「笑う大英帝国」 のユーモア
    2008年05月11日


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 笑いとユーモアの区別は分からない。おかしがって声をたてるのが《笑い》で、上品なしゃれやおかしみが《ユーモア》といわれてもぴんとこない。笑ってはいけないとされる場所にもけっこう笑いをこらえさせられる情況がつきまとう。語呂遊びの駄洒落(だじゃれ)ではなく、場所や時にかまわず思わず吹き出すのが《笑い》だろう。また、上品・下品にかかわらず同一性と差異の共存におかしさを感ずるのが《ユーモア》なのだろう。それは諧謔(かいぎゃく)のようなひねくれた笑いでもない。べルクゾンの『笑い』は読んでないが、フランス人のもの知り話だからきっと退屈にちがいない。そんなものより王様も笑いのネタにする英国のしたたかさにひかれて富山太佳夫さんの『笑う大英帝国 文化としてのユーモア』(岩波新書1017、2006年)を読んだ。挿絵を見るだけで抱腹絶倒して家族は気味悪そうに近寄らない。

 《
人は耐えがたい苦しみや悲しみを前にしても笑うことがある。そのことを忘れて、喜劇的なものやジョークにかまけるだけの笑い論に何の意味があるのだろうか。》(同著214頁)笑い続けさせられたあげくにこういう真面目な意見を出されて、戸惑いつつもうなづくのもユーモアにある笑いなのだろう。泣きたくなるときに思わず笑ってしまうのは桂文珍もふれていた(ホームページの「本の紹介」をごらんください。)つまり、非礼・無札と批難されようと置かれた情況によってはこらえようもない笑いというものがつきまとう。

 富山さんによれば英国のユーモアはデブ・ヤセ・シリの3点セットで成り立つようだ。のっぽ・ちびと言わずデブ・ヤセとするのもおかしい。いずれも身体を示すから次は《かたわ》を想定したがそれは差別用語にひっかかるから避けたのだろう。身体的欠陥は英国に限らず笑いのネタになるにせよ、問題はシリである。堅く言えば《臀部(でんぶ)》、もっと柔らかく言えば《ケツ》である。違和感を惑じながら読み進めばシリの挿絵がこれでもかと出てくるのに呆れる。最後の章はゲイにまでふれるのもおぞましい。シリを登場させるのは英国のユーモアの幅広さの反映とうなづくしかない。王様を笑いのネタにする国だから下ネタもつきまとうし、それを欠いて英国のユーモアは成り立たないのだろう。

 笑いを言葉で説明するのは不毛である。挿絵を眺めて込み上げてくる笑いを説明してもはじまらない。笑いは感じるものであり、そういう感情を持ち合わせていない者には受け入れられないものだ。また、ユーモアは言葉のすりかえも伴う。deer(しか)とdear(ほら)が同音だったり、ラビット(rabbit)とホビット(hobbit)の言い換えもパロデイに欠かせない。ユーモアはパロデイを内在させた笑いである。皮肉だけでなく別の展開も生むのである。つまり同一性と差異を併せ持つことによって「ふ−ん、そうなんだ」と共感の笑いを生むのだろう。

 どうでもいい枝葉末節な説明を付け加え過ぎたようである。英国のユーモアには、スコットランドやウエールズのほかにアイルランドを小馬鹿にしたネタだけでなく、ユダヤ人や植民地の人々を差別するネタも多い。それは自分以外の者のすべてを笑いのネタにする大英帝国イングランドのおおらかさであり無知の反映なのだろう。それをあれこれ批難するのも不毛である。きれいごとや建前を剥いで笑いとばすのがユーモアにちがいない。政治を風刺するイラスト付雑誌「パンチ」が150年も続いた大英帝国おそるべしというところだろうか。久しぶりに大笑いさせられた。

【補記】
 英国の正式名称はグレートブリテン・北アイルランド連合王国(UK)です。つまりイングランド・ウエールズ・スコットランドと北アイルランドの合体した国ですがこの本ではイングランドを大英帝国としているようです。余計なことですが英国の国旗にはウエールズが反映されていません。ずっと昔にイングランドに征服されていたからのようです。これは英国ガイドブックで知りました。アイルランドが独立したのは20世紀の1921年というのも驚きました。調べてみるものですね。



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