16年ぶりの黒四ダム
2006年08月17日


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目次 
 ●三つの辛い縦走
 ●家族で2度目のダム見物
 ●平ノ渡しを確かめに遊覧船に乗る
 ●大町温泉郷に寄る
 ●雷雨に追われて豊科へ
                           
  

三つの辛い縦走

 雨も上がって暑い中を広域農道を使って大町に向かう。堀金村を過ぎるとクルマが少なくなるのは昔から変わらない。常念岳・大天井岳それに燕岳につながる山々が聳えていても山歩きに無縁な家族には興味が欠ける様子だ。まわりに稲穂が黄色く色づいていても精米された米しか知らない家族には田んぼとしか映らないようだ。山々に囲まれた安曇野の景色を思い出すのはわたしだけというのも哀しい。ヒマワリが元気よく咲いていても家族にはどうでもいいことのようだ。

 これから向かう黒四ダムのまわりの山々には苦い思い出が多い。

 初めて北アルプスに出向いた翌年の1976年7月に富山から有峰湖を経て、薬師岳・越中沢岳・五色ケ原・室堂への縦走は梅雨明け前の長雨に行動をはばまれ、薬師岳から12時間も歩き続けて五色ケ原にたどりついた時はバテきって食事もできないありさまだった。

 次の1977年の大町から葛温泉を経て濁沢(今は高瀬ダムができた)・烏帽子岳・野口五郎岳・水晶岳・高天原・雲の平・鷲羽岳・三俣蓮華岳・鏡平・新穂高温泉への縦走は女性の尻を追いかける恥さらしの行脚だった。

 そして、1979年の大町から針ノ木雪渓を経て、蓮華岳・針ノ木岳・赤沢岳・爺ケ岳の縦走は鹿島槍ヶ岳を前にして胃痛と便秘でスゴスゴ扇沢に戻るみじめなものだった。鹿島槍ヶ岳にはとことん縁がないようで白馬岳から唐松岳を経た縦走も五竜岳で断念して遠見尾根を下ったこともある。
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家族で2度目のダム見物

 そういうことも加わって黒四ダムには近寄らなかったが16年前に家族を連れて行ってから何かと話題になる場所である。前回はアマチュア無線に熱中していたからダムサイトに無線機を持ち歩いて家族の批難も受けた。わたしは高所恐怖症だからダムの下をのぞきこむことができないだけでなく、高いところを歩くだけで足の下から冷や汗が噴き出す。それは、欄干から身を乗り出して下をのぞきこむ妻には理解できないようで「男のくせにだらしない」と笑われる。「そんな臆病が何で北アルプスや八ヶ岳を歩いたの」と妻は笑うが、真下をのぞきこむのと高い山を歩くのは違うし、興味や関心は怖れを超越する。

 トロリーバスは黒四ダムともう一箇所しか利用されていないという。架線が都市の景観を損ねるからだろうか。今は低公害をうたっても昔はジャマモノ扱いされて撤退したのだろう。同時刻に6〜7台が連なって走行するから待ち時間のイライラはない。家族連れが多いせいか横に並んで待ち列を乱すのも観光地である。展望台までは階段が220段上り、出口までは65段下るというアナウンスで楽なほうを選んだ。駅舎は地下にあるから涼しさを通り越して寒さを感じさせる。外に出ると温度差でメガネが曇るほどだ。

 同じ山を見ても歩いた者と眺める者では印象が異なる。歩いた者には景色だけでなく体験が加わり、眺める者には高さとか容貌で良し悪しが決まる。戦争体験がある親父が逃げ回った戦を語っても、歴史で知った息子が戦術や兵器の比較で戦争をとらえるズレに似ている。家族に山の名前を聞かれるたびに自分の体験を加えて煙たがれるようなものだ。それはともあれ、娘も高所恐怖所だからダムサイトを歩くときに腰が引け、妻や息子が下をのぞきこむたびに「危ない、危ない」と騒ぐのも恥ずかしい。
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平ノ渡しを確かめに遊覧船に乗る

 今回は湖上遊覧船に乗ることに決めた。11時40分の便はすでに満員で12時20分に乗るために1時間も待つのも退屈だった。いつもなら帰ろうと言い出す子どもたちもじっと耐え、のんびりまわりの山々を眺めている。湖畔に沿って遊歩道が作られているが手前の吊り橋で引き返してくる観光客が多い。ちなみに、平ノ小屋までは4時間近くかかるそうだ。

 前々から気になっていたのは黒部ダムができる前にあった「平の小屋」と「平の渡し」がどうなったかだ。富山側の五色が原と長野県側の針ノ木峠を結び、戦国武将の佐々成正(さっさなりまさ)がザラ峠を越えて浜松にいる徳川家康に救援を求めたという山道だ。ちなみに、ザラ峠は薬師岳と越中沢岳の間にある。山歩きをしていたころは新田次郎の山岳小説を愛読した。その中に平ノ渡しを題材にした作品があってわたしも扇沢から針ノ木峠を経由し、平ノ小屋から五色ケ原に向かう縦走を計画したこともある。それはいつの間にか立ち消えてしまい、わたしの山歩きも終わった。

 遊覧船は満員で30分立った。15ノットといってもけっこう速く感じる。船内放送によると現在の平の小屋はダムの建設とともに高台に移動し、真新しい建物に変わったようだ。渡し舟と言うから手漕ぎボートを想定していた連絡船は意外と大型で40〜50人は乗れそうである。黒部川の源流である鷲羽岳には雷雨を恐れて迂回し、五色が原ではバテきった思い出が残るから無意識に視線が向くのも恥ずかしい。
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大町温泉郷に寄る

 山の帰りは温泉だ。大町には妻とは何度か出向いているが温泉に立ち寄ったことがない。大町は白馬や糸魚川への通過地点でしかないからだろう。そんなわけで大町温泉郷は今回が初めてである。といっても、大町温泉郷には日帰り入浴できる温泉は1つしかないそうだ。これも意外である。

 湯けむり屋敷・薬師の湯には「アルプス温泉博物館」が併設されている。「18のお風呂とくつろぎの空間」というのにひかれて入った。新館と旧舘に分かれているがフロントが新館寄りにあるから大方の客は旧舘を見過ごしてしまう。我が家も新館を利用したが妻は数が足りないとぼやく。新館は男女ともにサウナ、かぶり湯、内湯、ぬるま湯、露天風呂2あり、旧舘は男女とも寝湯、単純泉、硫黄泉、重曹泉、食塩泉で足していくと18を超える。日焼けしているせいかやけに熱く感じる風呂だ。家では長風呂の息子がわたしより先に出てきたのに驚いた。でも、風呂好きの妻や娘には適温と言うから感じ方の差だろう。

 併設されているアルプス温泉博物館は長野県内の温泉場紹介とか入浴に関する知識の掲示にとどまり、入浴体験を通じて風呂とのかかわりを感じさせるようである。風呂好きな妻や娘に博物館の見物をすすめたが動く気配がなかった。
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雷雨に追われて豊科へ

 予想外の好天に恵まれた今度の旅の最後は雷雨に追われて豊科インターチェンジまで向かった。にわかに空一面が暗くなり、稲妻が光る中の走行は冷や汗ものである。途中何度か子どもたちに依頼したヒマワリの撮影どころではない。ときおり大雨が視界をさえぎる道路を恐る恐る走り続けた。温泉で今日の宿は予約したのが気休めである。

 長野冬季オリンピック以来、大町以北の道路は大幅に変わった。狭くて曲がりくねった道路は別の場所に広い道路になった。今回初めて使った北アルプスパノラマ道路(オリンピック道路)は国道147号を大きく迂回して豊科インターにつながる。この道路も豊科に入ると「わさび街道」に変わるのもおかしい。


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