たかがクルマのことだけど

クルマの使い分け ☆ 極論ですが・・・


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 日本のクルマを道路に並べたらあふれるという論法がある。だから、路上駐車をして当然という意見には組みしない。駐車場があっても入れない、待たない、払わないドライバーがいるからだ。施設を増やしてもこういうドライバーが使うはずもない。以下はこんなアホとは別のまともな人への提言である。

渋滞を楽しむ

 クルマが集中すれば渋滞になる。それが分かっていても出向く以上耐えるしかない。時期をずらすという考えもあるが非現実的な意見だ。季節外れの観光地ほど寂しいものはない。人が集まるから出向く気になることも多い。やっぱり耐えるしかないだろう。それができなければ行かないことだ。お弁当を食べながら渋滞を楽しもうではありませんか。

五体満足なら足を使

 すべてをクルマでまかなおうとする考えを断ってみたらどうだろう。目的地の近くまで出向いたら歩くことだ。電車やバスに乗り換えるのではなく自分の足を使うことだ。もっとも、身体の不自由な人もいるからすべてに強制する気はないが五体満足の人にぜひおすすめしたい。便利さに慣れきってたるみきった身体をムチ打ち、生きてる幸せを噛みしめようではありませんか。

アタマを切り替える

 極論ばかり並べたが、耐えるか歩くかの間にはいくつものバリエーションがある。要はクルマを使う場所と使わない場所を区分することだ。目的地に近付くほど駐車場待ちは長くなるし、渋滞に巻き込まれる。だから、手前でクルマを預けて電車やバスを使うか歩くほうがイライラは減る。クルマの中から見えないものに気づくことも多い。話し合ったり唄って気晴らしをするのも楽しい。

掟破りはさらし首

 せっかく耐えているのに抜け駆けをする者を放置する気はない。違反キップなどで済ませてはむしずがはしるから、こんな輩のクルマはスクラップにするか、ドライバーを木に縛りつけて見せしめにすることもひとつの解決策だろう。残念だがこれは今のところできないので間違えても実行しないでください。(2006/04/12)

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