スーパーエッシャー展に出向く
2006年12月02日


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スーパーエッシャー展へ行ってきた

 先月から渋谷のBunkamura地下のザ・ミュージアムで開催されている「スーパーエッシャー展」へ出向いた。Bunkamuraは東急百貨店本店の裏にあるので探すのに手間どった。若者連れが多いのは渋谷という土地柄の反映とともに、エッシャーが奇抜なポスターやだまし絵の版画家と紹介されるからだろう。

 エッシャーの作品は4章に分かれて展示されてたが、第1章の「身近なものと自画像」や第2章の「旅の風景」は絵が小さくモノクロームが多いから期待外れである。エッシャーらしさは第3章の「平面と立体の正則分割」や第4章の「特異な視点、だまし絵」である。第3章は魚・虫・鳥を素材にした文様の組合せとみても面白い。なじみやすいのはやはり絵も大きくカラフルな第4章のだまし絵である。

 エッシャーがどんな人なのかはすでに「エッシャーに魅せられた男たち」で触れたし、雑誌「美術手帖2006年11月号」でも特集が組まれているので繰り返さない。むしろこの展覧会で楽しめるのは出口の近くにあるビジュアル画面を手で触って楽しんだり、1968〜70年の少年マガジンの表紙の掲載だろう。キックボクシングの沢村猛が出ていたり、往年の人気マンガを思い出す始末である。

 エッシャーの作品は壁に飾って楽しむのでなく逆さまにしたり、動かすことによって立体的で動きを感じさせられるものだと再確認した次第である。それは理解して楽しむ芸術ではなく想像力をかきたててる刺激物といえないだろうか。みやげに3枚買ってきたTHE AMEZING CARDというのぞき眼鏡つきのカードを眺めてつくづく感じた。また、動きを内蔵した文様であるのも楽しい。だまし絵というだけでなく動的な文様であるからコンピュータグラフィックの先鞭となるものだろう。

エッシャーに魅せられた男たち
野地鉄嘉著
知識の森文庫
美術手帖
2006年11月号
文様の詳細な技法解説



エッシャーに魅せられた男たち

 だまし絵の画家として紹介されるオランダのM・C・Escher(1898-1972)にとりつかれた日本人のルポルタージュ『エッシャーに魅せられた男たち』(野地秩嘉著、知識の森文庫、光文社、2006年)を読み切った。副題は「一枚の絵が人生を変えた」である。いずれも絵画とは別世界で暮らしながらエッシャーの絵にひかれたというのに親近感を持つ。

 「巨人の星」や「明日のジョー」で盛り上がった時期の少年マガジンの表紙にエッシャーの作品を連続掲載した大伴昌司(故人)、ファッション・アパレル業界に関わりながら若いころに見たポスターにひかれてエッシャーの作品をまとめて購入した甲賀正治、そういう美術とは関わりがない者をひきつけるのがエッシャーの作品のようだ(敬称略)。わたしにしても朝日新聞に掲載された「遊びの博物誌」でエッシャーに関心を持ち、それは今も続いている。

 エッシャーの絵で思い出すのが「上昇と下降」である。たあいない幼児向けの城のイラストに映るが、よくみると上部を動く兵士が無限運動をしている絵だ。無限運動など物理で否定されていてもエッシャーに表現されると思わず引き込まれる。これに類した作品には「結び」や「メビウスの輪」もある。エッシャーはこの手のだまし絵画家として紹介されてきた。

 エッシャーの版画はアメリカではポップアートとして受け入れられ、薬がらみで楽しむポスターだったという。ローリングストーンズのミック・ジャガーはレコードジャケットに使いたがったが断られている。似たような絵柄が繰り返されるうちに意外な展開をするのもおもしろい。鎌倉の神奈川県立近代美術館にあった「めぐりあい」も四つ足の動物と二つ足の人間がクロスオーバーしているのに驚かされる。

 利殖とは別に、絵がもつ魅力にひかれて人生を変えられた日本人がいたことにわたしは驚いた。見るたびに驚かされるけれど、もっと見たい気にさせるのもエッシャーの魅力だろう。この版画家は気難しくて家族に見離さられて寂しく去ったようである。



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