たかがクルマのことだけど

便利さに溺れる中毒症状


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目次
 ●わざわざクルマを使って
 ●他人を巻き添えにする
 ●同乗者のストレス
 ●足腰の衰え


 どこにも気楽に出かけられ、荷物も多く持ち歩けるのがクルマの便利さである。また、出発地と目的地の所要時間の短縮を図るためにクルマを利用する。しかし、クルマはいつも便利なものとは限らない。行楽期の交通集中や事故渋滞に巻き込まれるとどうにもならないしろものに変わる。そのたびに《どこかに置いて帰りたい》と何度思ったことだろう。


わざわざクルマを使って

 歩いて15分の場所でさえクルマで出向いた時期が私にはある。飲み物を買いに出向いたり、食事をしたり、銭湯に入るためにクルマを使った。でも、駐車場が空くまで待つしかなくて予想外に時間を無駄にした。都心に出向いたとき、目的地に着くのは早くても駐車場待ちが長くて遅刻したこともある。そして、自分の結婚式の当日にクルマを運転して式場に向かい、渋滞に巻き込まれて式場で待つ妻をハラハラさせたばかりにことあるごとにそれを持ち出される。

 今から考えればバカげた振る舞いだが、クルマに慣れると使わなければもったいないと錯覚することがある。バスや電車を使ったほうが確実なのに、居心地のよさや慢心でクルマを使ってしまうのものだ。
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他人を巻き添えにする

 クルマの便利さは相対的である。利用目的・走行条件その他によって限界がつきまとう。しかし、クルマの運転に慣れてしまうとこのことを忘れてしまうものだ。自業自得であるが、それで他人に迷惑をまき散らすから始末におえない。横断歩道をふさぎ、狭い道に駐車して歩行者に迷惑をかけたり交通渋滞を引き起こし、狭い道に入り込んで事故を起こしたりする。自分の都合だけを優先した振る舞いが歩行者や他車に危険を生むのもナンセンスである。
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同乗者のストレス

 足腰の不自由な老人や幼児を連れ歩くときにはクルマは便利である。でも、きゅうくつな空間にとじこめるから同乗者には苦痛を与える面がある。ドライバーの都合で考えれば休息時間はロスタイムに過ぎないが、同乗者にしてみればタバコをすったり、トイレに出向いたり、拘束から解かれる憩いの時間である。こんなちょっとしたズレが互いのストレスを生みやすい。また、クルマの移動が当たり前になると電車やバスに乗っても自分の席があるものだと思い込んだ息子に、「僕の席がないよ!」と言い出されて慌てたこともある。変な特権意識を持たすのも考えものである。
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足腰の衰え

 クルマに乗り慣れると歩くのがおっくうになる。歩く機会が次第に減って足腰が衰え、クルマに依存する悪循環にはまる。15分歩いただけで足がつって慌ててから私は極力クルマを使わないように努めたものだ。便利さに慣れると体力の衰えを加速させる面がある。利用目的を明確にし、他の交通機関と比べて合理的なときだけクルマが有用なのである。得るものより失うものの少なさで選択する使い方を考えるべきであろう。

 経済性とか合理性でクルマを選ぶにしろ、自分の体力や同乗者のストレスを考慮して利用しなければ互いの気まずさを生む元である。クルマの便利さの中にはけっこう諸刃(もろは)の面が隠れている。


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