高槻・茨木探訪

2010年5月12日(水)

平成22年5月12日、我が七期・古代史研究所員と自称する井狩、榎本、河村、下村、村元の5人は古代の謎を探求すべく三島の地を訪れました。高槻市といえば藤井善三さんが住まいされ、また茨木市には神谷宏美さんが住んでおられます。古代史研究も大切ですが旧交を暖めるのももっと大切とお会いする事にしました。
井狩さんは車で来られJR高槻駅で待ってくれていまして、我ら南河内4人組は便乗させていただきました。 藤井さんはステンドグラスの工房を持っておられます。生徒さんは現在5人。。我々が訪問するというのでこんな看板を新調しておいてくれました。「STUDIOフジイ」。 
「さぁ、どうぞどうぞ」と藤井さん。
この日まで井狩さんは下見しておいてくれましたので、迷うことなくすんなりと行く事ができました。
 藤井さんは大歓迎してくれまして、ステンドグラスのカットのしかたや、つなぎ合わせ方などを即席に教えてくれました。
作品の一部と教室の雰囲気。。。
工房の中です。いろんな道具や素材が整然と置いてあります。  藤井さんは几帳面でマメらしく手作りの収納戸棚などもとても上手く考えてありました。
生徒さんの造りかけの作品。まず、ガラスをカットし紙や発泡スチロールで出来た土台の上に、仮に張っておくのだそうです。 デザインは既成のもありますが、自分オリジナルのも作るようです。色ガラスのこと、カットの仕方、、榎本さんが質問しています。
榎本さんは質問魔です。
「蘭」「葡萄」「紫陽花」などテーマは無限です。
実際にガラスカットの仕方を教えてくれました。 まず、デザイン。次にガラスを選定し、切っていきます。ダイヤモンドの付いたカッターで線に沿って切ります。
それを特殊な鋏で細かく切り刻みます。 高速回転するヤスリでガラスのとがった角を落としていきます。ほんとに根気の要る仕事です。
出来上がったガラスの周りに薄い銅のテープを巻きます。私たちは鉛や錫の重い分厚いものを想像していましたが、最近こんないい素材が出来ていて作業がはかどるんです、と。 お馴染み、ハンダ付けの部品。
隣同士のパーツをハンダでくっつけて大きくしていきます。
井狩さんの持っているのは透明のガラス。でもその素材の表面は波打っていて分厚さが違います。 気がつけば11時半。1時間以上もお邪魔しました。 記念写真を撮りました。 藤井、下村、井狩、河村、村元です。「実はお昼ご飯については予約してあんねん」
「ええっ、どこかファミリーレストランででも、と思っていたよ」
「高槻市役所の最上階14階の〔にんにん〕というところ・・」
「それゃぁよかった。。助かったよ」
藤井さんの車が先導して到着。。
南側の遠くに「生駒山」のテレビ塔がよく見えます。
スイーツ、コーヒーなどついて本格的です。。。
「今日は生徒さんが1時から来るので先に帰らせてもらうわ。もうお勘定は済ませてあるからね。」
「ええっっ、、そんな・・・・・すみませんね。ご馳走さん」
と断りませんでした。(^-^)。。
藤井さんが帰った後、
「おい、どないしょ、、後でお礼の品を送ろうか・・」
「うーむ、、ご好意を頂いておこうや」
北を見ますと、、阪急電車がそばを通っています。
あの手前の濃い緑の山辺りにこれから行く「安満宮山古墳」の方角です。
「安満宮山古墳」です。ここは、高槻市街を一望できる高台にある古墳で、魏国から邪馬台国の卑弥呼に贈られたと言われている「青龍三年」方格規矩四神鏡などが出土しています。ですから「青龍三年の丘・安満宮山古墳」とも呼ばれています。 
この強化プラスチックの下に墳墓が保存されています。榎本さんは「これぐらいの高さやったら怖くないで」と。。 この墳墓の中から大発見が・・・。「青龍三年」と書かれた青銅鏡が出てきたのです。卑弥呼関係かと大騒ぎになっています。
その墳墓を真上から見たところです。鏡やガラス玉、いろんな副葬品が見つかりました。また、水銀で作った高価な「朱」の跡も見えます。 次に訪れたところは高槻市教委の「埋蔵文化財調査センター」。。
このセンターの外には竪穴住居の復元したものや横穴式石室などが展示されています。
横穴式石室です。七世紀初頭の墳墓で順次4人が葬られていた形跡があります。 学術調査の様子や出土したものなどの写真が展示されています。
あの「青龍三年の銘のある鏡」のレプリカもあります。  所員が資料にうずもりながら石膏でハニワの復元をしています。 
次の訪問先は「史跡新池ハニワ工場公園」です。左のがオープンで露天にしてあります。 復元された当時のハニワ工場。
一つの登り窯を鉄板屋根で覆って登り窯を保護していました。ここには詳しく書いた展示物やテレビなど置いてありました。 このハニワ工場館へのアクセス道路です。
こんな大きな家型埴輪が作られていたというのです。高さが170cmもあるということです。 ここの登り窯で大量のハニワを焼いたということですが、中にはここで作られた埴輪があちこちに移動しているということもわかっています。
6年生の孫が今古墳の事を学校で学んでいます。ちょうどいい教材です。
次は「闘鶏山(つげやま)古墳」なんですが、実際には見られませんでした。でも傍まで行こうということで、名神高速道路沿いの「闘鶏野神社」に行きました。この古墳は平成14年の確認調査によって後円部から未盗掘の竪穴式石室2基が発見され、大きな話題になりました。石室内部のファイバースコープ調査では三角縁神獣鏡(さんかくぶち しんじゅうきょう)や石製の腕飾り、木棺の一部などが確認され、4世紀前半の三島の王墓と考えられています。 最後に訪れるところは「第26代継体天皇」の陵墓と言われている「太田茶臼山古墳〔三嶋藍野陵〕」です。ここは宮内庁公認なんですが・・・。ここは車窓見学。
もう一つの継体天皇の陵墓だといわれている「今城塚古墳」は今、造成や工事中と言うことでこれも車窓見学。ここは三島平野のほぼ中央に位置し、淀川流域では最大級の前方後円墳です。西向きの墳丘の周囲には二重の濠がめぐり、総長約350m・総幅約340mをはかり、日本最大の家形埴輪や精緻な武人埴輪が発見されています。今城塚古墳は、531年に没した第26代継体天皇の真の陵墓と考えられ、古墳時代の大王陵としては唯一、淀川流域に築かれた古墳です。見学できなかったのは残念至極です。
朝日新聞社撮影の写真。手前が宮内庁公認の「第26代継体天皇」の陵墓・「太田茶臼山古墳〔三嶋藍野陵〕」。。奥の方に小さく見えるのが、継体天皇の真の陵墓と言われている今城塚古墳です。 ここは茨木市です。茨木市といえば同期の神谷さんが住んでいます。しかも、東太田1丁目のマンションと言うではありませんか。。これも河村さんが前日までにコンタクトを取ってくれていて・・・我々と会うことになっていました。(^∇^)ノ。病後の彼は大丈夫かな、と心配していましたが、、近くのコンビニで会うことになりました。
やってきてくれました。杖もついていません。2年前の七期会総会の時はずい分弱っていて、しかも去年は来られなかったのです。 左から河村、神谷、下村、井狩、榎本各氏です。もう、堰を切ったように皆がいろいろと喋ります。自分の病気のこと、健康のこと、、。あっという間にこのコンビニのフリースペースで時間を使ってしまいました。記念写真を撮って・・・ 
マンションの近くまで彼をお送りして再会を約しました。  今日は井狩さんの運転であちこちと古代史研究に行きました。いつものことですが助かります。次回は明日香村です。 キトラ古墳四神壁画の展示が、飛鳥資料館で、平山郁夫展をも見てくるつもりです。井狩さんにJR富田駅(摂津富田)まで送って貰いました。 井狩さん、ご苦労様でした。後姿は下村さん。
今日は盛り沢山でした。自動車で移動しましたが歩いてとなるとこれほどの事は出来ません。
旧友を訪ねる、というのもいいですなぁ、とみんなで話しました。藤井さん、神谷さんありがとう。<(__)>
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