たかがクルマのことだけど

おかかえ運転手歴◯◯年


トップページに戻る  目次ページに戻る  前頁へ  次ページへ

 結婚する前に、弾みで「どこでも連れて行く」と口にしたばかりにクルマの運転は私の仕事になった。買い物から、送り迎え、旅行まで一人でするのもおっくうである。「アッシー」とか「ミツグ」など死語になったから時効になってもよさそうなものだ。



ナビゲーターだった

 運転が好きで免許をとったわけではない。それでもクルマを使って出歩くのが好きだ。歩くのはおっくうだし、モノグサな家族を連れ回るにはクルマが欠かせない。数年前に「クルマを捨てよう」と言ったら、「気が狂ったの」と言われるほど家族に欠かせない道具になっている。

 地図を見たり、計画を組むのは若い頃から好きである。小説と地図と時刻表を比較するのも趣味だった。もっとも、運転が下手だったから役に立つことはこういう面しかなかった。


家族ドライブと旅

 家族ドライブでは運転手とナビゲータを兼務するしかない。いつになっても地図を読んだり運転免許をとる気の欠ける相方に期待はできない。何度か持ち掛けたが昔の約束を持ち出されて諦めた。

 家族ドライブは冒険よりも安定が優先する。悪路や未知の場所を避け、かつて出向いた場所や有料道路の使用が増えた。だから、クルマを使って山道を走行するときも無茶を避ける。クルマ酔いされて仕事が増えるのもうっとおしい。

 そんなわけで、ガンガン走らせることはとっくに卒業した。昔は、雑誌の記事を検証し、自分のクルマの性能を確かめる探求心もあったのだが・・・。


運転に口出しするな!!

 さだまさしの『関白宣言』を唄わなかったくやしさが今もつきまとう。まア、今唄っても「それでどうしたの」とか「バカみたい」と鼻であしらわれるところだろう。

 でも、「運転に口をだすな」と言いたい。走るととまる、譲ると譲らないは運転手が判断するもので、あれこれ口を出すものではない。手伝うなら地図をみたり、後方や側方を確実に確かめてほしい。

 信号が変わってもすぐ発進しないのは安全のためだし、気分や感情で譲っているわけではない。必要性の判断は運転手が経験に基づいて行なうもので、同乗者の気分に合わせるものではない。


これからも続けるしかない

 子どもも運転免許をとれる年齢になったが、その気はないようだ。それはそれでいい。無茶をされて気苦労が増えるよりマシだろう。

 目や足腰も弱ってきたから無理はできない。若い頃と同じようにするつもりもない。できることを確実に積み重ねるしかないだろう。相方や子どもと共通の話題が旅、パソコンそれにブログしかないのも寂しい。仕事の話しかできないより多少はマシかもしれない。

                               文頭へ戻る