48 「男は明日はくためだけの靴を磨く」が弾けた
ギターに挑戦
ようやく風の『男は明日はくためだけの靴を磨く』を弾けるようになった。
独り者のときの愛唱歌で、遊び仲間と海や山でキャンプ中にがなりたてた。
「ひとり暮らしは気楽と言えばいい♪」とか、
「熱い想い出静かに消せばいい♪」と開き直り、
「そんな小さな生きざまを見つけたい♪」とつつましやかな現実にあこがれる唄だ。
Cメジャーに移調すればEm、Am、D、G、B7のコードで足りるノリのいい曲である。
先日は『なごり雪』をアルペジオ奏法で始めたら右指がひきつった。
だからといってダウンストロークやアップストロークだけでは物足りない。
そこでシャッフル奏法もどきで弾いていると気分がすっきりする。
はねる感じで弾くのもけっこう重労働だけど明るいノリがある。
シャッフルにはEm、Am、D、Gのコードの曲が向いているようだ。
ピックになじめず相変わらず右手の親指でギターを弾いている。
ジャン、ジャン、ジャカ、ジャカの4拍子で済ませているから、
「いつになったら上達するの」と家族の笑い者である。
たまに、ジャン、ジャ、タッ、タ、ジャン、ジャ、タッ、タと8拍子で弾くと
「狂った」のと言われる。
リズムのとりかたで同じ曲のイメージが変わるのがおもしろい。
シャッフル奏法の詳しいことはわからない。
ツック、チャック、ツック、タックの繰り返しで4拍子と8拍子のパターンがある。
かまやつひろしが歌った「我良き友よ」や吉田拓郎の「旅の宿」も向いている。
初期のフォークの「遠い世界に」もこれで弾くとけっこうなじむ。
暗い唄より明るい唄のほうが弾いていても退屈しない。(2007/03/11)
【唄に出てくる男親の変化】
日本の男親が生身の人間として唄に登場したのはフォーク以後ではなかろうか。
優しさや安らぎの対象である母親が飽きるほど歌謡曲に登場したものの男親は相変わらず影が薄い。
子を抑圧する「じゃま者」あるいは越えていくべき相手としての煙たい父親像は昔からあった。
だが、憎めない等身大の人間としての「おやじ」や「父」を吉田拓郎(1)や井上陽水(2)が唄った。
かぐや姫(3)に至っては冷やかしやカラカイの対象に「お父さん」が出ていた。
ほおっておけば何をしでかすか分からないのが一昔前の亭主であり男親だった。
色狂いや道楽は男親を語るテーマであった。
最近は、女性の社会進出や結婚観が変化してそういう男親は珍しくなった。
甲斐性なしで足でまといの男親など切り捨てられる時代である。
最近の唄には親が登場しない。あなたとわたしの世界が出てくるのが特徴だろう。
世代ごとに分かれて群れる時代である。
だから、フォークで男親が登場したもののそれ以上の広がりもなかった。
母親が、浮気相手の気を引くために子どもを捨てたり殺したりする時代である。
それより影の薄い男親の出る幕は消えたのだろう。
参考までに、どんな題名だったか記録しておこう。
(1)吉田拓郎;「おやじの唄」
(2)井上陽水;「人生が二度あれば」
(3)かぐや姫;「うちのお父さん」 (2005/04/22 )