29 わたしの練習曲あれこれ

ギターに挑戦


 継続は力なりという格言が身近に感じられるこのごろである。
 ギターの弦を押えるのに慣れ、最近は左手を極力見ないように弾いている。
 慣れないうちはコード(和音)を押えることばかり気にして歌詞を口ずさむ余裕もなかった。
 でも、リズムは歌ったほうがつかみやすいので恥をさらして弾き語りを続けている。
 むかしなじんだ唄はキーが高いのが難点である。その当時だって裏声や転調で対応するしかなかった部分があった。
 それも家族が知っているサワリのフレーズだから手抜きができない。
 無理して声を張り上げると
「お父さん、そんなに無理して歌ったらのどを傷めるわ。ギターもほどほどにしてくれない」
と娘に言い出される始末である。

 たとえば風の『ささやかなこの人生』なら、「
喜びとか悲しみとかの/言葉で決めて欲しくない ♪」は声を降り絞って出した。
 また、イルカが歌った『海岸通』でも「
あなたを乗せた船が/小さくなって行く♪」もけっこう息抜きができない。
 風のファンしか知らない3曲をあげれば
おまえだけが』なら「
お前だけが/おまえだけが♪」、
はずれくじ』なら「
恋の/はずれくじが/舞ってる♪」、
男は明日はくためだけの靴を磨く』の「
ひとり暮らしは/気楽と言えばいい♪」
も同様である。

 カポを使った移調では解決できないから、その部分だけ転調して対応するしかないだろう。
 でも、せっかく押えられるようになったコードを捨てるのも辛いところである。
 また、コードの「転回」を利用して低音部を増やすことも別の方法だろう。

 何はともあれ、毎日ギターに触れていないと物淋しくなるのも不思議である。
 セーハーの押さえ方はまだまだ甘いし、リズムは滅茶苦茶にせよ、苦手なコードをはしょって押えて何とか弾き終えるまでの忍耐力が身についた。
 。
 いつまで続くかは分からないがせっかくの機会は活かすしかないだろう。
 セーハーというのは「バレーコード」と呼ばれる人差し指で全ての弦を押さえる操作です。(2007/01/15)


【追記】 掲載した写真はホームページビルダーの添付写真です。