女人高野・天野山金剛寺

07年9月14日(金)

9月の山楽会は「狭山・陶器山から河内長野・金剛寺」まで約13キロメートルを歩くという70歳のジジ・ババにとって過酷な計画を立てました。狭山と泉北ニュータウンを隔てている陶器山に登りその尾根伝いに南下するというピクニックでした。途中、立ち寄るところや名所旧跡もなく、ただただ歩くのみという面白くも無いコースですが、そこは何かと面白くする術に長けている皆さん、なんやかやとお喋りを楽しみながら完歩しました。
 その顛末をご覧ください。

9月14日、朝10時に南海高野線、大阪狭山市駅(旧・狭山遊園前駅)に集合。私が河内長野方面から到着するやいなや、大阪・兵庫組から「間違って狭山駅に降りてしまったやないか、駅名がややこしいから注意して、と案内に書いておいてくれないと・・・」と理不尽な訴え。「ちゃんと大阪狭山市駅と書いてあるやないか・・」
と喉から出かかったのですがそこは人間ができている私ですからグッと飲み込んで・・「そやねぇ、私が悪かった、南海電鉄の社長にややこしいぞこんな駅名、というとくわ」で丸くおさまりました。

 今回、森本さんが集合場所に到着してからお宅のほうから緊急連絡。「ちょっと急用できちゃった」と不参加が決定。
「大場さんが久しぶりに参加するそうなのでお会いしてから帰るよ」と大場さんを待ちます。でも大場さんも「狭山駅」で降りてしまって携帯に電話してきました。「誰もいてない・・」「あんた、手前の駅で降りてしまったので次の電車で大阪狭山市駅で降りて・・・」と。
森本さんと大場さんがご対面。森本さんはこの後お宅に帰られました。
ご存知のように大場さんは声がかすれるという病気で手術をされまして何ヶ月間か七期・外遊びクラブやこの山楽会に不参加が続きました。しかし、この日お元気な姿を見せていただきみんな安心いたしました。道中も先頭に立って歩かれ回復振りを見せていただきました。

狭山在住の下村さんがお出迎え、激励をしてくれまし。下村さんは今、右膝より下が痛むという症状で自重されています。

全員が揃ったので、第一目的地の「大阪府立狭山池博物館」へ出発。
黒いズボンをはいて白い帽子をかぶってるのが下村さんです。彼から狭山池についての概要の説明を受けています。60年ほど前、私たち狭山のいたずら小僧が先生の見回りの間隙をぬって泳ぎを練習し、対岸まで泳いだことなど懐かしい思い出話をしていました。この池は改修前は周囲4キロメートルもありましたが今は少し短くなっているそうです。早朝と夕方にはこの地域の住民たちは散歩やジョギングをしています。
 55年ほど昔、この池は「競艇場」として使われていました。
 またもっと前は公園として私たち狭山のガキどもの格好の遊び場でもありました。競艇場が住之江にいってからここは遊園地として再開発され冬はスケート場、夏はリバープール、また観覧車などもありこのあたりの子供たちの遊園地として親しまれていました。でも、時代の流れで遊園地を閉鎖し住宅開発が行われマンション、戸建て住宅がたくさん作られています。
狭山池が灌漑用のため池という位置づけから「ダム」という位置づけで再整備したのを記念に大阪府は「大阪府立狭山池博物館」を北の堤防の外側に作りました。池についての勉強ができるということでみんなに親しまれています。
http://www.sayamaikehaku.osakasayama.osaka.jp/

この日の降水確率は50パーセント。朝のうちは太陽も覗いていましたが雲行きが怪しくなって来ました。
館内に入って見学。
この写真は狭山池の水が北の方向にどう流れていくかというパノラマです。下村さんの一番手前の大きな池が狭山池で、この水が河川を通って次のため池に貯め、また次のため池に・・という風に大阪市内まで行っていたそうです。もちろん大和川の付け替え以前の話ですか。
西除川や東除川、中樋を流れ出た水が狭山や美原、堺を潤して大阪城のお堀まで行っていたと古人から聞いた覚えがあります。

台風11号に向って湿った風が吹き、雷と大雨注意報の中でのピクニックです。博物館の前から循環バスで、陶器山に一番近い「三都神社」まで乗ることにします。約3キロメートルのショートカットです。11時32分発に乗ります。
下村さんがお見送りしてくれて三都神社まで出発です。雲行きが怪しかったのですがバスに乗るやいなやポツポツときました。次の停留所になると大雨が・・・。もう、車軸を流す、、アスファルトの道路は川のように流れていきます。
「下村さん、傘を持っていたのかなぁ」「大丈夫かなぁ」とみんな心配していました。
天は助くる者を助く・・・。三都神社前につく頃は薄日が。わずか10分ほどの大雨でした。小降りの雨でお日様がさしている・・・「狐の嫁入りやぁ・・」勇躍一番。陶器山登山。
後で下村さんから携帯に電話があり、「みんな濡れなかったか?俺はぼとぼとに濡れたよ」と。やっぱりね。ご親切にありがとう。
陶器山縦走路は堺市民と大阪狭山市民の憩いの道であります。この道で両市が隔てられていますが陶器山トンネルが両市を結び、また幹線道路として路線バスが「泉が丘駅」と「金剛駅」を結んでいます。ちょうどその陶器山トンネルの真上に憩いの場・休憩所やトイレが設置されています。ちょうど12時、お昼ご飯にしました。
ここに到着した時にほかのお年寄り団体が席を取っておられましたが、「もう私たちは食事を済ませましたから」ということで譲ってくださいました。聞くところによりますとこの方たちは河内長野市の日東町という町内会の老人クラブのあるこう会ということでした。行き先は天野街道の途中で千代田駅方面に行くそうです。「へぇ、同窓会ですか・・随分仲良しなんですね。。」などといろいろお話しました。旅は道連れ・・・で和気藹々とお話しお別れしました。
道しるべです。「右 かうや(こうや)」  「左 あまの」 と書かれています。この道標の左側面に「さかい」とありました。
「ここで休憩、日陰になっているし・・」みんな腰を下ろすところを探します。道端ですから座るのに苦労しました。
「ここは分岐点やねぇ。ここは今は何にも無いけど、昔はきっと茶店があったんやろなぁ」。「ここと違うか、茶店。ちょうどいい広さやで」。。と想像をめぐらす井狩さん。「あめちゃん、食べて」と女性陣から差し入れ。
「それにつけても暑いなぁ」「湿気100パーセントやできっと」
岩壷さんなんか背中など水をかぶったほどワイシャツが濡れています。「村元さん、あと何キロぐらい?」
ここは狭山の南、大野という地域を抜けたところですからあと5キロ以上はあります。この写真の向こうに見えているのが小山田、千代田方面です。「さっきの日東町のあるこう会はここを左折したんやろな」「さあ、いこか」「もう行くんかいな」この時点で午後1時50分。
田園風景の中を進みます。
いろんな作物が見え隠れ。
佐野さんは質問魔です。「あれはなんという木?」「あれは栗でこっちは桃の木や。葉っぱはどちらも長いけど栗の葉はギザギザでしょう、桃の葉にはギザギザが無いでしょう」
「稲の周りの土手に植えてあるのは何?
「あれは枝豆や」「勝手に生えてきたの」「いや、枝豆は大豆とも言う、それを蒔いて育てている。ちょうど稲の刈り取る時期と同じ時期に成熟するから昔から畔に植えているんや。畔豆とも言う」「ふーん」」枝豆の葉っぱを一枚って親指と人差し指で丸を作りその中に葉っぱを入れて叩くとパンという音が出ます・・・と昔の遊びも披露。
「村元さん、何でも知ってるんやね」と佐野さん。横から「佐野さんはシティボーイやからや」と河村さん。
枝豆は青いうちに収穫し餡を作ってお祭りの頃にお餅にまぶして
食べるんですよ。東北では「ずんだ餅」このへんでは「くるみ餅」といいます。。と。甘くて美味しいよ。
途中、下里の村に近づいてきますと鎮守の森が見えてきます。下里地区の氏神「青賀原神社」で大休止。あと3キロメートルです。
この時点で2時40分でした。この時点で疲労がピーク。

このあと下里地区の村中を通り金剛寺へ。途中村のお年寄りらと言葉を交わし進みます。おうちを飾っているプランターのお花や作物についていろいろとお喋りして疲れを誤魔化します。

遠くに白壁の寺院が見えてきました。少し元気が出てきました。
いよいよ女人高野・天野山金剛寺に着きました。3時40分です。
このお寺について次のURLを参考にしてみてください。
http://www.y-morimoto.com/s_saigoku/s_saigoku07.html
このお疲れの顔・・・でももう歩かなくてもいいという安堵感がでているでしょう。大場さんは足に豆ができたと・・・。よく頑張りましたね。
「あーあ、早く冷房のきいているところに行きたいわ」と村田さん。。みんな汗びっしょり。これまでに500ミリリットルの飲み物3本を飲み干していました。

南海バスは4時4分発、一路河内長野スーパー銭湯「風の湯」へ。乗るやいなや、、「うわーー寒む・・」「村田さん、あんたの希望が叶えられたやろ」「効き過ぎやわ、風引きそうや」
なんやかやなん癖ををつけながらでも楽しそうです。
500円のお風呂に入りさっぱりしました。待合室で女性陣を待っています。「ここのお風呂、金の湯があったで。有馬にいかんでもえがな」「有馬は遠い」と村元と河村さん。「河内長野は宝塚から遠い」と井狩さん。「ほんならおあいこやな」と納得。

あとは、村元が予約しておいた河内長野駅前の居酒屋「おおきた」へ。ここは以前金剛登山した時に入ったところです。
5時30分、喉の渇いた8人が入って来ました。「予約席」と8人分用意されていましたが狭い狭い。。「隣の席も使ってもいいですか?」「今日は金曜日でお客が多いですので・・。来られるまででしたらいいですよ」
とりあえず「乾杯」喉に甘露がころころと、ではなくグビグビと。
「おばちゃん、もう一杯」我々よりどう若く見ても10歳は上のお姉さまにお願いをしてジョッキを重ねました。

今日の楽しかったことや苦しかったこと、、、、榎本さんがいないので政治や経済、心理学や倫理学?の難しい話は出ません。
2時間飲んで喋って1650円。安いなぁ、、あんまり食べ物注文しなかったからやなぁ。

遠く京都や兵庫にお帰りの人が多いですから早い目にお開き。
午後7時30分には河内長野の駅についていました。
10月は六甲山・紅葉谷のようです。
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