62  ギ夕ーを持ち出して笑いもの

ギターに挑戦

 風呂めぐりを始めてからケースにしまいこんでいたギターをいじれば煙むたげな家族の気配がただよう。
 苦手だったFコードが押さえられるのも不思議である。昨日は雑誌「Go!Go!GUlTAR」2007年11月号増刊の『アコーステック・ギ夕ー教室』(ヤマハミュージックメディア)を買った。THE ALFEE坂崎幸之肋が弾いて教える!というずいぶん長い前ふりのついた夕イ卜ルだから人前で開けるシロモノではない。この連載を読むために恥ずかしさに耐えて毎月本屋に出向いた。【注】

 いつまでたっても上達しないいらだちが風呂めぐりに変った面もある。3ヶ月耐えられないものは続かぬわたしには珍しいことだ。弾くのは諦めても雑誌だけは眺めていたからまた始めるのかもしれない。自腹をきって買った手前もある。ここでへこたれたら次の道楽を始めるときの足かせになるという危機感もある。たとえ1曲でも弾けたというウヌボレもある。それしかないのという家族の冷やかしに耐えて『なごり雪』、『おまえだけが』、『北国列車』の3曲はなんとか続けてきた。

 外に出歩いているときは楽器に手を出す気は失せていた。家にくすぶるようになったら指がうずくのも不思議である。かといって上手になろうという悲壮感が欠けるからいつまでたっても下手である。見栄や意地で続けても、悲壮感が伴なわないのがギターだ。弾いてくれる仲間が去ったから自分でやるしかない。音楽についてあれこれ並べるのは気がひける。

 でも、ギ夕ーにふれるようになってから他の楽器だけでなく絵画にまで興味や関心の幅が広がったことも確かだ。聴いて楽しむだけでなく、演奏を聴きながらここらへんは難しそうだと感じる。理屈はともかくそういうことに気が向くのもおかしい。いずれ発表すると言いながら実行できないもやもやがつきまとうが今しばらく勘弁してほしい。(2007/09/27)