猿島へ出向く
2008年04月12日


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 病院の検査が意外に早く終った。一緒に出向いた女房が「これからどこに行くの」と言い出すから横須賀市経済部観光課が作成し、京浜急行の駅に置いてある《よこすか観光マップ》を出して行きたいところを選ばせた。
しばらく待っても応えがないから「猿島にするか」と告げた。
「何があるの」と問うから、「要塞(ようさい)の跡」と返えせば「またとんでもない場所ね」と呆れる。
「幽霊が出るかもしれないぞ」と脅しても動じない。古本屋めぐりにつきあわされるよりマシと考えたのだろうか。
        

京急横須賀中央駅 横須賀港と潜水艦 三笠公園


 パンフレットによれば、「東京湾唯一の自然島で、面積は横浜スタジアムのグランドの約4倍。終戦まで軍事施設として一般人の立ち入りは禁止されていましたが、今ではエコミュージアム猿島として整備され、連絡船で気軽に渡ることができます。」とある。ともあれ、「島内には緑深い木々のなか、旧軍施設であるレンガ積みのトンネルなどが残り、ちょっとした探検気分が味わえます。」と続き、航路運行時刻表まで付いている。そういえば数年前に亡くなった釣りキチのSさんが推奨していた磯釣り場でもある。

 京急の横須賀中央駅に下車すれば人でごったがえし、制服姿で群れ歩く自衛隊員と家族連れの米国軍人が目立つのも横須賀である。生まれ故郷や学生時代に立川や横田基地周辺で見慣れているわたしにはどうってこともないが、女房はちょっぴり異質な場所に映るようだ。いつものとおり本港に立ち寄りフリゲート艦や潜水艦を眺めたが米軍施設の間借り状態である。明治の戦艦三笠を飾る公園は自衛隊員割引もあるようだ。着いたときに連絡船が出航したのでl時間をどうやってつぶすか悩んだ。泳いで渡れそうな目と鼻の先にある場所だがカナヅチの女房には無理である。

 喫茶店で腹ごしらえして次の出航までひまをつぶした。海軍カレー(その店のメニューは《海軍さんのカレー》だった)を食べた女房は辛い辛いと音を上げるのもおかしかった。戦艦三笠はコンクリートで固められていた。船橋に人がたむろするのは高い所を好むわたしたちと同じである。連絡船シーフレンド1号の船首に坐って風をまともに受けても女房は喜々として動じない。双胴船(カタマラン)のわりに通過する船の波を受けてけっこう揺れる。もっとも猿島の海に突き出た桟橋のぬかるみにはたじろいていた。遠浅のせいか桟橋はかなり沖合いにあって潮の満ち干に応じて上下に使い分けるようだ。

 要塞跡はきれいに整備されていて気が抜けた。むしろ散策用の道は狭くて草に覆われて歩きにくい。山を切り抜いた要塞は運搬の都合だろうが両側が垂直に削られている。弾薬庫や兵舎は横穴だからじめじめしていたのではないか。残念ながらそこは塞がれていて確められなかった。砲台に向う階段はかなりの急坂で歩くのもつらかったにちがいない。それにしてもトンネルを歩くのは緊張する。

 ともあれトンネルを抜けなければ海に出られない。砲台跡で女房を待たせて鉄階段を下るとようやくヨネの根近くの磯場に出た。日蓮がこもったという洞窟は天井も狭くて窮屈である。(この島のサザエは日蓮の慈悲により角なしだという。)行き来する船を眺めていると待ちくたびれた女房が降りてきた。互いに階段歩きにあきて、浦賀水道に面したオイモノ鼻へ向う気力も失せた。どこへ行っても砲台跡が残るのは江戸時代末期からこの島が東京湾の台場として利用された因縁だろうか。

 釣り人を除けば猿島を訪れる人は桟橋近くの白い浜辺に集まるようである。磯に囲まれて波も少なく対岸に陸地を眺められるのも安心させるのだろう。レンタルショップや売店もあるから海水浴にも向いているようだ。澄んだ浅瀬にサンゴ礁を思わせる浜辺である。帰りの連絡船も双胴船のシーフレンド2号だったがこちらは船首が操舵室だから前方視界は今ひとつである。ちなみに、この島は宿泊は禁じられ17時の最終便で退去させられるそうだ。そこはやっぱり要塞跡である。今度はちゃんと身支度して訪れたいものだ。
    

帰りに乗ったシーフレンドU号 三笠港からの猿島 猿島の船着場
海に突き出たさんばし 砂浜もありました サンデッキで日光浴
山を切り抜いた通路 要塞のトンネル 意外と広いトンネルだ
砲台跡から海岸へ下る 日蓮洞近くの海岸 トンネルを歩く
尾根へ上る階段 レンタル品も多いレストハウス 向こうに見えるのが横須賀市内


【参考までに】

 猿島の観光ガイドは(株)卜ライアングルのホームページで確めてください。パンフレットには、猿島の魅力として自然資産、歴史資産、伝説、散策、海水浴、バーベキュー、フイツシング、スキンダイビングがあげられています。
 またフリー百科事典ウィキペテイアにも地勢、概要、交通が掲載されています。


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