22 聴くから弾くへと変身中

ギターに挑戦


 根気のなさと不器用さで先延ばしにしてきたギター演奏に挑戦している。なかなか上達しないイラダチもあるが、続けるうちに意外な驚きを感じたり探究心がわいてくるのがおもしろい。パソコンも無線も勝手に始めて本ばかり集めて馬鹿にされたがそれが基礎知識を固め、幅を広げたものである。また親父の散財が始まったと小馬鹿にしていた家族が、「いちおう音楽らしいものに聞こえるようになった」と冷やかすのも励みになる。

 音楽を聴いたり、歌ったりするのは嫌いではない。堅物に見えてもワイワイ騒いで楽しむのは好きだから楽器を演奏したい気は十分ある。でも、苦行は避けて通るグウタラだから練習というものには近寄らず、評論家ぶって済ませてきた。好きや嫌いで語れるのが音楽である。また、オンチだろうと語れるのが音楽である。そこが技量やセンスの問われるゴルフや釣りとの違いだろう。だからこそ、互いに音楽を気楽に語れるのではなかろうか。

 でも、見たり聴いたりするより自分でやる方が楽しいものは多い。それが今回の再挑戦のきっかけである。プロになるのでなく、ワイワイ騒ぐ小道具を身につけるために始めた。その程度のことでもやり始めれば分からないことばかりで調べまわることも増えた。音合わせ(チューニング)、弦の張り方、音階の組合せ、和音(コード)の作り方、曲の進行パターンなど今まで無関心でいたことが弾くことで理解できたのも楽しい。もっとも、余計な知識ばかり増えて先に進めないのも恥ずかしい。

 ブログやホームページに音楽に関わるつぶやきを並べてきたが、細かい技術論は避けてきた。それは音の学問(音学)に立ち入れない反映だけでなく、むしろその時々の歌詞や関わってきた歌い手への思い入れに過ぎない。追っかけをしている人を笑いながら自分も似たようなことをしているのにゾッとするときもある。恥の上塗りでギターを弾くのも似たようなことだろう。見るも聴くも勝手である。弾くのはそれと同じことだろう。上手い下手を自慢するのでなく笑いのタネを増やすつもりで続けるのもいいだろう。指を加えて愚痴をならべるのでなく、やってみたらこんなことでつまづきいたとかこんなものだったというのをこれからも記録していくつもりである。

 恥をかいても挑戦する意欲と失敗は人一倍あるからボケる前に挑戦したまでである。誰もが気楽に語り合い、口ずさみ、演奏できる音楽も捨てたものではない。音を楽しむのが音楽ではないか。そういう居直りで聴くから弾くへと変身を図っている。(2007/01/08)