23 40歳からピアノを始めた人もいる

ギターに挑戦


 ギターさえ四苦八苦しているのにピアノに関心を持って鮎川久雄さんの『40歳からのピアノ入門』(講談社+α新書、2005年)を読み終えた。わたしより年上の方だが子どもが習い始めたのを40の手習いでピアノを身につけたというのに惹かれた。「あなたにもできますよ」という悪魔のささやき本だけど破天荒な身につけかたがおもしろい。

 子どもがめきめき上達するのに追い付けないいらだちを感じつつ3月も独習する鮎川さんの根気もたいしたものである。ラジオを聞いて教えを請いに出向き、ピアノ教室に通い、スナックのステージで演奏する度胸はとてもマネができない。こういう方だから上達の秘訣は他人に披露することと言い切れるのだろう。

 行動力と根気には脱帽するものの大人には大人のやり方があるという意見はうなづける。コンテストで優勝するとかプロになるのでなく、音楽を通じて人との関わりを楽しむというのは大人だから言えることだろう。むろん、かっこうよく振舞いたいという下心や楽をして身につけたいというのはわたしにもある。それをコード奏法でやろうというのはギターにも通じる。

 こういう本は自慢話が多くて鼻持ちならないものだが第4章の「体験的ピアノ練習法」が特に参考になった。練習法10ケ条のその1に「独習書を買いあさる」というのはあまりにも自分と似ていて苦笑した。そのすべてを読み終えたことがないというのも同じだ。わたしもてを出して2週間で本・雑誌・DVDが積み重なっている。ひとつの本を何度も読み直す根気はないが必要なときに比べてるのも楽しい。

 また、練習法のほかに「精神論」にも、「好きになる」、「しょせん遊びと思う」、「細かいことより物語性の重視する」とあってうなずいた。長く続けてきた道楽は確かにそういう取り組み方で深入りしたからだ。ピアノには立ち入るつもりはないものの、何かをやりとげるには遊び心を持つことも大切である。(2007/01/09)



        【「へそまがり写真術」で笑う】

 写真撮影の技術を高めようと古本屋で2冊買い込んだ。ひとつは、何度も真似ようとした白旗史朗先生の『山岳写真テクニック』(山と渓谷社、昭和52年)。もうひとつが元新聞記者の柳沢保正さんの『へそまがり写真術』(ちくま新書、2001年)だ。面白くてたちまち読み終えたのは撮影の技術に触れていない「へそまがり」である。

 柳沢さんのこだわりで面白いのがライカファンに対するあてこすりである。そんなことはどうでもいいじゃないというほどのこだわりがあふれている。カメラはライカばかりでないという点ではわたしも同じである。写ればいいじゃないかと思う。でも、道具としてのカメラではほかにも良いものがあるというのが柳沢さんだ。性能を超えた愛着がライカの神話を生むだけだろうに。ほれた異性はアバタもエクボに映ると同じだろう。

 「見る」と「撮る」も考えさせられた。集中するとまわりを忘れるのは仕事や遊びにもつきまとう。柳沢さんは自分の失敗例として写真撮影に気をとられてネクタイの柄を間違えて記事にしたことをあげる。何かに集中しているとき見ていたはずなのに記憶に残らないのは撮影だけではない。

 もっと笑ったのは、カメラに対する愛着である。映画を見ても小道具であるカメラに目が入って、いつごろのどこ製かを調べるようだ。これじゃ映画を見るのも疲れるだろう。でも、わたしも似たようなことをしている。無線機とかクルマだけでなく気に入って女優がつけていたアクセサリーとか背景も気になる。それが愛着心がらみになるのもおかしい。見たはずの場面より小道具を思い出すのも似ていて大笑いした。

 カメラという道楽を通じたこだわりばかり並べたけれど、写すための心構えとか技術にも触れていて参考になった。ああしろこうしろという技術に触れていなくても、こういう使い方や考えもあるというヒントが随所に出ていて楽しい。(2006/11/07)