家族で10回目の上高地
2006年08月16日


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もくじ

  ●小雨の中を発つ
  ●朝食がとれない
  ●乗鞍高原から白骨温泉へ
  ●大正池から明神池まで
  ●上高地銀座を歩く
  ●イワナ定食にひかれて
  ●グリンデルの夕食
   

小雨の中を発つ


 朝の2時過ぎに外に出ると小雨がパラつき、思わぬ伏兵にたじろいた。「天気予報のとおりね。ワイパーは大丈夫かしら」と妻は動じる気配がない。「だめだったら温泉めぐりにすればいいのよ」と娘もあっけらかんとしている。いつものとおり息子は黙ってクルマに乗っている。

 都内を順調に通過し、高井戸を過ぎるころから雨が大粒に変わった。娘だけが饒舌だ。「アタシが一番早く起きたのよ、お父さん」とやたらと話し掛ける。遊びに行くときだけ目覚めが良いのを自慢にするのも困ったものだ。

 雨は勝沼を過ぎると上がった。洗濯や後片付けで遅くまで起きていた妻が寝入ると、「上高地はどこを歩くの」、「温泉はどこにするの」、「太陽はどちらから出てくるの」と娘がいっそう話しかける。運転手が眠らないように娘なりに気遣っている。
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朝食がとれない

 諏訪湖SAには5時半に着いた。郊外のファミリーレストランに期待をかけて塩尻北インターで降りた。抜け道に利用してきた広域農道には郊外店舗も増えたが飲食店は見当たらない。道路ぞいにスイカの販売所がやけに目立つ。ひまわりが元気よく咲いていても腹が空いた家族は関心が欠けて写真を撮るそぶりも見せない。

 国道158号の道の駅「風穴の里」に立ち寄り、9時開店の表示で食事を諦めた直後に、「乗鞍高原なら店が開いてるかもしれないわ」と妻が言う。「あそこは登山口だし、温泉もあるから当てになるわ」と自信たっぷりに言う。このまま平湯温泉に出向いても同じだろう。朝食はだめでも入浴に期待した。
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乗鞍高原から白骨温泉へ                                  

案内碑
店が開いていない
白骨温泉
大正池と焼岳
大正池〜田代池の稜線
田代橋からの岳沢
ウエストン碑
五千尺ロッジ
川原で遊ぶ
河童橋下からの岳沢
嘉門次小屋
イワナの塩焼き
穂高神社奥社
グリンデル
イワナのムニュエル

 乗鞍高原には数度出向いている。9年前(1997年)の夏に家族全員で乗鞍岳に登るために民宿に2泊した。当時はたまごっちブームのころで中学生だった子どもたちはまがいもののギャオッピーを手にいれて騒ぎまわった。あのときは2日待って広い駐車場のある畳平から霧の中を娘を先頭に乗鞍岳へ登った。山頂から眺めた景色の想い出が今も家族の話題に上がる。泣き言を並べ、ひ弱に映った息子が下りは家族を誘導するのに驚かされた。急勾配の飛騨側の斜面。顔の無い民芸品のサルボボのおかしさ。斜面に残る雪のたまりが家族の記憶に残っている。乗鞍高原はなだらかに広がる尾根の斜面にスキーリフトが何台も設けられ、夏はテニスコートで遊ぶ観光客も多かった。

 3年前(2003年)からのマイカー規制で乗鞍高原はさびれた。長野県から岐阜県へ抜ける県道と有料道路が使えなくなれば乗鞍岳に向かう人は減るはずだ。安房トンネルを使う心地よい山岳巡回ルートが消えたのが淋しい。それでも、乗鞍高原はコスモスを眺め、休日をのどかに高原ですごし、テニスや入浴を楽しむ場にちがいない。

 朝食も入浴も早すぎたので乗鞍スーパー林道で白骨温泉へ向かう。料金所に詰めている太ったおばさんに道路規制の有無を尋ねたら、「今のところ事故はないですよ」と言われてギョッとした。それでなくても林道と聞いて腰が引けている家族にはとんでもない言いぐさだ。

 すれ違い困難なトンネルを無事通過し、曲がりくねった山道を下って白骨温泉に着くと娘が大きなため息をついた。久しぶりの山道走行は子どもたちにはきつかったようだ。温泉場は店も閉じてひっそりとしている。娘と息子に石仏見物を促しても興味を示さない。

 沢渡(さわんど)でようやく朝食を済ませ、クルマを預けてバスに乗り換える。「寄り道せずにここまで来ればよかったのに」、「先を見ないで突っ込んでくるし、せっかく譲ってもびくついてるドライバーもいた」と子どもがグチを並べる。スーパー林道の走行は懲りたようだ。
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大正池から明神池まで

 大正池でバスを降りて湖畔に向かうと中国人のグループが目立つ。「なんで上高地まで来るのよ」と娘が言い出すのもおかしい。日本人だって欧米はもとより世界各国に出向いている時代だ。中国人が出向いてきても不思議ではない。

 「こんなに晴れた上高地ってあったかしら」と娘が言い出す。そういえば子どもたちと訪れた7回のうち晴れた日は2回ぐらいだ。反対側の新穂高温泉も雨ばかり続いた。わたしの山歩きも雨ばかり続いた。初めての槍ヶ岳・穂高縦走の下りにしても上高地で土砂崩れがあって足止めされた。北穂高から涸沢岳を経て穂高岳山荘までの縦走にしても3日も涸沢小屋で晴れるのを待った。それを思えば今日の天気は珍しいくらい晴れ上がっている。

 おととしは妻と林間コースを歩いたから今回は川沿いを選んだ。帝国ホテルに子どもを連れていっても関心がないだろう。相手を選んでコースを決めるのも大正池ルートの楽しさである。田代橋から右岸を歩き、上高地温泉ホテルに近付くと「今の時間は入浴できないのよ」と妻が娘にウンチクをたれる。食べ物と温泉にはこだわりが多い妻はこういうことだけは忘れない。

 ウエストン碑を眺め、互いに写真を撮るために立ち止まり、2時間近くかけて河童橋に着くと妻と息子がバテている。お調子者の娘は川原に降りて水に足を浸けている。出がけにはくっきりしていた稜線が雲に覆われている。山歩きの頃は度々泊まった五千尺ロッジがやけにひっそりしている。河童食堂の2階で休憩すると無口になっていた子どもたちがやけにはしゃぎだすのもおかしい。
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上高地銀座を歩く

 穂高神社の奥社がある明神池まで河童橋から1時間の道のりだ。梓川の両岸には林の中を歩く遊歩道があるが、最近はメインの登山ルートである左岸(山に向かって右側)を使う。右岸は梓川を遠巻きにするからやや陰気な道だ。ともあれ槍ケ岳・穂高岳、常念岳・蝶ケ岳あるいは北穂高岳・奥穂高岳の縦走の下山に使った左岸にこだわってしまうからだろう。上高地だけにしても徳本峠(とくごうとうげ)、徳沢園、横尾山荘、涸沢ヒュッテへの行き来に何度か使った山道だ。

 ビジターセンター横を流れる小川から心地よい涼風が吹く。紫色のトリカブトが咲いているのに驚いた。殺人事件にも使われた毒を持つ花だが、見た目には可憐に映る(そういうものに惑わされた時期がわたしにもあった)。ともあれ、高天原(たかまがはら)に群生していたのと異なり慎ましく咲いている。

 キャンプ場のある小梨平から明神館までは人通りの絶えない林の中の道だ。ザックの重みと背中の蒸れで登り坂にあえぎ、疲れきって夢遊病者同然に歩いた下り坂だった。そんな昔と違いカメラしか持たない軽装で歩くと川原の涼風が快適に感じるのもおかしい。

 すれ違う登山者のファッションの様変りに驚かされた。いまどきは幅広なキスリングザックなどみかけない。今では当たり前の縦長ザックは30年前は岩登りのものだったが、岩場の縦走が多いわたしはキスリングザックを使ったことがない。土方風のニッカポッカは姿を消し、ジーンズやスラックスに変わっている。度肝を抜かれたのは身体に密着した派手な柄のウエットスーツで歩く年配の女性だった。発汗をどのように吸収するのか気になったが、あまりの派手さに家族は呆然としていた。
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イワナ定食にひかれて

 妻の上高地は河童橋とイワナ(岩魚)に尽きる。山歩きなど苦行としか映らず、花鳥風月をめでる風雅を持ち合わせていない。大正池からの道でもイワナを探しまわっていた。河童橋は観光スポットだから忘れないようだ。あとは帝国ホテルや日帰り入浴だろう。

 それはともかく山歩きに慣れぬ妻の足取りが軽い。今度で10回目というだけでなく、嘉門次小屋に向かう意気込みも加わっている。イワナを食べる執念で歩くのもおかしい。明神館にも岩魚定食があるのに数年前に気づいたが見向きもせず嘉門次小屋に向かう。どうせ仕入れ先は同じと言っても納得しない頑固さがいじらしい。

 明神橋の吊り橋を渡るころは子どもも歩き疲れて無口だ。それを叱咤するするように妻は先に進む。手前の山のひだやを無視して嘉門次小屋をめざす。「お母さん、そんなにはりきらなくてもいいじゃない」と娘が恨みごとを並べても先に進む。

 いつものとおり嘉門次小屋は登山客や観光客でごったがえしている。数年前に待つのがおっくうで別の店に向かったら妻に叱られて引き返したこともある。昔は掘っ立て小屋然としていた嘉門次小屋はレリーフを作って商売上手になった。神社の近くで殺生をするのは気になるが美味しいものにあれこれ角を立てるのも無粋だろう。

 「頭から尻尾まで全部食べられます」と言ってアルバイトがイワナの塩焼を運んできた。「そうよ全部食べるのよ」と妻が子どもに復唱するのもおかしい。こんがり焼き上げているが頭や内臓は慣れぬ者には戸惑うことだ。子どもの手前、いつもなら脇によける部分を渋々食べたが頭はともかく内臓は苦くてまいった。
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グリンデルの夕食

 沢渡へはバス代を払い戻してタクシーにかえた。午後2時前というのにバス待ち客は200人近い行列だ。昨年から観光バスの乗り入れができなくなったはずなのにツアー客だけがさっさと別のバスに乗り込むのも不可解である。タクシーは定額制をとっているから4人で乗ればバス代より安い。話し好きな運転手とウマがあってあれこれ昔話をしているうちに3時前に沢渡に着いた。歩きつかれて足が吊るのも恥ずかしい。

 グリンデルは国道158号線に沿った奈川渡ダムの近くにある目立たない店だ。食事がメインの旅籠(はたご)というところだ。赤い屋根が緑に囲まれて映える。部屋の名前にアルプスの山々を付けているのはご主人の趣味だろう。洋食がメインなのに蕎麦も打つ変わった店である。松本方向に向かうときに気づいても高山方向へ向かうときは見逃しやすい店である。商売っ気があれば手前から大きな看板を立て、ネオンサインでも出すところだろうがそうしないのがおもしろい。グリンデルの前は今朝は7時に通過した。「今日は泊まっている客がいるみたい」と子どもが言うのもおかしい。

 今回のドライブは宿が取れて決めた。いつもなら子どものどちらかが留守番をすると言い出すのだがグリンデルと言ったばかりについてきた。16年前の遅い夏に上高地から黒四を経て白馬までの家族旅行以来の宿である。妻は昨年も泊まったが、子どもたちは5年前(2001年)に能登半島・金沢・飛騨高山・軽井沢のドライブで立ち寄って以来だ。それはともかく定宿のない我が家で7回も利用する宿はここしかない。

 夕食は期待にたがわずボリュームたっぷりだった。イワナのムニュエルに舌鼓を打ち、豚の肩身肉のステーキに満足した。妻と娘はワインのボトルをたちまち空にし、堅物の息子が呆れ返っている。朝に子どもが呟いたように今日はいつになく客が多い。食後にご主人が花火を持ち出して子どもに勧めたが遠慮した。それでも、パソコンで上高地の冬の写真を眺めて娘が感激するたびにご主人が解説を始めるのも子ども好きの表れだろう。

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