図解編
民法総則に親しむヒント
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短い条文があれこれ並び、ろくな定義もせずに無味乾燥な要素(エレメント)が次々に飛び出すのが民法総則です。その解説に至っては原理や原則の展示室と化し、条文を読み直してもどこにも出てこないいらだちが増します。「点とは部分を持たないものである」の定義で始まるユークリッドの『幾何学原論』(共立出版)の退屈さとは違う、曖昧さに対するいらだちが民法にはつきまといます。
組み合わせて展開させる模型作りのたのしみは欠けるものの、人と人のつながりを「意思」と「行為」で結びつけ、権利と義務を具体化するのが民法です。細々した規定は物権や債権にはうんざりするほどあります。迷路にはまり、もがく前に全体を眺望するのが民法総則です。原理や原則の展示室のほかに、他の4編を横断する基本的な考え方と計算などの決まりがまとめられています。
他の法律には目的や用語の定義があらかじめ出ていますが民法の条文の定義はめったにでてきません。民法は、@条文の中にカッコ書きで定義されている、A条文自体が定義であるというのはごくわずかです。そして、定義から外れる内容、たとえば、行為能力なら未成年者や成年被後見人などのその能力が欠ける人をあれこれならべます。また死亡にしても危険災害などの行方不明や失踪を取り上げます。尋常でない事態をならべて「通常」や「普通」をイメージさせるというサド・マゾ的な定義があふれています。
きっちり作られたモノはすぐにガタが生じ、劣化します。風雪に耐えて残る建造物や工芸品もありますがそれはわずかです。ある程度のタルミや遊びをもたせたほうが柔軟性に対応できるのは人間や機械にもいえます。きっちりした定義は欠けるけれど、それゆえに時代の変化や事態の多様性に柔軟に対応できるのが民法です。それを知って条文を解釈することもできます。
前置きが長くなりましたが、民法総則は次のようなしくみだと知り、条文を位置づけて先に進めば、迷路にはまってもがくこともないでしょう。人の意思と行為がどのようにかかわり、他人にまかせた場合はどんな責任を負い、そのための条件や制限はどうなっているか、そして権利を放置すればどうなるかを確かめる機会です。
民法の総則編は、@通則、A人、B法人、C物、D法律行為、E期間の計算、F時効で構成されています。条文は@1〜2、A3〜32の2、B33〜37(38〜84は削除)、C85〜89、D90〜137、E138〜143、F144〜174の2で、Aの人・Dの法律行為とFの時効に多くの条文が割かれています。Bの法人は特別法が設けられたことによりますが、Cの物はこれで良いのかと思うほどです。権利の主体となる人間の資格(権利能力)、制限(行為能力・受領能力)、責任(責任能力)にかかわる補助者を含め、本人の意思表示を代理する者の権限を規定する条文が多いのも総則の特徴です。
総則といっても、他の4編(物権・債権・親族・相続)をカバーするものでなく、物権と債権の「財産権」にかかわる条文がほとんどです。Aの人の条文は、身分にかかわるものは除いて契約などを交わすときの能力(行為能力)に限られ、死亡の条文にしても相続とのかかわりは触れられていません。財産権の取得や変動にかかわる当事者の意思表示(法律行為)の有効・無効、法律行為を成り立てせる条件や期限、そして、時の流れに対応した期間の計算や時効に多くの条文が割かれています。
条文数でいえば財産法がほとんどですが、親族(といっても家族が中心です)や相続にかかわる「身分権」、あるいは個人の名誉とか才能にかかわる「人格権」が無視されているわけでもありません。第1条の基本原則(財産権が主です)、第2条の解釈の基準(身分権や人格権が主です)、第3条の権利能力(親族や相続にも関連)は他の4編にかかわります。そして、私人間にかかわる法律とはいえ何でも自由(任意)なわけでなく、社会規範や慣習に制限される(従う)第90条・第91条・第92条も含まれます。任意に権利を行使できる範囲を定めているのも民法総則で、個々の条文にない場合は総則に戻ります。書かれていることは書かれていないことより優先するのが法律の原則です。
法律は条文として書かれたものですが、それを補うのが判例や学説です。他の法分野とちがって解釈の幅が広いのも民法の特色でしょう。刑法には「罪刑法定主義」のしばりが厳然とあります。構成要件や責任能力がきっちり定めており人権に関わる類推解釈や拡大解釈は許されません。行政法も裁量権が制限されるとともに羈束行為(きそくこうい)のようにそれしか許されない条文もあります。
また、民法は一般法ですから特別法が優先します。経済取引では商法や会社法が優先し、他の社会法や経済法に条文があればそれが先に適用されますが、抽象的・一般的な条文であるために弾力的に対応できる利点(メリット)があります。
わたしが愛用している法律の実用解説書は小説以上におもしろい内容です。こんなことが許されるのかという怒り、あんなこともできるという驚き、そんなことにふりまわされたくないという嫌悪がつきまといます。一つ一つの条文の解釈と適用は様々です。それは判例や学説で補強された条文の解釈にすぎません。裏道や抜け道をあれこれ並べても法律の正道ではないからです。条文に書かれていることを確かめ、実用書に書かれているのが本当なのかを確かめることも必要です。