想影橋 

今回の旅行の第2の目的は、私の父母の思い出の地を探そうと言う事でした。
と言っても一昔前の話。本人達はもうこの世にはいません。おぼろげな記憶を辿って、この地に古くからある温泉宿に予約しました。

駅前には60度の温泉が吹き出た噴水。
他には、目だった娯楽施設もない狭い場所に
たくさんの宿があるだけの地味な温泉街です。

私の泊まった宿で、仲居さんにセピア色の思い出の写真を見てもらって、「この場所判りませんか?」と尋ねたところ、古い写真にビックリされ、たぶん、大女将さんなら判るかもと、大女将さんに見ていただくことに。

お風呂に入って汗を流して、料亭旅館自慢の食事をしていると、大女将さんから、電話が入り、写真は確かに背景や橋の感じから、この宇奈月温泉で、 この橋は吊り橋でこれから見ると大女将さんの嫁入り以前のもので、今はコンクリートの橋になっている『想影橋』(おもかげばし)だと言う事でした。

そして、珍しい貴重な写真ですねと言われ、大女将さんの歴史(自慢話)この旅館は創業68年、宇奈月は開湯80周年で、大女将さんは嫁入りして54年。。。と永遠と続き。。。。私達の泊まった部屋は昭和天皇が泊まった部屋の名前で(改装の為名前だけ残した)自慢のお部屋ですと。。。確かに入った時、こんな部屋の値段払ってないけど。。。良いのかな?と思ってった。たぶん、まだ夏休み前で空いてたから良いお部屋に通してくれたのか?襖に菊のご紋みたいな模様。。。部屋の中に坪庭。。。
なんか帰りの請求が怖い。。。笑

目的の場所も判り、お風呂に3回も入り、美味しいご馳走に満腹になってその夜はぐっすり眠りました。

翌朝、余計な追加請求もなく(笑)、親切な仲居さんに姿が見えなくなるまで手を振っていただき、その『想影橋』に行って見ました。

あったあった!確かに写真の背景と同じ場所です。
写ってる旅館らしきものは、大きさが大部違うようですが半世紀前に父母が立った地に、二人で立ってみました。
何だか胸に迫るものがあり、来て良かった!


3青春の思い出へ続く

この後も珍しい富山の
しろ海老料理やら次々と。。
↑想影橋から
   見た風景
↓昔の橋脚
写真に撮った時の年齢は私達の方がずっと上なのに夫婦の貫禄が。。。。(~_~;)
追記
宇奈月の駅前に、黒部電気記念館がありました。
そこには、黒部峡谷の自然と、それに挑んだ関西電力の先人達の勇気と英知が刻まれてました。
ふと年代記を見ると、黒部電力の宇奈月側からの本格的な開発時期と、
父母の写真の年代が一致するのに気が付きました。
宿の女将さんも「なぜ、まだ辺ぴな宇奈月にいらしたのでしょう?」と言っていた事は、
もしかして、父は黒部開発に関わっていた?
ちなみに父は、新潟鉄工の鉄鋼技師で、大きなガスタンクや戦時中は軍艦を作っていたそうです。
生きている時にいろんな話を聞いておけば良かった。。。。