音が出るんでしょうね。
コンサートで一曲終わるとこう言っていた。
このときの表情がよかった。 本当にうれしそうだった。
23 初めてここに来る人は常連の人を見て「こいつらはさくらだなー」と思うみてゃあだぞ。
6畳の間でレコードを聴いていると初めてという人が来て新幹線講座が始まった。
新幹線講座の思い出
あやしい雰囲気の店内で少しばかりのレコードを見ていると
店の奥のガラスが嵌った引き戸が開いて、有名なコイケのオヤジが
「ちょっと、こっちへ入って来て」と言う。 6畳の部屋に通されると
そこには古めかしいオーディオ装置があった。 「このステレオ鳴るん
ですか」と訊こうものなら「いらんこと訊かんでもいい」と言われる。
「まあ、そこに座りゃあ」と言われ座布団に座ると「あんた、何枚くらい
レコードを持ってるの?」と訊かれ、それから思い出の新幹線講座が始まる。
当然、私もやられた。 以下はそのときのやりとりの思い出である。
「あんた、東京にいくとき何に乗って行く?」
私は、「東海道本線で東京に行きます」と言ったところ、
「おみゃあみたいなタワケにはレコードは売らん!」と言われてしまった。
何のことが分からないまま質問は続き「新幹線と東海道線とどっちが
値段が高い?」と言われても東海道線でも特急に乗れば同じ料金だし
同じと答えるしかなかった。 しかし、いかに自分たちが情報の波の中で
正しい判断ができにくくなっているかということである。
「新幹線と東海道線ではどちらが速い?」
「新幹線と東海道線ではどちらが線路の幅が広い?」
「新幹線のほうが速いのはどうすればわかる?」
「えーか、人間は馬鹿にならないかん!」これがおじいちゃんの口癖。
普通は東京に行くときは新幹線で行くわけで、その後の質問も「線路の
幅はどちらが広い」と続き、小池のレコードは新幹線のようなものという
例え話となっていくのである。 そういう講座のあと後日、自分のレコードを
持ってきて小池のレコードと比較して音の違いを納得して講座が終わる
ということだ。 そのあとみんな必ず「ようやく分かったか」とにらまれた。
その他の出来事
オーディオ好きの落語家
1980年頃、蓄音機が静かなブームになったことがあった。
あるテレビ局でその特集番組を放映したとき、ある落語家がゲストで出演していた。
彼は当時オーディオ好きの落語家として有名で、そういう関係で出演したのだろう。
名機クレデンザからカルーソーのテノールが流れた。
「師匠、どうですか、50年前の音は?」司会者が訊くと
「うーん、これは私のステレオよりイイ音がしているよ。 もう、オレ、あのステレオ
いらなくなっちゃったよ」
司会者を含め会場の出演者は落語家が冗談を言ったと思って笑った。
この番組の収録前、この落語家は仕事の合間に小池レコードに来ていた。
当時、その落語家は売れっ子だったので顔を見てすぐ分かった小池のおやじは
新幹線講座もせずにすぐレコードを聴かせて、「師匠、この音、どう思います?」
落語家はひとこと「恐れ入りました」といい名刺をおいて店を出たという。
東京へ帰る新幹線の中で落語家は付き人に
「あれはレコードがもともと違うんだよ、いくらオーディオに金を
掛けても満足できる音が出るわけないんだ。」と肩を落として言ったそうである。
そのことは後に付き人が名古屋に来たときに池下の喫茶店で店主に言ったことから
分かったのであるが、この喫茶店と小池レコードは懇意の仲だったのである。
この出来事があっての蓄音機番組。 落語家の冗談は本心だったようだ。
その後、この落語家はオーディオからは足を洗うと宣言した。