が住んでいたところである。 ・・・といっても、オカルトに興味のない人にはどれほど知られているのだろう・・・。 安倍清明は平安時代の朝廷に仕えた、陰陽博士(おんみょうはかせ)である。 陰陽博士とは、陰陽道(おんみょうどう)のエキスパートであるが、知らない人にはそもそもこの陰陽道の説明から記す必要がある。 平安貴族の間では公私にわたり、物事の吉凶は全て陰陽道によって占われた。陰陽道の守備範囲は広くにわたり、天文や暦にまで及ぶ。引越しや旅 行にしても、よい日、よい方向などを陰陽博士に占ってもらい、全てそれに従った。また、もちろん悪い日、悪い方角などもわかるわけで、『今昔物語集』 などを見ると、それを悪用して政敵となる貴族を呪い殺した、という記述も見える。 その他、彼らは『式神』と呼ばれる使い魔をもち、身の回りの世話から警護、果ては呪殺まで行っていたともある。 このように陰陽道は、当時の貴族社会に絶大な影響力を持っていたのである。・・・もっとも、のちに現実主義の武家が台頭するにつれ、陰陽博士たち は朝廷の要職からは追われることとなったようではあるが・・・(詳しく調べたことはないが、そういうことだろう)。 ・・・若干脱線した。 安倍清明は、このような陰陽博士の中でも特に多くの記述が見られる人物なのである(『今昔物語集』、『宇治拾遺物語』、『大鏡』など)。 近年でも、荒俣宏をはじめ、多くの作家が清明の活躍を小説化しているが、特に有名なのは、夢枕獏の「陰陽師」であろう。 これは漫画化され、また野村萬斎の主演で2度映画化されている。知っている人も多いんじゃないだろうか(『2』は見たけど映像的にはどうかと・・・)。 とまあ、そーゆーのがあって行って来ました・・・興味のない人には面白くない話だけど・・・。 ・・・やけに新しい建物だとお思いでしょうが・・・最近の清明ブームで建て替えられたらしい・・・もったいない!おまけに、『清明グッズ』なんかも売られて たりして、上記で説明したような重みも何にも感じられなかったりする・・・トホホ。 ・・・あぁ、神社らしく、絵馬まで置いてらぁ・・・みんなどんなこと書いてあるんだろう・・・ 式神といえば、妻がその醜さを嫌ったため、清明は式神を近くの一条戻り橋に置いたという。必要があるごとに彼はそこから式神を呼んだり、また自ら で向いて吉凶を占ったりしたとのことだ。せっかくなので行ってみよう。 存外チャチな橋だとは聞いていたが・・・あまりに生活臭漂いまくりにもうビックリッす。まぁ、川も小さいけど、それにしてもなぁ・・・。 と、よく見ると橋の袂にこんな案内板を見つけた。 民俗学では、四辻や橋などは異界(あるいは魔界)と現世とを結ぶものと考えられていたらしい。ゆえにこの案内のような伝承も残っているのであろう。 清明など、陰陽博士の式神たちも、もしかしたらのちに『川原者』などと呼ばれた賎民たちかもしれない。それが貴族社会から異界のものとみなされ、 嫌われていたのではないだろうか? 忌み嫌われたものだからこそ、その名残をあらわすものもやがて消される運命だったのではないだろうか・・・考えすぎかもしれないが、そう考えるとこ の橋も哀愁を漂わしているようにも思えてきた。 さて、日も暮れ始めてきた。最後に念願の清明神社にも来れたし、この京都旅行も満喫できたなぁ・・・ えぇいままよ!ここまで全て徒歩で強行してきたがもう間に合わない、タクシーで行くだけ行ってみよう、
お気楽SYSTEMS
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