おすすめ音楽


特に季節にふさわしいということではなくそのときの気分で
選曲しています。 興味があったら聴いてみてください。
新しい曲が入っていることがあるので必ず最後まで見て
ください。


島谷ひとみ 亜麻色の髪の乙女

シャンプーのCMで一躍ヒットしたこの曲はかつてグループサウンズの
黄金時代にヴィレッジ・シンガーズが歌って大ヒットしたもので約30年
ぶりにこの世に出てきたものである。 ヴィレッジ・シンガーズはこの曲
のほかにも「バラ色の雲」もヒットさせていた。 かつてのグループサウンズ
のヒット曲がリバイバルヒットしたものには去年、井上陽水が歌った「花の
首飾り」があったし、ロス・インディオスとシルビアが歌って大ヒットした
「別れても好きな人」がある。 この曲はパープル・シャドゥズが出した曲
だったが当時はGSの衰退ムードの中でヒットすることもなく終ってしまった。
今、ロッテチョコのCMで使われている「チョコレート・ロッテ」の旋律は
かつてパープル・シャドゥズが出した「瞳の世界」の旋律である。


パープル・シャドゥズ 小さなスナック

アマチュアの作詞家牧ミエコが自宅近くのスナックをイメージして書いた歌詞
にグループのリーダー今井 久がやはり自宅近くの赤坂のスナックをイメージ
して作った曲を組み合わせて完成した「小さなスナック」は発表後2ヶ月は何の
反応もなかった。 彼らは毎夜都内のスナックを訪ねては訪問演奏し、有線放送
のリクエストをお願いをするという方法でキャンペーンを実施した。
連日のハードスケジュールにメンバーは疲労困憊したが苦労の甲斐あって
有線ヒットチャートを急上昇、ついにはレコードヒットチャートも急上昇するに至った。
タイガースの花の首飾りが1位にいたのでついに1位になることはなかったが
何ヶ月もランクインされるロングセラーとなった。


アルティミット リトモ・デ・ブラジル(愛でブラジル)

この曲と私との係わり合いは長い。初めて聴いたのが1979年。
ラジオの交通情報のBGMとしてであった。
まあ、放送局に問い合わせればすぐにこの曲の題名はわかったのだろうが
そのときは、そんなことは頭に浮かばなかった。
しかし、その後一度だけラジオで聴きそのときは題名も聞いたのだが
それを手がかりにレコード屋に行ってもわからないという返事。
その理由もあとでわかることになる。
かくして最近ではまったく忘れられた存在になってしまっていた。
が、あるFM放送で最近、この曲が流れた。 すぐに放送局に問い合わせ
たところ、曲名と演奏がわかった。
しかし、肝心のレコードがみつからない。 そのはず、このグループは
この曲の発表後、すぐ解散していたのだ。 どうりで当時も知らない
人が多かったわけだ。 カサブランカレーベルから発表されたこの曲が
入ったレコードは全米ではディスコフィールドでのみヒット。
日本ではこの系統は新宿でのみヒットしていた。
この「リトモ・デ・ブラジル」はサンバ調のグルーヴを持つトラックに
ヨーロッパ調の美しいメロディーを乗せた曲。 私が20年以上の
あいだ忘れずにいたのも無理はない。
現在、この曲が入ったCDは唯一70’s&80’sDANCE(GREEN)
PHCR1526のみである。 それにしてもよくさがしたものだ。


エラ・フィッツジェラルド バードランドの子守唄

ニューヨーク52丁目にあったジャズクラブ「バードランド」は
ジャズコーナー・オブ・ザ・ワールドとも呼ばれていた。
かといってこの曲がこのジャズクラブに捧げるために作られたという
わけではない。 「バードランド」でディスクジョッキーの集会が
開かれたときのテーマ曲だったということである。
現在はジャズボーカルの定番で歌詞の大意は
「さあ、甘いキスをして鳥の国へ行こう。
山鳩の愛し合う歌声は魔法の音楽だ」
というラブソングになっている。
なお、私の好みでエラ・フィッツジェラルドが歌った
のをあげているが、一般的にはサラ・ヴォーンとかクリス・コナー
などが名盤とされている。


ロシア民謡 ムーロムの小径

ロシア民謡はかつて日本でも一大ブームを起こしたことがあった。
哀愁を帯びたメロディーが日本人の感性にあったのだろう。
この曲はダークダックスの結成50周年記念アルバムで初めて
日本に発表された曲で美しい旋律で悲しい恋を歌った曲である。
選曲にあたっては今一度ロシア民謡を見直そうという決意から
ロシアの音楽家、ネクラーソフ氏に依頼してダークダックスに
合った曲ということで選曲されたものである。
このCDによってこの曲は全国的に知られるようになったのだが
今をさる50年以上も前にこの曲に接していた日本人がいた。
彼の名は田部春雄さんといい終戦間もない頃、タタール共和国で
現地の若い女性兵士から教えてもらったものだという。
ロシア語の歌詞とともに持ち帰ったこの曲を会合やパーティーで
何度か歌ったという。 その後、この曲はご自身の手で採譜され
永久に残ることになった。
 なおこの曲との出会いやロシア大使館
にまで足を運んでロシア民謡であることを確認したというエピソード
を田部さんが記述しています。 メロディを聴くこともできます。
このメロディについては音楽教室講師、須佐卓郎さんの
ご尽力によるものとのことです。 海外に赴いたとき現地の音楽に
接した日本人は多くいたと思いますが曲がこのような形で現存する
数少ない例ではないかと思います。

特選HP 感動のムールンの小道余話はここから

また須佐卓郎さんのホームページ名曲玉手箱はここから



坊がつる賛歌

大分県の九重山群を歌った歌である。 九重山とは九州の最高峰で
ある中岳(1791m)を中心にした今も活動を続ける火山である。
もともと、この歌は広島高等師範学校山岳部の「山男の歌」だった
ものを叙情的ににアレンジしたものである。
昭和53年に芹洋子が歌ってヒットしたことから、この山が全国的に
知られるようになった。 坊がつるの「坊」とは九重山法華院のことで
「つる」とは山間の平坦地や湿地のことをさしている。
6月はミヤマキリシマが満開のときで大船山などは山全体がピンクに
染まるといわれている。

小山ルミ ブルージーン

昭和の時代、一世を風靡した人気番組「八時だよ全員集合」に
昭和44年の秋からレギュラー出演していた彼女は何枚かの
レコードを出していた。 その中で最もヒットしたのが「さすらいのギター」
である。 その後、橋本淳、筒美京平のゴールデンコンビで
リリースされたこの曲は当時流行していたベンチャーズ歌謡を
意識していたと思われるが通好み?な雰囲気は惜しくも
ヒットしなかった。 もうこのレコードは手に入らないと思って
いたところ、新星堂と渡辺プロの共同企画で小山ルミシングル
コレクションとして再発売。 30年ぶりに聴くことができた。


ザ・ビートルズ All My Loving

レコードのライナーノートによると、1963年に、ロイ・オービソンとの
イギリスツアー中にポールが書き上げた作品で、歌詞はツアーバスの
中、曲は、あらゆる劇場の片隅にあったピアノで生み出されたとある。
この頃の作品では、飛びぬけた傑作だ。


ダークダックス 夕日

結成50周年を迎えたダークダックスが同世代にふさわしい歌として発表した歌である。
二人で力を合せてきた人生の素晴らしさ、これからも二人で生きていく
喜びを美しい詩とメロディーで歌っている。 前に紹介したアダージオに
通じる内容となっている。 どちらも、小林亜星の作曲であるが、
彼は名旋律家である。 都はるみが歌って大ヒットした東京セレナーデも
小林亜星の作曲である。


ポルノグラフィティ サウダージ

失恋は歌の題材として、多く取り上げられている。 そして多くの場合それは
女性の気持ちを歌っている。 これ以上関係を続けると自分を見失ってしまう。
つらいけど、別れるしかない。 しかし、燃えるような恋心を私は後悔しない。


松任谷由実 まちぶせ

片思いを伝えたい気持ちをストレートに歌っている。 こんなせつない思い出は
誰にでもあるに違いない。 もともとは三木聖子が歌って世に出た歌だが、その後
石川ひとみも歌っている。 歌の内容もストレートだがメロディもストレートで、
いろいろな時代に合せたアレンジが可能と思われるので、また何年かしたらヒット
しそうだ。


音楽の部屋へもどる

トップページへもどる