たかがクルマのことだけど
クルマ好きはスピード狂じゃない
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職場の仲間とクルマの話ではずむことが多い。そのとき戸惑うのはスピード狂と間違えられることだ。スピード狂だけがクルマを語るというのも異常である。私は流れに竿をささないが、自ら流れを早めることはしない。また、最近は接近して走るのを嫌って走行車線を利用している。
確かに、免許をとった直後にスピードにこだわったこともある。でも、自分のクルマを持ち、別注で修理書まで買い込んでからそれもバカらしくてやめた。テストドライバーが出したデータに挑戦する勇気はない。また、最愛の家族を乗せて無茶をする気も起こらない。
クルマは速度だけでなく快適性や安全性も加味してとらえるものだ。レースをするためでなく、移動や運搬に加えてドライバーと同乗者に応じて使い分ける道具である。そういう広い目でクルマを考えるのは変なことではあるまい。
スピード狂扱いは鉄砲を持ったら撃ちまくるとか、ナイフを持ったら刺すと決め込むのと同じではないか。なぜクルマの愛好者を狂人と決めつけるのか理解に苦しむ。所有する目的や利用する方法に多様性があって当然だろう。一つだけに決めつけるほうが異常だ。
大切に感じるからこそ無茶をしないことを忘れてほしくない。家族にしても、友人にしても、クルマにしてもむげに扱わないものである。自分の気分や都合だけでクルマを走らせても、前に他のクルマが走っているし、自転車や歩行者も利用しているのが道路である。ドライバーのみなさん、自殺するために運転してませんよね。こんなことがわからないかと腹を立てるのも口惜しい。(2005/11/27)
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