ダンテとルネッサンス
    2008年06月21日


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 塩野七生さんの『ルネッサンスとは何であったか』(新潮文庫、平成20年)をパラパラめくっていたらダンテの肖像が目にとまった。
「この顔、小田和正に似てないか」と示せば、
「どこの人なの」と妻が問う。
「イタリア人さ」と答えれば、
「ちょっときつい顔つきね」と首をひねる。小田さんだってけっこう気難しい顔つきをしている。
ダンテ〔1265生−1321没〕はイタリア語で『神曲』を書いたフイレンツの詩人・政治家でルネッサンスの先駆けとなったという。肖像はアンドレア・デル・カスターニョの画で右向きの顔だ。ラテン語を使わずイタリア語を使って書いたのが中世とルネッサンスを区別するようだ。

 学生時代に羽仁五郎の『都市の論理』という本が流行った。その当時は吉本隆明の『情況』や『共同幻想論』も酒場の話題に欠かせなかった。個人の自立を伴う《市民》という日本になじまない言葉がさも当然かのように美化されて語られた時代だった。他国の歴史を持ち出して添え木すれば変革できるような幻想ほど不毛なものはない。そのついでに野田又夫さんの『ルネッサンスの思想家たち』(岩波新書、肯498、1963年)も読み流したが、こちらはルネッサンスは伝統と信仰にとられれない人間中心主義(ヒューマニズム)の思想家が輩出した時代とし、彼らは権力に抗して思想の自由を守るとともに思想自身の自由な可能性を開いたとする。とはいえ、とりあげられた14人のうち宗教裁判でジョルダーノ・ブル一ノは火あぶりに処せられ、ガリレオ・ガリレイは地道説を取り下げた時代でもある。

 ルネッサンスは、13世紀から16世紀(日本でいえば鎌倉時代から戦国時代)、中世から近世に至る宗教と科学が葛藤しあった時代である。イタリアの経済繁栄をもとに新しい思想や芸術が生まれたもののそれは保護者や支持者がいてバランスを保っていた時代であって、その他の人間にはそれほど自由でなかったことも忘れてははるまい。ダンテにしてもローマ法皇庁と神聖ロ一マ帝国の争いにまきこまれ、二度と故郷に戻ることはなかったという。『神曲』の地獄篇・煉獄篇・天国篇はダンテの流浪を反映するようだ。だから彼の顔つきもけわしいのかもしれない。 

【補記】

 塩野七生(しおのななみ)さんは1970年からイタリアに住んでいるそうです。紹介した本の最後で次のような総括をしています。わたしは本文に書いたように別の考えをしていますが引用します。
宗教改革も反動宗教改革も、所詮は西欧のキリスト教世界の問題でしかなかった。つまり、西欧のキリスト教徒にとっては重要な歴史的事実であっても、キリスト教徒でない人には「関係ないこと」と言うことができる。
 しかし、ルネッサンスはちがいます。ルネッサンスで打ち上げられた精神は、西欧のキリスト教世界以外の文明圏に属する人々にとっても、「関係あること」なのです。それを実証するのが、日本語の「心眼」や「克己」。これ一事でも、中世末紀にイタリアで起ったルネッサンスが、時代や民族や宗教のちがいを超越して、普遍性をもつことができた理由であると思いますね
」(同文庫240頁)

 野田又夫さんは岩波新書に『デカルト』というロングセラーを残していてわたしも読みました。西洋哲学史の専門家で京教大学教授を努め、1910年に生まれ2004年4月に93歳で亡られました。蛇足ですが新書マツプというサイトの『ルネッサンスの思想家たち』の目次を引用します。

  1 ルネッサンス思想の状況−−中世から近世へ
  2 ロレンツォ=ヴィラー−批判的人文学者
  3 ニコラス=クザーヌスーー神秘主義的綜合
  4 マルシリオ=フィチーノとピコ=デラ=ミランドーラー−フィレンツェのプラトン主義
  5 ピエトロ=ボンボナッツイ−−パドヴァのアリストテレス主義
  6 ニッコロ=マキャヴェリ−−政治のレヤリズム
  7 エラスムスとルター−−人文学者と宗教改革者
  8 シュヴェンクフェルト、フランク、バラケルズス−−神秘主義者と錬金術士
  9 コベルニクス−−天文学の革命
  10 カルダーノとテレシオ−−生命論的自然主義
  11 ザバレラとクレモニーニ−−十六世紀後半のパドヴァ派
  12 ジョルダーノ=ブルーノ−−無限者への熱情
  13 卜マソ=カンパネルラ−−獄中の予言者
  14 ヤコブ=べ一メ−−悪の起源の問題
  15 モンテーニュ−−「私は何を知るか」
  16 フランシス=べ一コン−−物に対する人間の支配
  17 ティコとケプラー−−コペルニクスの天文学の発展
  18 ガリレオ=ガリレイ−−天文学の受難と力学の形成


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